『あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ』
鳴霞 千代田情報研究会 飛鳥新社 2013/4/6
・来日後の私は、大学や兵庫・大阪の中国語学校で教える傍ら、日本企業の通訳もしていたが、その折痛感したのは「日本人がいかに易々と中国人に騙されるか」である。
<中国人学者たちの怪しい行動>
・日本企業は「人権」「友好」「学術研究」という冠をつければ、技術も機密も公開、資金まで提供して丁寧に教えてくれると、中共政府は見くびっている。この状態こそ、日本が「スパイ天国」であると揶揄され、世界から嘲笑の的になっている理由である。
中共は「スパイの21世紀的役割は、技術的遅れを埋め合わせる機密情報の入手」と規定している。国家として科学技術力が欠けていることを認識し、先進各国の先端技術を欲しがっている。しかし、先端技術を習ったり買ったりするような状況は想定していない。
中共は、習うこと、または習うことによって入手した技術は古いもので、最先端のものではないという認識を強く持っている。
<美女スパイの手口>
・中国のスパイ活動といえば、すぐ「ハニートラップ」という言葉が浮かんでくる。女性を近づけて相手を油断させ、情報を取ったり、工作したりすることであるが、日本の橋本元首相や自民党の前総裁・谷垣禎一氏も、これに引っかかったのではないかという噂がある。亀井静香前国民新党代表は、自民党時代、中国を初訪問する際、後藤田官房長官に直々に呼ばれ「中国の女性通訳には気を付けろ」と注意を受けたという。実際、中国を訪れると、すこぶるつきの美人通訳が現れ、耳に吐息を吹きかけるように小声で通訳するので、非常に困惑したという。
中国における「ハニートラップ」の歴史は古い。
・また、2005年に明らかになった駐上海日本国総領事館の男性館員が自殺した事件なども、現代の「中共によるハニートラップ」として記憶に残る事件だ。
・また、あるときは男性館員が犯したささいな法律違反(例えば中国では未婚の男女がホテルの一室にいるのは違法)を他の公安職員に摘発させ、自ら館員を助ける役を買って出た。その際に用いた中国語文書も存在しており、日本政府はこの文書を根拠として、中共政府に「領事関係に関するウィーン条約」違反として抗議した。
・古来、「英雄艶を好む」ということわざがある。為政者や事業家など、「精力的に仕事をこなす人々」は「女色を好む傾向が強い」というほどの意味だが、最近では、多くの日本人が「英雄」になってしまっており、それだけスパイの対象も増えていると言えなくもない。自衛隊や領事館員ばかりではない。企業の技術者や最先端の研究を担っている大学の准教授などもその対象であろうし、インターンの大学院生や国会議員の秘書なども「英雄」になってしまうのである。
・また、ビジネスは「グリーンと銀座で動く」といわれたが、料亭での政治が姿を潜めると同時に、政治家も、夜の銀座に蝟集することが多くなった。つまり、銀座だけでなく六本木や赤坂など、夜の街は日本のビジネスマンのみならず政治関係の「英雄」も集う場所となっていったのである。そのような夜の街の異変が2011年2月15日の夕刊紙に報じられた。「中国の軍幹部令嬢らが日本で謎のクラブ勤め」という記事であるが、筆者もコメンテーターとして登場しているので、以下に要約を紹介する。
中国人民解放軍の幹部らの複数令嬢が、東京の銀座や新宿のクラブに勤めていることが、在日中国人社会でひそかに話題となっている。金銭的に余裕があるはずだけに、その目的や真意について、「日本の政財界に特別なコネクションを構築している」から「スパイ説」まで、さまざまな憶測が飛び交っている。
・米国では、2009年だけで、米司法省が捜査に着手した中国絡みのスパイ容疑事件は、なんと400件を超えたという。
・最近は銀座でも赤坂でも、中国人の経営するクラブや中国人ホステスが少なくない。中国人のホステス専門の店ではなく、かなり老舗の名前の通ったクラブにも「中国からの留学生」と称するホステスがいることがある。
・今はなくなったが、麻生太郎氏が首相になる前、昵懇の女性が経営する「シュミネ」という高級クラブがあり、そこにも、長期間北京出身のホステスが在籍していた。高名な政治家が通う店であるから、政界関係者や官僚、企業経営者などが多く集まっていた。
・もともと中国には「千金小姐」といって、どんな貧しい家の娘でも美人に生まれてくればカネになるという即物的な考え方があるほどなのだ。
・日本人の恥の文化に付け込むのが「ハニートラップ」の本質であり、同時に、これは日本のみならず、一夫一婦制を持つ数多くの近代法治国家の間で行われている、中共スパイの常套手段なのである。
<嵌められても気づかない国会議員たち>
<世界のどこよりも簡単な日本政界工作>
・2012年7月18日号の国際情報誌『SAPIO』に、衝撃的な記事が掲載された。ジャーナリストの山村明義氏の署名記事で、「お寒い事情、赤いスパイへの警戒感ゼロの野田民主党政権を中国への機密情報「筒抜け政権」と命名する」と題されていた。
・あまりにも無防備な事態に、日本に詳しい中国共産党のある幹部はこう嘯くのだ。「今の民主党政権は国家情報の危機管理意識が皆無に等しい。我々が日本人に近づき、日本の重要な情報を握るのはもはや難しいことではなく、裏の偽装すらする必要もない」
・現実に昨年(2011年)7月から11月にかけて、同じ東京・永田町の衆参の議員会館で、中国国内からと思われる国会議員のメールがウイルスに感染し、外国への情報が送られたとされる「サイバーテロ事件」が起きた。
・ところで、ウイグル会議開催直前、在京の中国大使名でウイグル国会議員連盟の各議員に、会議への参加を見合わせるよう強く求める要望書が届いたのだ。これだけでも明らかな内政干渉だが、それはさておき、その配布先を見てみると、議員連盟に当時参加していない議員にまで届いている。逆に参加しているのに、抗議文が届かなかった議員もいる。調べてみると、ある時期に作成された名簿を元に送付されていることが判明した。
では、なぜ中国大使は「日本ウイグル国会議員連盟」の名簿を知ることができたのか。
・国会議員には「行政調査権」というものがあって、それを行使すると国の機密資料を簡単に手に入れることができる。以下は伝聞であり、未確認のものであるが、国政に関することなのであえて公開する。まだ民主党政権になる前の話であるが、辻本清美議員の秘書から行政調査権を使ってある資料の提出が要求された。
・したがって、財務省の官僚は議員のところに資料を持って直接出向いた。ところが議員本人に面会したところ、そのような調査の依頼はしていないという。
・民主党政権下で、首相官邸に出入りできる人間が1300人に膨れ上がっていたというのだ。その中には「80人ほどの左翼的メンバーがいたり、前科一犯の人」もいた。
・まさに現在の日本の情報管理の甘さ、為政者たちの情報に対する認識の決定的な欠如を示していたとしか言いようがない。
<熱烈歓迎(訪中)の中身>
・彼らは手荷物をあけてみたりなど、すぐわかるようなことはしない。しかし、パスポートは、実は個人情報の宝庫だ。本籍地は当然だが、過去に中国や他の国のどこに滞在したかまで記録されている。中共はその個人の情報を得て、調査を始める。特に、事前に中国の他のどこかを訪れていた場合、たちどころにそのときの行動を調べ上げる。ちなみに、イスラエルの場合、外国人訪問者が希望すれば、入国のスタンプは押さない。イスラエルに敵対するイスラム国に行った場合、迷惑をかけないようにという配慮からだ。
・さらに、前もってホテルの部屋などに運び込まれた荷物は、歓迎会の間にすべて中身を見られていると思ったほうがよい。書類などは、コピーされていることが少なくない。
・シャワーを浴び、一夜を共にしたりすれば、彼女たちの行為はより完璧となる。当然その前の全裸で抱き合う画像も撮られているので、男性がスパイ行為に気づいて文句を言えば、それを持ち出される。中国の役人に泣きついても、基本的には無意味である。中国には「夫婦、親子以外の男女(外国人同士の場合は除く)が、夜11時以降、ホテルの同じ部屋にいてはならない」とする法律があり、法律違反で逮捕されかねないのだ。
・2004年、自民党の山崎拓元副総裁と平沢勝栄議員が、中国の大連市で拉致問題解決のために北朝鮮の高官と交渉をしたことがある。この時、ここに書かれたような状況で、日本側の交渉の内容が事前に漏れていたということを、大連の『紡垂新聞』が報じている。このほど左様に、中国では十重二十重にスパイ網が存在するのだ。中国と一度でも関係した外国人はファイルが作られ、それが年々更新され、膨大なものとなっていく。
<「合弁会社」での「地下党組織活動」>
・中国には日本の会社が3万社ある。独立会社・日中合弁会社・日台合弁会社・日香合弁会社などであるが、それらの現地企業の中には当然「中共地下党組織」が作られ、情報収集のみならず企業が反中共活動をしていないかどうか、チェックし共産党中央に報告することを任務としている。
・筆者は、幼年時代から大学まで、中国の教育を受けてきたが、「南京大虐殺30万人」などということは一切教えられていなかった。なので、中国の教科書に「南京大虐殺」が載っていると知った時には、非常に違和感を持ったものだ。筆者のように外国に出た者は、まだ冷静なものの見方ができるが、そうでない場合、自分の働く日本企業を敵視し、「地下党」員として活動することになんらの痛苦も感じない。こうした工作を、中共は「文化戦」と称している。
・最近では日本に帰化した中国人だけで12万人を超えており、彼らには当然選挙権が与えられている。これに永住許可者を含めると、中共のコントロール下にある者の数は膨大で、実に恐ろしい動向である。では沖縄はどうか。永住外国人に参政権を与えようなどと言っているくらいだから、中国からの帰化華人の数など真剣に考えたことがないだろう。しかし、これは間違いなく脅威である。
<日本の経済援助が中国のスパイ活動を巨大化させた>
<中共スパイの原点は周恩来>
<南京大虐殺が1979年までの中国歴史教科書に一切掲載されていない不思議>
・まさに、外国人の目から見ても、当時の日本人の記録を見ても、略奪や殺人を犯していたのは中国兵のほうであり、日本軍ではないのである。
それにしても、人口20万人の都市で30万人を虐殺するなど神様も不可能だ。
<中共は中国人のいる場所すべてにスパイを送り込む>
・従って、全軍のなかで、スパイより高級なポストはなく、スパイより機密なポストはない。さらに、すぐれた知恵がなければ、スパイを使いこなせないし、人徳がなければ、よく動かせず、洞察力がなければ、もたらされた情報の真偽を判断できない。
『こんにちは、ユダヤ人です』
ロジャー・パルバース、四方田犬彦
河出書房新社 2014/10/20
<ユダヤ人がいることで世界は豊かになった>
・(四方田)コミュニズムもロスチャイルドも皆同じグループで、今世界中のメディアを操作していて日本も狙われているという話です。
常にそうした本が刊行されているということは、常に買う人がいるということです。ユダヤ人についてのくだらない本が、いつもくり返し出ている。明治時代からそうです。酒井勝軍のような偽史作者たちが、日本人とユダヤ人は同じ祖先だからといいながら、ユダヤに学んで日本は世界を支配すべきだと論を立ててきました。ユダヤ人に対する日本人の偏見は強くなっていくけれども、知識というものが全然深くなっていかない。これはこの対談を思いたった、社会的な理由の一つです。
・二番目はユダヤ人とは関係がない理由ですが、日本では2000年代に入って非常にレイシズムが強くなったことがあります。ユダヤ人に対してではなくて、韓国人と中国人、あるいは日本に住んでいるエスニックマイノリティに対してです。法務省が亡命も難民も認めないことは日本にかぎったことではありませんが、民間レベルにおいて、日本人ではない者を排除しようとする動きが非常に強くなってきた。
<日本人はユダヤ人を知らない>
・(四方田)日本人のユダヤ人に対する認識が非常に貧しいという現状からはじめましょう。日本では歴史的に見て、組織的なアンチセミティズム、反ユダヤ主義というのは、1920~30年代には確かに少数ですが存在していました。樋口艶之助という陸軍のロシア語教師を中心に、一時「猶太禍論」が話題になったことがあります。日本の君主制を危うくするのは世界統一の野望をもつユダヤ人だ、という論理です。これは日本の左傾化に対する不安の表現でもありました。
・しかし反ユダヤの火は大きく燃えさかることにはなりませんでした。というのも西欧諸国を比較してみれば理由は簡単で、日本人にはキリスト教徒が人口の1パーセントもいないから、ユダヤ教に対してまったく無関心だし、まずユダヤ人と非ユダヤの区別もできないからです。外国人というだけです。もっと簡単に庶民的に言えば、「外人」です。
・歴史的に言うと、イスラエルのほうではこう思っています。彼らの言う「先進国」の中で、唯一ユダヤ人を差別をしなかった国は日本だけであって、杉原千畝(ちうね)、彼らはセンビと言いますが、そのことを学校で教えていたりする。そのため歴史的にも満州国がユダヤ人を迎え入れて、亡命手続きをしたこともある。日本がヒトラーのナチス・ドイツと枢軸国であるにもかかわらず、だからイスラエル自体は、日本を反ユダヤ主義はない場所だと無邪気に考えている。しかしユダヤ人に対する直接の迫害ではないけれども、ユダヤ人に対する偏見は非常に強い。最初に話したように『ユダヤの大陰謀』とか『ユダヤの商法』とか、そういった本が折につけベストセラーになって出ています。ユダヤ人はすべて金持ちで、すべて狡くて、世界的な陰謀を考えているというふうな、ステレオタイプな本がいまだにつくられています。
・1905年にロシアで『シオンの議定書』という偽書が出ました。それが世界中に翻訳されて、今ではそんなものは嘘だということがわかっているのに、日本ではいまだにその別のバージョンがつくられている。先に名を掲げた樋口艶之助、それから四天王延孝という、ともに陸軍系のロシア関係者です。しかしこれ自体、無知からくる反ユダヤ主義です。
それからもう一つ。日本には、日本人とユダヤ人が同じ祖先をもっている、ヘブライの12の民族のうちの一つだという戦前からの神話的な信仰がある。
・「イスラエル・ディアスポラ」という言葉があります。大学を終えて海外に出る許可を与えられた男女が、二度とイスラエルに戻ってこないという現象があって、しかもそれが人口の15パーセントをしめています。ぼくが昔、テルアヴィヴ大学で教えた学生にもいます。どこか別の国に行くといっても、シリアやレバノンなど隣のアラブの国々に行くことはできないわけですから、行くとしたらマルタ島か、それともヨーロッパかインドですね、インドはヒンズー教だからなんとか行ける。あるいは日本ですね。そこでなんとか日本人女性と結婚して、日本国籍を取って、日本に住もうとする。
インティファーダが始まったときから、3年間に20万人の人が国外に脱出したという記録が残っています。イスラエル国籍をもっている人で海外に居住している人が、2004年に76万人いるのです。560万のユダヤ人口のうち76万人が帰ってこないという国なわけですよね。特に若い人が出ていってしまう。そういう国自体が病的だと思うんですけれども、用語に誤解があるといけないのでくり返しますと、ユダヤ・ディアスポラではなくてイスラエル・ディアスポラです。ユダヤ人は日本にずいぶんいるんです。
・徴兵が終わらないと、パスポートは貰えません。その後では、もうあの国のことは忘れようと。日本の中にも相当数のユダヤ人が、イスラエル人、非イスラエル人の関係なくいるのだけれども、日本人にはその存在が見えていない。
<戸籍があるのは日本だけ>
・たとえば世界で戸籍というものがあるのが日本だけです。それから日本が植民地支配した韓国です。
・天皇以外の日本人が戸籍をもっています。つまり戸籍とは天皇の家来であることの証明なんです。アイヌ人はかつて戸籍をもっていませんでした。しかし戸籍さえあれば日本人なんです。
<イスラエル建国はユダヤ人の歴史の曲がり角>
<イスラエル社会の複雑さ>
・ここから、ぼくが現実にイスラエルに住んだときの話をしたいと思います。まずイスラエルのユダヤ人社会があまりに複雑であるとわかりました。社会階層がはっきりあって、激しい世代対立もある。
・しかも1948年にできた新しい国の中に社会階層があるということです。ヨーロッパ、たとえばフランスには階級が三つありますね。上流階級、これはバッハを聴いている階級のことです。日本料理のこともよく知っている。表に出てこない。それから二番目に普通の人たちがいます。市場でものを買う。クラシック音楽は「美しく青きドナウ」くらいしか知らない。三番目は外国人労働者。この三つがまったく関係なく存在している。フランスでもイタリアでもそうです。ピエール・ブルデユーが分析した階級社会です。イスラエルの場合には、移民と難民によってつくられている。しかも伝統がなく、この60年の間につくられ、どんどん変わっていっているという意味で、特異な例だと思います。まず顔だけではパレスチナ人とユダヤ人の区別など、ぼくにはできなかった。金髪で緑の目をしているユダヤ人のお姉さんもいるし、ぼくが教えたクラスには黒髪で髭の濃い男性もいた。どこから見てもモロッコ人という人もいる。黒人もいます。ヘブライ語で喋って「ぼくはエチオピアから来たんだ」というわけです。それからロシアから大量にやって来た。今はユダヤ人口の20パーセントくらいになって、頑強にヘブライ語を学ぼうとしない。
・ロシア系でもそういうオフィシャルなところではヘブライ語を用いますが、実際に日常生活ではヘブライ語を馬鹿にしている。ユダヤ文化自体を馬鹿にしている。「夏は暑いからモスクワに帰るのよ」とかいう感じで、豚も平気で食べて「アメリカに行きたかったんだけどね。昔はロシアから逃げるといえばアメリカだったんだけど、ソ連がなくなってからはなかなか受け入れてくれなくなっちゃったからここに来たのよ。ダサイわね」と言う。
・二つのパスポートを持っている人がいっぱいいます。たとえばこういう事件が、ぼくがいたときにありました。ヘブライ大学の近くを夜、ジョギングしていたユダヤ人の学生がパレスチナ人と間違われて警官に射殺された。「止まれ」と言われても、音楽を聴きながらジョギングしていたので気がつかなかった。彼のお父さんやお母さんはミズラヒーム、つまりアラブ圏出身でこっちに来た人たち。顔なんかはアラブ人なので、皆で歩いていても自分だけ「ちょっと来い」と呼ばれてIDカードを見せろとか言われていたそうです。「可哀想だな」と言ったら、「子どものときからこの顔だから、もう慣れてるよ」と言っていました。つまりユダヤ人と言われていても、顔で区別できない。
『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』
三神たける 飛鳥昭雄 学研 2011/5/11
<インディアンは失われたイスラエル10支族だった>
・もし仮にユト・アステカ語のルーツが古代ヘブライ語にあるとすれば、当然ながら、インディアンやインディオたちのルーツがヘブライ人、すなわち、古代イスラエル人であった可能性が出てくる。よく誤解されるが、ユダヤ人を含めイスラエル人はもともと民族的に白人ではない。セム系の民族である。アラブ人を含め、アジアのモンゴロイドと同じ人種なのである。
・イスラエルの全大学の監督官であり、教育文化省の長官であったアビグドール・シャハンによると、南北アメリカ大陸に失われたイスラエル10支族がやってきていたことはほぼ間違いなく、アステカやマヤなどのピラミッド型神殿は、もともと古代イスラエルの神殿とまったく同じものであると主張する。
<縄文・弥生人はイスラエル人だった>
・南北アメリカ大陸のインディアンやインディオは古代イスラエル人の血を引く。だとすれば、だ。当然ながら、同じ環太平洋文化圏に属し、遺伝子的に同じ人種であるアイヌや琉球民族もまた、古代イスラエル人の末裔である。縄文人と弥生人はその文化からは想像もつかないが、実は契約の民だったのである。
イスラエル人がいるとことには、必ず預言者がいる。霊能者や巫女、シャーマンと呼ばれる人々のなかには、絶対神ヤハウェの言葉を預かる者がいるのだ。縄文文化圏と弥生文化圏と、ふたつに分かれてはいるものの、そこには預言者がいたはずだ。
・縄文文化を今に受け継ぐアイヌの奥の院には、女性のシャーマンだけから成る秘密組織がある。同様に、弥生文化を継承する沖縄の琉球民族にはユタやノロ、そしてカミンチュがおり、かつて聞得大君という女性の祭祀王がいた。おそらく邪馬台国の卑弥呼もまたそうしたシャーマンであり、預言者だったに違いない。
<ユダヤ人徐福の渡来と籠神社>
・日本列島が縄文文化と弥生文化を育んでいた紀元前3世紀、中国大陸から渡来人がやって来る、なかでも大量の民を引き連れてやってきたのがほかでもない、ユダヤ人徐福である。徐福は、同じくユダヤ人の血を引く童男童女と技術者を率いて日本列島へと集団渡来してきた彼らはアケメネス朝ペルシアから東漸し、秦帝国へとやってきた亡命ユダヤ人たちの子孫である。
<卑弥呼はユダヤ人預言者だった>
・籠神社が所蔵する国宝「海部氏勘注系図」には天火明命の子、天香語山命を初代として、第8代目の丹波国造に日本得魂命なる人がおり、その娘の名が「日女命」と記されている。日女命はヒメ命、もしくはヒルメ命と読むことができるように、太陽神に仕える巫女を意味する。これは太陽神の巫女=日巫女、つまり卑弥呼のことなのである。
<イエス・キリストの降臨>
・皇室はもちろん、漢波羅秘密組織の八咫烏たちが秘かに伝える驚愕の事実。それは、イエス・キリストの出現である。実に驚くことだが、復活して天に昇っていったはずのイエス・キリストが4世紀の日本に降臨したのである。
<ふたつの鴨族>
ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏はイスラエル12支族のなかでも主にユダ族とベニヤミン族から構成されているが、なかには祭司レビ人もいる。彼らレビ系秦氏の中核が賀茂氏である。神道祭祀を一手に握る賀茂氏は「鴨族」とも呼ばれ、全国の神社を支配している。なかでも、京都の下鴨神社と上賀茂神社の鴨族は事実上、神道の元締めといっても過言ではない。
<大酒神社の祭神ダビデと物部氏>
・物部神道がユダヤ教であるならば、先の「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という表現を踏襲できるだろう。あえていうならば、「ダビデ、物部守屋の神」だ。この場合、物部守屋を崇拝する物部氏たちにはダビデの子孫が含まれていたことを示唆する。徐福に率いられて物部氏になった東ユダヤ人は、南朝ユダ王国の民であった。これはユダヤ人原始キリスト教徒であった秦氏も、まったく状況は同じである。
<秦氏を名のった物部氏>
・物部氏=海部氏は物部神道=ユダヤ教から秦神道=原始キリスト教に改宗することによって、ユダヤ人原始キリスト教徒=秦氏となった。もともと血統的にも同じ民族であった物部氏=海部氏と秦氏は、この時点で本質的な区別はなくなってしまった。
実は、これこそ徐福伝説につきまとう秦氏の影の正体なのだ。
<お内裏様=スサノオ命はヤハウェ>
・雛祭りにおけるお内裏様はスサノオ命を意味している。スサノオ命は出雲神であり、物部氏の神である。古代出雲王朝は投馬国の領地であり、それを支配した海部氏は物部氏と同族であると同時に、隣の石見には宇摩志麻治命を祀る物部神社もある。
籠(この)神社の極秘伝「多次元同時存在の法則」を持ちだすまでもなく、唯一神を祀る物部神道からすればスサノオ命は絶対神である。元初の神だ。物部氏=ユダヤ人ユダヤ教という観点からすればスサノオ命は絶対神ヤハウェにほかならない。
・スサノオ命は「素戔嗚尊」と表現されるように、荒ぶる神であるといっていいだろう。一方、『旧約聖書』における絶対神ヤハウェは、まさに荒ぶる神である。天変地異を引き起こす嵐の神だ。絶対神ヤハウェが龍神リヴァアサン(レビアタン)を退治するエピソードがあるが、これはスサノオ命のヤマタノオロチ退治そのものであるといっていいいだろう。
・また、スサノオ命は出雲神の代表格である。出雲とは雲が出ると書くが、雲を出すとも読める。実際、スサノオ命が詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」に端的に示されるように、八雲や出雲など、雲そのものがスサノオ命の代名詞ともなっている。
・対する絶対神ヤハウェはイスラエル人の前に姿を現すときは、必ず、雲を伴った。大預言者モーセの前に現れたときも燃える紫、シナイ山のイスラエル人を導くときは雲の柱となり、さらに契約の聖櫃アークを収めた幕屋でも、顕現するときは必ず雲が部屋を覆い尽くした。いわば絶対神ヤハウェは雲を出す出雲神と表現できるのだ。
ユダヤ人ユダヤ教徒であった物部氏は自らが奉じる絶対神ヤハウェを『旧約聖書』に記された故事にならって出雲神、なかでも荒ぶる神として位置づけられたスサノオ命と呼んだのである。
<お雛様=天照大神はイエス・キリスト>
・一方、お雛様の天照大神はイエス・キリストを意味している。天照大神は太陽神であり、天孫族の神、すなわち天津神だ。国津神に対する天津神を祀るのは神武天皇=応神天皇、つまり秦氏である。ユダヤ人原始キリスト教徒であった秦氏が祀る天照大神は、いうまでもなくイエス・キリストにほかならない。
・天照大神がイエス・キリストであることは記紀神話の中にしっかりと記されている。天照大神を天照大神たらしめている「天岩戸開き神話」が、それだ。天照大神は弟であるスサノオ命の乱暴狼藉によって体を傷つけられたことがきっかけで天岩屋に籠もる。このとき『古事記』では天服織女、『日本書紀』では稚日女尊が死亡している。いずれも天照大神の分身とされることから、神話的に死んだのは天照大神自身であると解釈できる。事実「隠れる」という表現は天皇陛下をはじめ高貴な人が亡くなったときに使う表現である。
かくて死んだ天照大神は天岩屋に籠ったのではなく、実際は横穴式墳墓に葬られたことになる。入り口には大きな岩が扉として置かれたという。
・さて、天照大神が天岩屋に籠もったことで天地が暗くなり、困りはてた神々は天岩戸の前に大きな榊を立て、そこに八咫鏡をかけた。天鈿女命は裸踊りをし、そばで常世の長鳴鶏が夜明けを告げる。
あまりの騒々しさに、天岩屋に籠もっていた天照大神が不振に思って天岩戸を少しだけ開けたところへ、天鈿女命が八咫鏡を差しだし、そこに映った姿を指して別の尊い神がいると述べた。これに天照大神が驚いた隙に天手力雄神が天岩戸をこじ開けて引きずりだし、天児屋根命が注連縄を張って二度と入れないようにした。こうして再び世界に光が戻ったというのが天岩戸開き神話のストーリーだ。
・これはカッバーラの手法で描かれたイエス・キリストの十字架刑と死、そして復活のことなのだ。八咫鏡に映った段階で、天照大神は鏡像反転して男神となり、それが榊にかけられていた。榊とは神の木であり、「生命の樹」のこと。原始キリスト教における最大の「生命の樹」は十字架にほかならない。十字架は木製であり、そこに磔になったイエス・キリストを表現したのが八咫鏡なのだ。天孫ニニギ命に託宣したように、八咫鏡は天照大神の分身であり、榊にかかった状態は、まさに十字架刑を象徴していたのだ。
・さらに裸踊りをし、八咫鏡を差しだした天鈿女命は、娼婦とも呼ばれ、最初に復活したイエス・キリストに会ったマグダラのマリア。常世の長鳴鶏とは使徒ペトロがイエスを知らないと嘘を口にしたときに鳴いた鶏のこと。そして、天岩戸開きに関わった天手力雄神と天児屋根命は、イエス・キリストが復活したときに現れたふたりの天使を意味しているのである。
・カッバーラにおいて、イエス・キリストは御子なる神であると同時に絶対神ヤハウェである。ヤハウェが受肉した姿がイエス・キリストなのだ。霊のみで肉体を持たない陰なる存在としての御子がヤハウェであり、肉体を持った陽なる存在としての御子がイエス・キリストなのである。
・雛祭りでは、お内裏様とお雛様の祝言が行われ、ふたりは結婚してひとつになる。男神と女神が結ばれてひとつになるとは、神話的に同一神であることを象徴する。スサノオ命と天照大神、すなわち、ヤハウェとイエス・キリストが同一神であることを示しているのである。
『アカシャ 光の叡智』
2012年と光の12日間のオリジナルソース
ゲリー・ボーネル 徳間書店 2009/5/22
・この小説を読むとき、少年ゲリーの記憶の繊密で発意の高度さに動揺しないでいられるのは、文章があまりにもうまいからだ!
<“光の十二日間”の直前に湧き上がる十四万四千の存在たちの祈り!>
<マスター・イエスと夢の中で現実に出会う>
・見上げると、扉のすぐ内側に、白い着衣の上に青いローブをまとった一人の男が立っていた。その腰には紫色でできた単純なベルトが巻かれ、挨拶とともに前にのばされたと思しき両腕は、まだそのままだった。顔は陰に隠れていたが、僕には彼の優しさがよくわかった。僕はそれをハッキリと感じることができた。
・扉の前で震えながら立っている僕の顔を彼の青い目が見つめていた。それは、見慣れた明るい赤毛の髪と、黒みを帯びた赤茶色の髭に縁取られた細めの引き締まった顔だった。その髭は僕のと同じくらいに長くて、着ていたローブは、僕らが先祖代々身にまとってきたものと同じタイプだった。彼の声は、水のようであり、鳥たちのようであり、風のようであり、木のようであり、太陽のようでもあった。一度にこのすべてであった。
<霊の領域には正しいか悪いかを決める裁きは存在しない!>
・反キリストのユダヤ人に対する主張は自己矛盾を発生させない。彼にとって、自分の悲しみの責任は、すべてのユダヤ人とその同盟者たちにある。この単純な事実が、彼の現実を治めているのだよ。彼らが自分の両親を殺すのを彼は目撃した。彼は、彼らを裁いているわけではない。ユダヤ人たちは平和に反していて、普遍的な平和を築くことが自分の使命だということを彼は何の疑いもなく、信じている。ただし、彼らユダヤ人はユダヤ人であるから悪いのだとは考えていない。彼が信じているのは、ユダヤの伝統こそが、この世の諸悪の根源であるということ。
・それから“十二日間”の前には、ある病気が世界中で発生する。最初は、少数の人たちがかかるだけだけど、それが世界中で広がって恐ろしい病気になってしまう。その病気のせいで、人々は抱き合ったり、互いに親しくつき合うことを恐れるようになる。それから大きな戦争が起こって、真実に従って生きる人たちは、嘘に従って生きる人たちが自分たちを殺すのを許すことになる。全員ではないけど、多くの人たちがそうする。その犠牲は、集合的カルマの浄化に貢献しようとして、彼が選択すること。そのあと、僕らはみんな、全ての人間が互いに愛し合って生きる場所で暮らすようになる。そこはあなたが、言った“キリスト領域”みたいな場所。そのときから、すべたがまた新しくスタートする。
『ヒトラーの呪縛 上』 日本ナチカル研究序説
佐藤卓己 中央公論新社 2015/6/25
<「マルコポーロ」廃刊事件>
・阪神淡路大震災が起こった1995年1月17日、文藝春秋の月刊誌『マルコポーロ』2月号に「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった。」と題する医師・西岡昌紀の記事が掲載された。前文にはこうある。「実は『ホロコースト』=ナチスによるユダヤ人虐殺説には、今大きな疑問が投げかけられ始めているのだ。ユダヤ人が悲惨な死をとげたことは間違いない。しかし、ガス室で、計画的に殺されたという話には証拠が少ない」「欧米では、この種の疑問が、ジャーナリズムをにぎわしている。当のユダヤ人学者でさえ、疑問を呈しているのだ。なぜ日本のマスコミだけが、この問題を書かないのか。若手の医師が、個人で調べ上げた驚愕の新事実!」。ユダヤ人団体の反応は早かった。1月19日には、サイモン・ウィーゼンタール・センターが在米日本大使・栗山尚一に抗議、同誌の広告主マイクロソフト社などに広告掲載停止を申し入れた。同月30日には、同誌の廃刊と編集長の解任が発表された。
・ユダヤ人団体の日本メディアに対する抗議は『マルコポーロ』問題以前にもあった。93年7月にはウィーゼンタール・センターが第一企画出版の『最後の共産党的 日本を撃て』(モルガン・J・ヤコブ著)などの書籍広告を掲載した『日本経済新聞』に、94年10月には、「アメリカ・ユダヤ委員会」が徳間書店の『ロスチャイルド世界金権王朝』(J・アームストロング著)などの書籍広告を掲載した『読売新聞』に対してそれぞれ抗議している。これらの抗議は大手メディアがユダヤ陰謀本の広告を掲載したことに対してであったが、『マルコポーロ』問題は性質が違った。当時の『産経新聞』ワシントン駐在編集特別委員の古森義久は、アウシュヴィッツ解放50周年記念日にあわせるように出された同誌の記事について「これまでのユダヤ陰謀説が遠くからトラに石や紙ツブテを投げていたのだとすれば、こんどのホロコースト否定説はトラの尾どころか、頭をまともに踏みつけた」と書いている。
・『マルコポーロ』廃刊については、多くのメディアで評論がなされた。しかしユダヤ人陰謀説の書籍は、相変わらず出版が続いた。
・ユダヤ陰謀説とは少し違うが、ホロコーストを間接的に否定したとして、2014年1月には、『眠れなくなるほど面白いヒトラーの真実』(日本文芸社・2014年)が、ドイツ日本研究所の抗議により回収された。また、14年11月に『産経新聞』が「ホロコーストはイスラエル建国のためのでっち上げ」との見出し付きで書籍広告を掲載し、ウィーゼンタール・センターから抗議を受けて謝罪記事を載せるなど、ホロコースト否定と表現をめぐる問題は21世紀も続いている。
・後を絶たない「反ユダヤ」言説。ユダヤ人団体の抗議は内容に踏み込んで議論するものではなく、広告主への広告撤回要求など有無を言わさぬ方法がとられるのが特徴だ。『マルコポーロ』問題では、ウィーゼンタール・センターは次のような手紙を送って、反論掲載の申し出を断っている。「ホロコースト有無の論争は、1933年にヒトラーが権力の座についてから数年の間であれば、可能だったでしょう」「しかし、起きた後、それが起きたかどうかの論争は無意味となります」。
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