日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

エーテル界の人類の源郷か?神の国か?天上のエルサレムか?
チャネラーとコンタクティの情報を集めています。森羅万象も!

モースさんは、『遠野物語』に書かれていることは、どこの国でも、どの地方にでもある普遍的な話だとし、「そういう意味でも、『遠野物語』は世界的な文学だ」と話した。(3)

2018-05-22 20:41:56 | 森羅万象

 

 

『口語訳  遠野物語』

柳田國男  河出書房出版社   1992年7月

『遠野物語』は、1916(明治43)年に出版された日本民俗学の誕生を告げる記念碑的な本。

 

 

 

<魂の行方>

・土淵村の助役 北川清という人の家は、字火石(あざひいし)にあります。代々山伏で祖父は正福院といい、学者で著作も多く、村のために尽したんです。

 

・その清の弟で福二という人は、海岸の田の浜へ、聟に行きましたが、先年(明治29年)の大津波にあい、妻と子どもを失いました。その後は、生き残った二人の子供とともに、元の屋敷あとに小屋を作り、一年ばかりそこにおりました。

 

・それは夏の初め、月夜の晩のことでした。福二は、便所に起きましたが、便所は遠く離れたところにあり、そこまで行く道は、波の打ち寄せるなぎさです。

 

・霧の一面に広がる夜でしたが、その霧の中から男女の二人連れが近づいて来ました。見ると女は、たしかに亡くなった自分の妻です。福二は思わず、その跡をつけて、はるばる船越村へ行く岬の、洞穴のあたりまで追いました。

 

そこで妻の名を呼びますと、女は、ふり返ってにこっと笑いました。男のほうを見ますと、これも同じ里の者で、津波の難にあって死んだ人です。なんでも自分が聟に入る前、互いに深く心を通わせていたと聞いていた男です。

 

・「いまは、この人と夫婦になっています」と、女が言うものですから、「子どもはかわいくないのか」と言いますと、女は、少し顔色を変え、泣きだしてしまいました。

 

・死んだ人と話をしているようには思えず、現実のようで悲しく、情なくなりました。うなだれて足元に目を落としているうちに、その男女は再び足早にそこから立ちのき、小浦へ行く道の山陰をめぐって、見えなくなってしまいました。

 

・少し追いかけてもみましたが(相手は死んだ人なのに)と気づいてやめました。それでも、夜明けまで、道に立っていろいろと考え、朝になってからやっと小屋に帰りました。福二はその後もしばらくの間、悩み苦しんだということです。

 

(明治29年の大津波(明治三陸地震))

・明治29年6月15日(旧暦5月5日)夜8時ごろ、岩手県を中心とする三陸沿岸を襲った大津波のことです。波高は、38.2メートルを記録し、溺死者は2万2千人といわれ、最大級の津波でした。とくに、大槌町では、日清戦争の凱旋記念花火大会が行われていて、一瞬のうちに全滅という惨状だったといいます。

 

 

 

『よくわかる宇宙の神秘とUFOの謎』 

 (清家新一)  (日本文芸社)  1993/9

(清家博士が教える宇宙の仕組みと未確認飛行物体の真相)

 

 

 

<昭和32年の大学の学生のころからウラニデスとの宇宙人とのコンタクトがあった>

・私のもとへ届く通信によると、地球上に飛来するUFOはやはりプレアデス星団からのものが多い。彼らの科学技術は大変、高度であり、動植物や人間などクローン(複製品)を短時間でつくることができるらしい。彼らは、地球人の我々が認識している以上に、地球や地球人類に対する情報データを数多く収集している。なかには地球人そっくりに変身して、人類に紛れて生活をしている宇宙人もいるらしいのだ。

 

・また別の手紙も届いている。スペースマンより、ドクター清家へ!プレアデス星人よりー私達の星団には、人類が拠点としている三つの星があります。エラ星、フリートス星(大変明るい気分に満ちた惑星との接触)、カーネス星であります。

私達の多くはフリートス星で、カーネス星には、他の星から来た友人たちが住んでいます。リラやベファ、そのほかの多くの友人たちが行き来しています。

 

 

 

『柳田國男とヨーロッパ』    口承文芸の東西  

高木昌史   三交社    2006/4

 

 

 

<伝説><イギリス>

イギリス、特にケルト文化圏の民間伝承を、他のヨーロッパの国々と比べて場合、際立つ特徴のひとつは、妖精やエルフが登場する伝説や民話の豊かさにあるといえる。Fairy taleという言葉自体、妖精譚に限らず、おとぎ話や昔話など全体を意味し、イギリスの民俗的想像力において妖精という存在がもつ重要さがうかがわれる。

 19世紀以降に行われた民話や伝説の蒐集と研究においても、特に妖精やエルフなど超自然の存在に関する伝承に焦点をあてたものが多い。

 

・そしてイギリスの民間伝承には、2種類の妖精が登場するという。一つは、田園のエルフで、森や野原、丘や洞穴に棲む。村はずれの塚や丘の横腹に入口があって、そこから妖精の世界に入ることができる。もうひとつが、家の精で、人間の生活に仲間入りし、ミルクやクリームを好み、台所の仕事を手伝ってくれたりする。ホブゴブリン、ロビン・グッドフェローなどと呼ばれて親しまれ、陽気で、いたずら好きな性格である。

 

 妖精は人の姿をして、とても小さく、緑色の服をきて赤い帽子をかぶり、森や野原に姿を現す。ダンスを好み、月光の中で輪になって踊るため、翌朝には、草の上にフェアリー・リングという円形の跡が残る。

 

・妖精は時に人間のこどもを盗んで、偽せ者を替わりに置いていく。また、妖精のお産のところに人間の産婆がつれていかれることもよくあり、お産を手伝ったり、妖精の赤ん坊に乳を与え育てると、御礼に宝物をもらったり、まぶたに不思議な薬をぬられて妖精の世界が見えるようになったりする。

 

・柳田は「北部歐羅巴に今なお活動して居るフェアリーの如き、その発祥地である所のケルト民族の特性をよく代表して居る。フェアリーの快活で悪戯好でしかも人懐こいような気風は慥にセルチックである。フェアリーは世界のおばけ中正に異色である」

 

・柳田の書き込みは、「妖精と出産と人間の産婆」、「取換え子」の章にもっとも多くみられる。人間が妖精の国に行ったときには与えられたものを口にしてはいけないこと、妖精の中に見覚えのある顔があったりするため、人々の想像力のなかで死者の国と妖精の国がつながっていたという箇所に下線を引いた。

 

・「取換え子」の話は、妖精が人間の赤子を欲しがって盗み、代わりに年老いた妖精を子供にみせかけて置いていくという広く流布している話だが、柳田は、「生まれたばかりの赤子と神秘の世界との間には特別のつながり」があるとされていた、というところに下線を引いている。

 新生児は超自然の力に対して無防備で特に狙われやすく、子どもを守るために、妊婦の部屋に火を絶やさず、産後は三日三晩ランプを灯し続ける習慣があった、というところにも下線を引き、横に「ウヴ屋の火」と書き込んでいる。

 

・鉄への関心は、例えば、妖精の輪の中に引き込まれて踊り続け、1年後に出てきた男が、1日しかたっていないと思い込んでいたというウェールズ地方の伝説のくだりで、輪の中から若者を引きずり出す時に何か鉄のもので若者の体に触れると若者の命が助かる、というところのironの語にだけ柳田が下線を引いていることでもわかる。

 

・また「取換え子」の話も、妖精が種族の活力を強化するために人間の血を必要とするためだといわれている。

 

・柳田の関心のありかは、妖精の世界と死者の世界の重なりや、赤子と異世界との神秘的なつながり、産婆の妖精界訪問譚に注目していることなどから察するに、むしろ、妖精を媒介とした異界との往還にあったのではないかと思われる。人間の赤ん坊を妖精が盗んで取替え、また妖精の赤ん坊の出産を人間の産婆が手伝うという事は、出産と誕生が、妖精の世界とつながる契機となることを意味し、逆に鉄や塩は、そうした異世界への道を断ち切る手立てとなるのである。

 

<目に見える人間世界と地下の内なる未知の世界の接触交流>

・柳田は異類婚姻譚に関心を示した。リースの本への書き込みで、特に興味深いのは、そうした妖精妻の子孫が村のどこそこに今もまだいる、伝説が真実であることの証拠であるという記述があると、必ず下線を引き、欄外に「子孫あり」、「子孫名家」、「子孫繁栄」などと書き込んでいることである。妖精の子孫であることを誇る人々がここにいる、と柳田が感じ入りながら頁を繰っていった様子を彷彿させる。そして、こうした書き込みも、異界とのつながりの継承性が、柳田にとって重要だったことを示すとみてよいだろう。

 

・柳田が読んだイギリス、特にケルトの民話伝説にみられる妖精の世界は、超自然の異世界でありながら、人間の世界の近くにあり、密な関わりをもつ。行き来があり、人間の生活に加わってくる。

 

・異世界と人間をつなぐものとして妖精伝説に柳田は関心を持ったものではないか。そして、妖精の子孫を名乗る家が今なお健在であるという記述に注目する点に、柳田の面目躍如たるものがあるように思われる。それは『遠野物語』の序文で、山女、妖怪、怪異、霊など異世界との遭遇の物語がすべて今現在の事実の話であると主張したときから変わらない柳田の民間伝承観の一面をあらわすといっていいのではないだろうか。

 

 


 ■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

 

『遠野物語』の世界は、遠野地方に特有な話ではなく、全国にもあり、世界的にも似たような伝説があるといわれます。ザシキワラシも世界中に「子供の神様」として普遍的な伝説はあるといわれます。ザシキワラシは現代人も関心があり、伝説のザシキワラシの遭遇を求めて、東北を旅する人々もいるようです。ザシキワラシのような存在は、東北地方ばかりではなく、探してみれば、全国的なもののようです。

著者(木瀬公二氏)は、岩手県遠野市に移住して、2008年12月の朝日新聞記者の定年後は、盛岡総局所属の朝日新聞シニアスタッフライターとして活躍中とのこと。Amazonの「本」のカテゴリーに『遠野物語』といれますと、364件の書籍が分かります。関連した本は、もっと増えそうです。

「柳田国男」ですと1000冊以上の本がわかります。私たち一般人は、到底、把握できない量ですが、関心を持つ研究者も多いのでしょう。

 

・小人やカッパの伝承、子供の神様、異人や神人の伝説は、日本特有の伝承ではなく世界的なもののようです。ビッグフットやサスカッチ当の「獣人」の伝承も日本ばかりでなく、世界中に現代においてもあるといわれます。ビッグフットは空飛ぶ円盤から降ろされているのが目撃され、エイリアン・アニマルではないのかという説もあります。現代の日本でもヒバゴンの話がありました。世界的にオリオンETグループの関係するモンスター的な生物が存在するのかもしれません。今なお、底層4次元にモンスター・タイプが生存しているともいわれます。河童は、全国に伝承がありましたし、沖縄のキジムナーや奄美群島のケンムンも河童と全く同じではないのですが、似ている形態のUMA(未確認動物)ともいわれます。人間との交流もあり、総てがUMA(未確認動物)ではなかったようです。クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると、日本の河童はグレイの一種で、現在も海底基地にいると指摘されています。異次元の海底基地という話なのでしょう。河童も異人が空飛ぶ円盤から降ろしたバイオ・ロボットだったのかもしれません。「河童もゼータ・レチクル星人系列のバイオロボットの一種かもしれない」そうです。河童や天狗や鬼は、異星人だったのかもしれません。

「モースさんは、『遠野物語』に書かれていることは、どこの国でも、どの地方にでもある普遍的な話だとし、「そういう意味でも、『遠野物語』は世界的な文学だ」と話した」と指摘されています。

 

・「異人、天狗、童子、河童」などの様々な農民達の伝説が載せられてありますが、これらは昔、日本に飛来した異星人ではないのでしょうか。ヨーロッパに豊富に見られるサタン(悪魔)・フェアリー(妖精)伝説に共通するものがあるようです。現代でも『垣間見たあの世』の話はあるのでしょうか。ロシアや中国にもカッパに似た未確認動物(UMA)の伝承が多くあるといわれます。

 

・ついでながら、『河童』は、欧米で目撃例が非常に多かった小柄な宇宙人グレイの一種であるという説が、現代では有力になってきているそうです。人間との関わりもあったそうです。遠野地方には、明治時代頃まで、異次元と交わる場所が多かったのでしょうか。 

 

・米国では小柄なグレイばかりでなく「大柄のグレイ種」も報告されているそうです。グレイの長身タイプがリゲル人といわれます。リゲル人と爬虫類人の交配人種が築いた国が現在の日本と中国であるといわれます。リゲル人は、米政府と協定を結んだオリオン連盟リーダーであり、この集団は1954年に米国政府と協定を結び、彼らの技術と科学を導入しているといわれます。リゲル人も太古から、人間社会に同化しているのかもしれません。リゲル人は、こと座の内戦とそれに続くこと座星系へのりゅう座人の侵略を通じ、彼らの惑星は戦争で痛ましい損害をうけたため、肉体的にも遺伝子的にも弱々しい存在になっていると語られています。

 

・さまざまな怪奇現象は、「農民の幻視・幻覚、共同幻想」というよりもシリウス星人が人間の姿を装い現れた現象なのでしょうか。

 

・(ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)より引用)

2009/10/4、緑風荘、岩手県二戸市金田一の温泉郷にある旅館で火事が起きて座敷わらしを祀る中庭の亀麿神社以外が全焼したそうです。本館と別館で構成され本館母屋の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」に座敷わらしの目撃例が多く文化人・著名人が多く宿泊することで有名ですが、「槐の間」は人気が高く2011年12月31日まで予約で一杯だったといわれます。再建運動が起こって、最近では、再建されたようです。

(よくあるとされる不思議体験)

槐の間に限らず、客室を撮影するとオーブが写ることが多いとされる。

客室に奉納されている玩具(槐の間に限らない)のうち、発条で動くものは、誰も触っていない(発条を巻いていない)にも関わらず、夜中に勝手に動くことがあるとされる。

宿泊客が睡眠中金縛りにあう。髪を引っ張るなどいたずらをされる。深夜、廊下や枕元で走り回る足音が聞こえる。布団の上に乗ってくる。

 

・明治時代の柳田国男の『遠野物語』は不思議な話が多い民話集のようです。しかも柳田国男は、「全て事実」だというのですが。

 

・明治時代の遠野地方に現れた異人とは、オリオンETグループだったのでしょうか。平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔といわれます。リゲル人と爬虫類人の交配人種が築いた国が現在の日本と中国であるといわれます。欧米イルミナティは、日本のイルミナティは竜座人階層の下等な種の末裔であると主張しているといわれます。

 

・明治時代の『遠野物語』に現われた異人たちの話は、彼らが昔から地上を徘徊してきたことを物語るのでしょうか。山男は里人にとっては恐怖の対象である異人として語られていたようです。山男や山女の話も「農民の作り話」ではないと柳田国男は言うのですが、彼らの正体は不明です。柳田国男は当時の警察の「異人」の情報を調べなかったようです。

 

「スサノオ命は絶対神ヤハウェにほかならない」という奇説もあります。「天照大神はイエス・キリストのことである。天照大神を天照大神たらしめる天岩戸開き神話は、イエス・キリストの死と復活の場面を描いた物語にほかならない」という話も胡散臭い話です。しかし、天照大神クラスの異星人は、アプ星人のように、はるかに進化した宇宙人種族のようです。アプ星人は現代では南米にも飛来していると述べられます。金星人オーソンは、“真理”という意味、実は仏教では明星天子、キリスト教ではイエス・キリストであり、アダムスキー全集では“オーソン”といわれます。夢の中でアストラル・トリップしてクリスタル・シティでキリストに出会ったという欧米のチャネラーが多いそうです。「キリスト(アプ星人)の一族が地球を管理している」という奇説もあるそうです。キリストの出身星はアプ星だったそうですが、アプ星人は国際連合の設立に尽力したという話もあるようです。世界中に「自称イエス・キリスト」が数百人いるといわれます。キリストは新約聖書黙示録で輝く明けの明星(=金星人)であると述べ、またマタイによる福音書でも天雲(UFO)に乗って来るといわれます。青森県新郷村(しんごうむら)戸来(へらい)という村にキリストの墓があるというオカルト説が昔から言われております。キリストもアプ星人という宇宙人と理解すれば説明がつくといわれます。

 

・「あのバイオ・ロボットのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。「テレポート(瞬間移動)は、人間にとり奇跡ですが、宇宙人にとっては、それほど難しくないテクノロジーだ」と指摘されています。進化した異星人は、容易に幽体離脱ができアストラル界で「幽体」や「霊体」でみえない世界で活動できると述べられます。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」といわれます。「アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信する」といわれます。人間の死後の世界、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界ですが、私たち一般人は、当然詳しくはありません。「彼らは、シャンバラのアストラル界における天使団の代表者なのです」といわれます。「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっている」といわれます。細かい粒子の世界のアストラル界も現代の科学では解明されていません。

 

世界の神々は、宇宙人種族として共通性があるといわれます。わが国の天皇家の天之御中主神(あめのみなかぬし)やキリスト教の“天の父なる神”がスバル(プレアデス)信仰にあたります。観音がプレアデス星人、菩薩がリラ星人、如来がシリウス星人に対応するのかもしれません。プレアデスに日本人の原郷があるともいわれます。プレアデスやオリオンには日本人が多く住んでいるといわれます。プレアデス星人は人類に6000年進化している種族ですが、人類に近く神でも天使のような宇宙人でもありません。プレアデス人は古代リラ星人の末裔といわれます。プレアデス星座には6時間で行けるといわれます。プレアデスは日本人の原郷でもあり、金髪碧眼のプレアデス人もいます。金髪碧眼のノルディックと金髪碧眼のアルデバラン星人がよく混同されるそうです。金星蛇人と火星霊人の対立・戦争もあったようです。「米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、プレアデス人が招聘されたが、過去ヒトラーの人類浄化政策を画策し仏教を堕落させた」といわれます。もし事実とするならば、驚愕すべき話です。アシュターコマンドというのは金星の人で、イエス・キリストやお釈迦様で構成される12人のカウンシル(評議員)のうちのひとりといわれます。またここでいう金星というのは副金星、異次元の金星、アストラル界にある目に見えない金星のことのようです。金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。サナトクマラは、シャンバラと金星を往復しているマスターで、彼は、百戦錬磨の戦士だといわれます。シャンバラは異次元に突入した都市型の超巨大宇宙母船なのかもしれません。この“陰陽”の二系列は地底信仰の氏族のシャンバラ(セム)系とアガルタ(ハム、ヤペテ)系の二つにも見られるといわれます。

 

・ナチスをはじめ歴史のおぞましい虐殺・戦争の歴史には、ハム系とかセム系とかの血流の対立・抗争が底流にあるという説もあるといわれます。堕天使ルシファーが天使団の3分の1を率いて神に反抗したという太古の物語は、現代では「天使と悪魔」、「キリスト教会とイルミナティ」の争いとかの流れになっているようです。

 

・フランス人のラエルというコンタクティで有名なサタンと呼ばれるリラ星人は「実験室で人間を創った」といわれ、一方、シリウス星人は「思念で人間を創った(?)」と指摘されています。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。人類は45 万年前に地球にやってきたアヌンナキという異星人が、遺伝子操作によってつくった存在だといわれます。

 

・また、シリウス星人は遺伝子操作で人間がぞっとする生物を作ったので、神に嫌われたそうです。「フランスの『美女と野獣』の話は、異類婚姻譚だ」そうです。竜座人(ドラコ)が遥かに進化しており、このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティである。交配人種であるイルミナティが地球を支配していると指摘されています。

 

・以上の説は、オカルト的な奇説なのかもしれませんが、神々の世界は、世界的にも似ているところが多いといわれます。神々=異星人と考えれば、共通性があるのではないでしょうか。人間の死後の世界で出会うという天使たちも、世界的には共通のようです。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」ともいわれますが、死後に誰でも天使的な異星人、シリウス星人に出会うようです。幽界は世界の各国で文化のレベルの違いがあるのかもしれませんが、パラレル・ユニバース(並行宇宙)だそうです。この世に似ているが、大きく違う世界のようです。やはり米国人の死後の世界、サマーランド(常夏の国)が一番すすんでいるようです。昔の西方極楽浄土のことでしょうか。

 

・天使的な異星人、シリウス星人はポジティブ・グループとネガティブ・グループが存在して、大宇宙を一層、複雑にしているようです。「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれますので、不思議な話です。善と悪の世界がそれぞれ衝突しているのでしょうか。「人類の歴史は、平和な時代よりも戦争の時代が長かった」といわれます。今も、中東情勢は、戦闘が激化して、多くの難民が生まれております。

 

・古代イスラエル人やユダヤ人と渡来人たちを結びつける説も奇説でしょうが、そのような繋がりも全て否定することはできないようです。

「お内裏様=スサノオ命はヤハウェ」説も荒唐無稽な奇説のようですが、日本神話からはスサノオ命の正体は分かりません。スサノオ命はオリオン星人かシリウス星人系列の神なのでしょうか。

 

・「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」ともいわれ、人類に5万年進化しているオリオン星人が昔から日本社会に浸透していたのかもしれません。神々の世界は目に見えない世界なので、預言者やチャネラーからの情報に頼る以外は方法がないようです。またスサノオ命は旧約聖書の「牛神」という説もあるようです。サナンダという金星のマスター(長老)に葉巻型の巨大宇宙母船で会見した日本人もいるそうです。アヌンナキとかサナンダといわれる金星のマスター(長老)が活動の中心ともいわれます。かつてイエスであった存在は現在「サナンダ」と名乗っており、アシュタールとともに彼の宇宙船に住んでいるといわれます。イエス・キリストの転生した長老だそうです。高級神のイエス・キリストは非常に多くの異星人に同時に憑依できる能力があるそうです。これが「多次元同時存在の法則」というものでしょうか。

 

・「お雛様=天照大神はイエス・キリスト」という荒唐無稽な奇説もあります。が、イエス・キリストはアプ星人で非常に多くの転生をしているそうです。アプ星人は南米にも現れており、国際連合の設立に協力したそうです。

 

・「<山田の蜃気楼>海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。それは、見たこともない都会のようです。道路をりっぱな馬車がひっきりなしに通り、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など毎年少しも違いがないということです」という話も異次元に突入した都市型の宇宙母船でも幻影として見えるのでしょうか。単なる蜃気楼の話にしかすぎないのかもしれませんが。

 

・「この度の大地震に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、犠牲になられた方々と、そのご遺族の皆様に深くお悔やみ申し上げます」という常套句が、これからも未来において、しばしば使われるのでしょうか。この頃は、全国で地震が起こっているようで、地震大国で止むを得ないのですが、不気味です。

 

・さて「専門家の想定外の大津波」で壊滅的な約30兆円の被害と約3万人の死者がでた東日本大震災ですが、チリ地震の津波を基準にして作成された防災計画は役に立たなかったことは、非常に残念です。なぜ明治29年の大津波の40メートル(明治三陸地震)を基準にしなかったのでしょうか。昭和8年(1933年)の昭和三陸地震の教訓は生かされたのでしょうか。昭和三陸地震の際、津波が襲来した後の田老村は、家がほとんどない更地同然の姿となったそうです。

 

・3階以上も超えてくる大津波ではたまりません。原発の津波の防災レベルも5メートルの津波基準で低かったので未曽有の国家危機となりました。放射能が東京まで飛んできたら大変な危機でした。東京の住民が避難する懸念もあったそうです。松下幸之助が「国土の狭さが諸悪の根源だ」と言ったことが思い出されます。

 

 

・防災計画は日本の津波災害史上で最大の被害となった明治29年の大津波40メートル(明治三陸地震)を基準にすべきだったそうです。「東日本大震災は、すべて行政の責任だった」と指摘されています。

 

明治三陸津波の到達高は、全般的に10メートル程度、最大で38メートル。防潮堤の高さは、資金面から限られますが、避難基準に「明治29年の大津波(明治三陸地震)」のものを参考に適用すべきだったそうです。 「明治29年の大津波(明治三陸地震)」教訓は、一部の民間人の教訓にも活かされたようです。

 

・宇宙人が地上に着陸するという現象よりも、ウォーク・イン(憑依現象)やワンダラー(転生現象)の現象は、高次元の知的生命体による霊的な精神界の現象として考えられるのでしょうか。人は皆、前世から転生する時に記憶を消去される“記憶を失った異星人”だという説もあるといわれます。

 

・河童やグレイと共に飛来した宇宙連合の神人や異人、遥かに進化した宇宙人たちは、ウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)のような何らかの形で人間社会に浸透しているそうです。人間を造った遥かに進化した異人の有様は、私たち一般人には識別不能のようです。

 

・コンタクティの話から、宇宙人の地球におけるネットワークがあるそうです。闇の権力のように高等知性体のネットワークは、現代の知識人にとってタブーのようです。

 

イタリアのコンタクティ、マオリッツオ・カヴァーロによると河童はグレイの一種で、現在も異次元に存在しているそうです。河童とともに飛来した異人のネットワークは昔からあるのでしょうか。そしてグレイ種は「人間タイプ」が非常に増えていると語られています。

 

・バイオロボットといわれるグレイとともに飛来した金髪碧眼のノルディックは、エンジェルともプレアデス星人ともアルデバランからきた宇宙人とも言われています。その後の話ですとノルディックとオレンジは、両方ともプレアデス星座の“アルテア4・5”から来ているといわれています。米国が宇宙連合とコンタクトしてから60年、宇宙でははるかに進化の速度が速くて、「プレアデスからシリウス星人の世に変わる」とも言われているそうです。2012年はアセンション(次元上昇)の時代といわれました。アセンディド・マスター(高級教師)が人間の姿を装い地上にでも出てきていたのでしょうか。

 

・天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人はパラレル・ワールド(並行宇宙)に棲んでいるそうです。歴史のシナリオを描くというシリウス星人は、どのようなシナリオを描いているのでしょうか。彼らが、人間に憑依しても誰も識別できないそうです。「宇宙人と普通の人間が区別できなくなっている」と語られています。

 

・清家博士は、昭和32年ころからの体験を述べています。大平総理から研究資金を援助してもらった逸話があったといわれます。しかしながら、当時の学界から無視された学者であったようです。あまりにも進み過ぎた学者であったようです。「当時から火星人も地球人に同化していた」のかもしれません。

ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)をみますと、

清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月 - 2009年(平成21年)12月)は、日本のUFO研究家。

 

愛媛県宇和島市出身。東京大学理学部大学院修了後、茨城大学機械工学や愛媛帝京短期大学物理学教室で教鞭を取る。本人の弁によれば、学生時代に火星人の女性からのラブレターを受け取ったという。1969年(昭和44年)に「超相対性理論」を発表し、1973年(昭和48年)に宇和島市長堀、三島神社下に「重力研究所」(現「宇宙研究所」・同市、野川)を設立してUFO研究や宇宙人の研究に本格的に取り組む。重力消滅の実験、「空飛ぶ円盤」の試作やタイムマシンの理論と試作、重力子反応炉などの研究に取り組み、完成間近であるかのようなタイトルの著作を何冊も刊行と論文発表(識者の査読はなされていない)したが、未だに完成はしていない。1973年(昭和48年)より雑誌『宇宙艇』を刊行していたが、1998年(平成10年)の163号を最後に休刊している」とのこと。

 

ヨーロッパのフェアリーの伝説は、日本のザシキワラシ(座敷童子)や米国の リトル・グリーンマン、また道教の家の神様との相似性を強く印象づけます。小柄で異形で、異次元移動をしていたので、特に伝説に残ったようです。ヨーロッパを徘徊していた当時の服装をしている人間タイプの異人は、誰も分からなかったようです。現代ではウンモ星人がヨーロッパの社会に潜伏しているそうです。戦後、米国に金髪碧眼のノルディックとともに空飛ぶ円盤に同乗していた小柄なグレイと呼ばれる宇宙人は、バイオ・ロボットともゼータ・レチクル星人ともリラ星人系列の宇宙人とも言われています。米国で2万頭ものキャトルミューテレーション(動物虐殺)をおこないました。鋭利な刃物のようなもので内臓がえぐり取られていたそうです。グレイの栄養補給に使われたと語られています。

 

・アブダクション(誘拐)やキャトル・ミューティレーションでは米国のマスコミや警察は大騒ぎをしたようですが、アバブ・トップシークレットの情報統制により沈静化したようです。米国政府とゼータ・レチクル星人との密約が喧伝されました。現在ではタウ星人とロシアの密約とか、米政府とイスラエルとシリウス星人との通商協定の密約がリークされているそうです。

 

・キャトル・ミューティレーションの現場では小柄な異星人グレイの存在が確認されており、UFOも確認されています。ゼータ・レチクル星人の一部は遺伝子上の問題を抱え、種族全滅の危機に瀕しており、人間の遺伝子を求めて地球に飛来したという説もあるそうです。また、牛の内臓の栄養物を皮膚から吸収して生存しており、食道器官や排せつ器官もないともいわれています。

 

・グレイは壁を透き通るようにして部屋に侵入してくるともいわれ、メン・イン・ブラック(黒衣の男たち)のオリオン星人も異次元移動ができたようです。グレイはアイゼンハワー大統領の前で空中浮遊をしたともいわれております。あまりにも凄まじい超テクノロジーのためにアバブ・トップシークレットにしたようです。フェアリーと人間の「取換え子」の伝承は豊富にあるようです。また人間タイプの異人との「取換え子」の伝承もあるそうで、こちらの事例は容易に識別ができないため、伝承にもならなかったようです。

 

・フェアリーとの異類婚姻譚は伝承に多くありますが、異人との異類婚姻譚は誰も分からないようです。異人や神人の「取換え子」の伝承は、昔からあったようです。「中世のドイツの領主はほとんど異人の末裔だった」という説もあるそうです。超太古は、天使のような異星人と人間の女が交わり、徐々に人口が増えて文明や文化が育ち始めたそうです。堕天使が地球の女を狙って降りてくるといわれます。堕天使の性的な能力は異常に高いともいわれます。またオリオン星人は非常に階級意識が強く、グレイを使用人として使役しているともいわれています。そこで異次元世界については、私たち一般人は、理解不能のようです。

 

 

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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ

日本は津波による大きな被害をうけるだろう

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「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

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「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

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「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」

「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

 

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モースさんは、『遠野物語』に書かれていることは、どこの国でも、どの地方にでもある普遍的な話だとし、「そういう意味でも、『遠野物語』は世界的な文学だ」と話した。(2)

2018-05-22 20:40:43 | 森羅万象

 

 

『「ピラミッド」の謎』  失われたメシアの神殿

フリーメーソンのカッバーラで読み解く未知なる第三玄室の正体と大嘗祭の秘密

飛鳥昭雄・三神たける  学研  2010/1

 

 

 

絶対神ヤハウェと出雲族

・古代エジプトからイスラエル人を導いた絶対神ヤハウェは、しばしば雲として姿を現した。昼は雲の柱、夜は日の柱となって道標になった、と『旧約聖書』にはある。モーセが十戒を授かったシナイ山でも、神が臨在する山頂は雲で覆われ、雷鳴が響きわたった。雷雲は神の顕現の証であり、それは十戒石板を収めた契約の聖櫃アークでも同様だ。契約の聖櫃アークに神が宿ると、移動式の神殿である幕屋の上に雷雲が現れた。

 

 これらの情景をすべて表現したのが、実は神社なのである。日本人は見慣れているせいで、まったく意識していないのだが、神社の拝殿は臨在の幕屋を象徴しているのだ。

 まず、幕屋の名にあるように、神社は祭礼のとき、社殿を幕で覆う。神の臨在のしるしとなる上空の雷雲は、巨大な注連縄である。大根締めとも表現される太く大きな注連縄は、雷雲を表現しているのだ。その証拠に注連縄の間からは雷の稲妻を示す白い紙垂、雨を示す縄が垂れ下がっている。

 祈願するときにお賽銭を入れる箱は契約の聖櫃アークの象徴であり、その上にある鈴は雷鳴となる音を出し、それを鳴らすための綱は、まさにイスラエル人を導いた雲柱にほかならない。

 

このように、神社における雲は、みな絶対神ヤハウェの象徴なのである。このことを示す名が「出雲」である。天津神を奉じ、天照大神の子孫と称する天孫族に対して、国津神を奉じる出雲族はスサノオ命の子孫を称す。天照大神が太陽神であるのに対して、スサノオ命は嵐を呼ぶ荒神である。それゆえ、太陽の輝きを隠す雲は、天孫族に対抗する出雲族のシンボルと見なされてきた。

 

・天照大神はイエス・キリストのことである。天照大神を天照大神たらしめる天岩戸開き神話は、イエス・キリストの死と復活の場面を描いた物語にほかならない。天岩屋にお隠れになった天照大神とは、死んで横穴式墳墓に葬られたイエス・キリストであり、常世の長鳴き鶏はペトロの鶏、裸踊りをした天鈿女命(あめのうずめのみこと)は娼婦とされたマグダラのマリアを示す。天岩戸から出てくる際、八咫鏡に写った天照大神の姿は、性的に鏡像反転した男神を暗示し、かつ、その八咫鏡を吊るした真賢木は、イエス・キリストが磔になった十字架を示しているのだ。

 これはイエス・キリストを信じるユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が渡来し、ユダヤ教起源の神道をフォーマットしていく過程で、かってパレスチナでも同様なことがあったように、保守的なユダヤ教徒たちが反抗。やがて、雲をヤハウェ顕現のシンボルとする出雲族と呼ばれていったのである。

 

 いずれにせよ、神社の構造は出雲族の影響を強く受けている。神殿構造を分析するに当たって、出雲というキーワードは意外なことに、かの大ピラミッドの謎も解き明かすことができるのだ。

 

<上古出雲大社と第三玄室>

・しかし、八雲をヤー雲、すなわちヤハウェの雲と考えれば、ヤハウェの神殿である大ピラミッドに関する謎かけであると想像してみたくなる。というのも、頂上部にある第三玄室と第三重力拡散の間の高さは約288メートル。そう、ちょうど、96丈なのである。

 

 しかも、第三玄室には、そこにいたる大回廊が存在しない。この世ではなく、あの世の神殿だとすれば、対応する上古出雲大社が実在しない理由も納得がいく。

 

・第一玄室を今日の出雲大社であるとすれば、古代出雲大社と上古出雲大社は、それぞれこうなる。

 

出雲大社:第一玄室御子:ヤハウェ=イエス・キリスト

古代出雲大社:第二玄室:聖霊:コクマー=ルーハ

上古出雲大社:第三玄室:御父:エル・エルヨーン=エロヒム

 

 ご覧のように、上古出雲大社は第三玄室、すなわち御父エロヒムの神殿とみなすことができる。『旧約聖書』と『新約聖書』を通じて、御父エロヒムは直接、人間と接することがない。カトリックやプロテスタントは御父をヤハウェと見なしているために、この重要なポイントがわからなくなっているが、カッバーラにおいては一目瞭然。第三玄室にいたる大回廊が存在しないのも、上古出雲大社が実在しないのも、それは御父エロヒムの神殿であるからにほかならないのである。

 

<大ピラミッドで行われた儀式と大嘗祭>

・古代エジプト人が日本人と似た思想をもっていることを指摘する吉村教授であるが、もうひとつ、三大ピラミッドを含めたギザ大地の遺跡が、伊勢神宮に似ているというコメントをしている。三大ピラミッドが定説でいうようなファラオの墓ではなく、死後の世界を再現した壮大な神殿であると主張する吉村教授は、内宮と外宮、別宮や摂社などを併せて125社から成る伊勢神宮の神域に、同じ神々の世界を見たのかもしれない。

 

・この疑問については吉村教授は、こう考える。古代エジプトでは、ファラオが死ぬと鳥のような姿をした魂カーは天空に飛翔して、オリオン座のダウトという領域にいたり、やがて神になると信じられていた。大ピラミッドは、そのための巨大な装置である。ファラオの魂が天に昇る際、玄室や大回廊、女王の間で儀式が行われた。しかも、それは東西ふたつ、両方の神殿で行われたに違いない、と。

 

<地底王国シャンバラ>

・ヒトラーが夢見たシャンバラとは、いったい何なのか。ひとことでいえば、それは理想郷である。かつて人類がなしえなかった楽園の名前である。そこに住む人々は、だれもがこの世の真理を悟り、高度なモラルのもと、争いのない社会を実現しているという。

 ただし、シャンバラは地上世界にはない。一般の人間の目から隠された聖なる場所、すなわち神々が住むヒマラヤの地下に存在し、その入り口は、はるかなる北の果てにあるといわれる。

 

・だが、しかし。こうした見解に対して、チベット密教の最高権威、ダライ・ラマ14世はシャンバラが実在すると断言する。たんなる象徴を超えて、リアルな世界として存在するというのだ。ここに密教の恐ろしさがある。

 

チベット密教とカッバーラ

・最終経典にシャンバラが説かれているように、シャンバラの存在を最初に説いたのは仏教の開祖、釈迦なのだ。釈迦は自ら、北の果てにシャンバラへの入り口があると説いた。なぜ釈迦はシャンバラの存在を知っていたのか。

 

<釈迦はセムメーソンだった!>

・神秘思想における樹木は、いうまでもなく「生命の樹」であり、カッバーラの奥義を示す象徴である。説いた教えがカッバーラの叡智と通底することを考えれば、釈迦がカッバーリストであり、預言者であったことは間違いない。神を信じ、神とまみえ、そして神の言葉を授かったフリーメーソンだったはずである。

 

 注意してほしいのは、ヤフェトメーソンではなく、セムメーソンだという点である。バラモン教はアーリア人の宗教であり、それを担ったのはヤフェトメーソンだが、釈迦はセムメーソンだった。

 

・モンゴロイドはアーリア系ではない。有色アジア系であり、ユダヤ人やアラブ人、そしてトルコ人と同じセム系なのである。したがって、釈迦がカッバーリストならば、民族的にセムメーソンだったと考えられるのだ。

 しかも、それだけではない、釈迦はシャンバラの住民と同じ血を引いていた可能性がある。鍵となるのは、釈迦族=サカ族を生みだしたスキタイにある。

 

<失われたイスラエル10士族はどこへ消えた?>

・ソロモンの死後、王国は分裂。紀元前925年、イスラエル10支族から成る北朝イスラエル王国が独立すると、残る2支族は南朝ユダ王国の樹立を宣言した。このうち、南朝ユダ王国の末裔が今日のユダヤ人である。

 問題は北朝である。北朝イスラエル王国は紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を拡大してきたアッシリア帝国によって、あっけなく滅亡。国民は捕囚され、遠くユーフラテス河流域へ強制的に移住させられてしまう。それから約200年ほど、イスラエル10支族はメソポタミア地方に住んでいたのだが、先述したように、いつの間にか集団で姿を消してしまうのだ。

 

・さて、ここで思いだしてほしいのが釈迦族である。サカ族はスキタイ系騎馬民族の流れを汲みながらも、本流ではなかった。マガダ国の釈迦族はモンゴロイド、すなわちセム系だったことを考えると、何か見えてこないだろうか。

 そう、釈迦は失われたイスラエル10支族だったのだ。ガウタマ・シッダールタのガウタマが優れた牛を意味するように、釈迦は10支族のうち、雄牛のシンボルをもつガド族のイスラエル人だったのである。

 

 最終仏教であるチベット密教を奉じるチベット民族も、しかり。チベット人は、東に広がった失われたイスラエル10支族である。チベット系民族のチャン族やカレン族が、失われたイスラエル10支族であることは、今日、イスラエル共和国の情報機関「アミンシャーブ」の調査によって判明しているのだ。

 

<失われたイスラエル10支族の本隊がいる場所>

・スキタイによって連れ去られたイスラエル10支族とは別に、自主的に北へ向かった人々がいる。彼らこそ、実は失われたイスラエル10支族の本隊である。『旧約聖書』の外典には、こんな記述がある。

 

「彼らは、多くの異邦の民を離れて、人がまだ誰住んだことがないほかの地方に行こうと決心した。彼らはそれまで住んでいた地方では守ることのできなかった掟を、そこで守りたかったのである。彼らはユーフラテス川の狭い支流を通って入って行った。その時、いと高き方は彼らにしるしを行い、彼らが渡るまで、川のせきを止められた。その地方を通りすぎる道のりは長く、1年半に及んだ。その地方はアルザルと呼ばれている」(エズラ紀(ラテン語))第13章41~45説)

 

・失われた10支族は、ユーフラテス河を遡行した。方角でいえば北である。北に向かって1年半、歩いた。真っ直ぐ行けば、行き着くのは北極である。極寒の北極圏にいたって、彼らは約束の地「アルザル」を見出した。そこで失われたイスラエル10支族は、神の教えを守り、大いに繁栄しているという。これに対応するかのように、『旧約聖書』には失われたイスラエル10支族に関する、こんな預言がある。

 

「見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し地の果てから呼び集める」(「エレミヤ書」第30節8節)

 

何か変だと思わないだろうか。アルザルの記述は、まるでシャンバラのようである。理想郷であるといい、地上のどこにもない点といい、入り口は北の果てであるという話まで、シャンバラそっくり。いや、文字通りシャンバラなのだ。はっきり断言しよう。アルザルとは、まさにシャンバラのことなのだ。

 

 失われたイスラエル10支族の本隊は現在、シャンバラに住んでいる。同じ失われたイスラエル10支族の血を引く釈迦は、その事実を知っていた。北の果てに楽園への入り口があり、失われたイスラエル10支族は、そこからシャンバラに入った。釈迦はすべてを見通していたからこそ、弟子に語り、その言葉は最終経典として残された。

 

<地球内天体アルザル>

・シャンバラは神秘主義者によって、しばしば地球空洞論と結びつけられてきた。地球の内部は伽藍堂のようになっており、内側には地上と同じような環境が広がっており、そこには人が住んでいる。彼らは理想社会を実現しており、ときどき地上に現れて人類を教化、指導しているという。

 

・では、シャンバラはどういう形で存在するのか。これを現行科学で理解するには少しむずかしい。まだ一般に認められていない現象を前提とするからだ。その未知なる現象とはプラズマ・トンネルである。

 プラズマとは気体、液体、固体に続く物質第4の状態で、原子を構成する電子と原子核がバラバラになった高エネルギー状態を意味する。プラズマの研究は現在、核融合をはじめさまざまな分野で進められているが、まだまだわからないことが多い。ちょっとした条件変化によって、プラズマが消滅したり、生物のような振舞いをしたりする。

 

<秘密組織フリーメーソン>

・詳細は既刊に譲るが、結果として、人類はノアの大洪水を生き延びることができた。箱舟がアララト山に漂着し、そこから出てきた4人の男、すなわちノアと3つ子の兄弟ヤフェト、セム、ハムは、ともに神聖なる預言の鍵を手にしていた。いわば預言者である。

 預言者の組織を「フリーメーソン」という。今日、世に知られる秘密結社としてのフリーメーソンは近代フリーメーソンである。1717年にイギリスで結成されたグランドロッジから派生した組織である。もっとも、アングラの偽フリーメーソンも多々ある。最近ではマフィアのフリーメーソンもあり、儀式や秘密の文言を共有し、それだけ見て判断する限り、承認されたフリーメーソンと見分けがつかない組織も多くある。

 

・だが、そうした近代フリーメーソンとは別に、本物のフリーメーソンがある。近代フリーメーソンが成立する以前にもフリーメーソンは存在したが、それとも違う。預言者の秘密組織としてのフリーメーソンが、実はこの地球上に存在する。主に密議宗教の祭司の組織という形で継承されており、それをたどっていくと必ずノアに行き着く。

 もちろん、ノアの先もあり、エノクを経て最後はアダムに遡る。人類最古のフリーメーソンとは、「アダムメーソン」である。エノクもまたアダムメーソンだ。

 ノアに至った段階で、アダムメーソンに大きな変革が起こる。「生命の樹」の象徴に応じて、預言者の奥義が3つの流れに分かれた。すなわち、ノアの3人の息子が独自のフリーメーソンを形成したのである。

 

ヤフェトからは主に白人、アーリア系民族、コーカソイドが、セムからは主に黄色人種とユダヤ、アラブ系、モンゴロイドが。ハムからは主に黒人が派生していく。とくに、セムメーソンはカッバーラの重要な鍵を継承した。

 そして、セムの子孫からはアブラハムが生まれ、ヘブライ人が誕生した。セムメーソンは「ヘブルメーソン」となって、『旧約聖書』の預言者を輩出することとなり、『新約聖書』の時代にあってはバプテスマのヨハネはもちろん、イエス・キリストや12使徒らがカッバーラを継承し、今日に至っている。

 

<古代エジプトのカッバーラと三大ピラミッド>

・冥界の王オシリスは、姿を現さない至高の神エル・エルヨーンであり、慈悲の母神イシスは救世主、イエス・キリストを示し、隼の頭をもつホルスは、鳩という鳥の象徴で示される精霊ハールとなる。これを念頭に三大ピラミッドの神殿を対応させる、こうなる。

 

第一ピラミッド:慈悲の柱:御子:ヤハウェ=イエス・キリスト:イシス

 

第二ピラミッド:均衡の柱:御父:エル・エルヨーン=エロヒム:オシリス

 

第三ピラミッド:峻厳の柱:聖霊:コクマー=ルーハ:ホルス

 

おわかりのように、大ピラミッドはイシスの神殿となる。実際、大ピラミッドには「イシス神殿」が付随している。これは大ピラミッドそのものがイシスの神殿であるという認識が、古代エジプト人口にあった証拠なのだ。

 

 

 

『シュメールの天皇家』 陰陽歴史論より

 鷲見紹陽 明窓出版    2010/1

 

 

 

<高天原はスバルである>

<太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきた>

・本書の「陰陽歴史論」とは、高天原の昴(スバル)系の氏族とアースガルトやアガルタの地底系氏族という“陰と陽”の二系統の血脈の関わり、抗争の中で歴史は動いてきたのであり、それが歴史の真相であったことからつけたものである。

 

・さらにこの“陰陽”の二系列は地底信仰の氏族のシャンバラ(セム)系とアガルタ(ハム、ヤペテ)系の二つにも見られ、後者はさらに親高天原と反高天原に分かれた。

 

<スバル、北極星、オリオンの三位一体>

・これまでわが国の天皇家の天之御中主神(あめのみなかぬし)やキリスト教の“天の父なる神”がスバル(プレアデス)信仰にあたり、セム系氏族が北極星、北斗七星信仰、ハム系氏族がオリオン、シリウス信仰であることを明らかにしてきた。

 

なおヤペテ系氏族はスバルと同じ牡牛座のアルデバラン(ヒアデス星団の赤星)信仰と考えられる。

 

・この地底世界の実体は不明だが、一部にはプラズマ亜空間説が出されている。空間が歪曲して異空間へとつながっているという説明もあり地底世界というより、別次元の世界と考えられる。

 

・厳密にはアガルタとシャンバラを区別しなければならないようである。つまり、ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである

 

・藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となる。

 

・このヤペテ、ハム対セムの対立は天界で天の父なる神に反抗した堕天使に対してヤハウェ(またはミカエル)が天使の三分の二を率いて天の父なる神の側につき、堕天使とそれに従った三分の一の天使を地底世界に落とした事に遡る。セム系対ハム系、ヤペテ系の対立で、後者がヤハウェ側と天使側の半分ずつに分かれたことで、三分の二対三分の一となる。

 

・セム系民族はエンキの北極星、北斗七星信仰、ハム系民族はエンリルのオリオン信仰であった。

 

・我が国の神社の大半がスサノオやニギハヤヒ、つまりバールやミトラを祭祀し、その系列神を祭神とした物部氏の神社で、オリオン信仰であり、ハム系の神々を祀ったものであった。

 

・イザナギの黄泉の国訪問譚はギリシア神話のオルペウスの話がモデルで、途中で約束を破って振り返って見たため永久に妻を失ったエピソードなど同一のものである。なお、イザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)である。

 

・大伴氏と物部氏は天皇家をはさんで、セム系とハム系の陰陽の関係にあり、東日本を大伴氏、西日本を物部氏が支配したが、本来は対立関係にあった。

 

・ハムもセムもノアの子としてアースガルト、アガルタ、シャンバラという地底に起源をもつが、北欧神話などを読むとセム系とハム系の住む領域も異なり(シャンバラはセム系の世界)、元々は対立していたのが、セム系がハム系に服属して和解したことになっている。

 

・シャンバラとアースガルト(アガルタ)は対立関係にあった。セム系は北極星、北斗七星信仰で、ハム系はオリオン、シリウス信仰で別系統のものが系図で兄弟とされている。

 

・セム系は“文”の性格が強く、ハム系、ヤペテ系は“武”の血脈である。ハム系の中でもカナン人は、ノアによって呪われ、“カナンの呪い”という言葉が残っているが、聖書の中でもキリストが忌々しきものマムシの末裔として避難している。

 

・この我が国におけるセム系とハム系、高御産巣日神系(たかみむすび)と神高巣日神系(かみむすび)が、天皇家を間において対立・抗争してきたのが日本の歴史で、しかもそれは国民の一割前後の民族の抗争であったとするのが本書である。

 

<天孫降臨の地は飛騨である>

・スワティカ(卍)は、もともと宇宙エネルギー発動の神聖な表現である。

 

・北欧神話のアースガルトがインド神話のアガルタという地底世界への信仰を有するトゥーレ協会という一種の秘密結社で、ヒトラー自身が、その地底世界を求め探検隊をチベットに送ったり、そこで知りえたものと思われる。

 

・ナチスとアガルタの結びつきについては多くの人が論じている。有名なスウィフトの『ガリバー旅行記』もケルトによる地下世界探検譚を集めて書かれたものである。

 

 

 

『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』

三神たける 飛鳥昭雄  学研   2011/5/11

 

 

 

<インディアンは失われたイスラエル10支族だった>

・もし仮にユト・アステカ語のルーツが古代ヘブライ語にあるとすれば、当然ながら、インディアンやインディオたちのルーツがヘブライ人、すなわち、古代イスラエル人であった可能性が出てくる。よく誤解されるが、ユダヤ人を含めイスラエル人はもともと民族的に白人ではない。セム系の民族である。アラブ人を含め、アジアのモンゴロイドと同じ人種なのである。

 

・イスラエルの全大学の監督官であり、教育文化省の長官であったアビグドール・シャハンによると、南北アメリカ大陸に失われたイスラエル10支族がやってきていたことはほぼ間違いなく、アステカやマヤなどのピラミッド型神殿は、もともと古代イスラエルの神殿とまったく同じものであると主張する。

 

<縄文・弥生人はイスラエル人だった>

・南北アメリカ大陸のインディアンやインディオは古代イスラエル人の血を引く。だとすれば、だ。当然ながら、同じ環太平洋文化圏に属し、遺伝子的に同じ人種であるアイヌや琉球民族もまた、古代イスラエル人の末裔である。縄文人と弥生人はその文化からは想像もつかないが、実は契約の民だったのである。

 

 イスラエル人がいるとことには、必ず預言者がいる。霊能者や巫女、シャーマンと呼ばれる人々のなかには、絶対神ヤハウェの言葉を預かる者がいるのだ。縄文文化圏と弥生文化圏と、ふたつに分かれてはいるものの、そこには預言者がいたはずだ。

 

・縄文文化を今に受け継ぐアイヌの奥の院には、女性のシャーマンだけから成る秘密組織がある。同様に、弥生文化を継承する沖縄の琉球民族にはユタやノロ、そしてカミンチュがおり、かつて聞得大君という女性の祭祀王がいた。おそらく邪馬台国の卑弥呼もまたそうしたシャーマンであり、預言者だったに違いない。

 

<ユダヤ人徐福の渡来と籠神社>

・日本列島が縄文文化と弥生文化を育んでいた紀元前3世紀、中国大陸から渡来人がやって来る、なかでも大量の民を引き連れてやってきたのがほかでもない、ユダヤ人徐福である。徐福は、同じくユダヤ人の血を引く童男童女と技術者を率いて日本列島へと集団渡来してきた彼らはアケメネス朝ペルシアから東漸し、秦帝国へとやってきた亡命ユダヤ人たちの子孫である。

 

<卑弥呼はユダヤ人預言者だった>

・籠神社が所蔵する国宝「海部氏勘注系図」には天火明命の子、天香語山命を初代として、第8代目の丹波国造に日本得魂命なる人がおり、その娘の名が「日女命」と記されている。日女命はヒメ命、もしくはヒルメ命と読むことができるように、太陽神に仕える巫女を意味する。これは太陽神の巫女=日巫女、つまり卑弥呼のことなのである。

 

<イエス・キリストの降臨>

・皇室はもちろん、漢波羅秘密組織の八咫烏たちが秘かに伝える驚愕の事実。それは、イエス・キリストの出現である。実に驚くことだが、復活して天に昇っていったはずのイエス・キリストが4世紀の日本に降臨したのである。

 

<ふたつの鴨族>

・ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏はイスラエル12支族のなかでも主にユダ族とベニヤミン族から構成されているが、なかには祭司レビ人もいる。彼らレビ系秦氏の中核が賀茂氏である。神道祭祀を一手に握る賀茂氏は「鴨族」とも呼ばれ、全国の神社を支配している。なかでも、京都の下鴨神社と上賀茂神社の鴨族は事実上、神道の元締めといっても過言ではない。

 

<大酒神社の祭神ダビデと物部氏>

・物部神道がユダヤ教であるならば、先の「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という表現を踏襲できるだろう。あえていうならば、「ダビデ、物部守屋の神」だ。この場合、物部守屋を崇拝する物部氏たちにはダビデの子孫が含まれていたことを示唆する。徐福に率いられて物部氏になった東ユダヤ人は、南朝ユダ王国の民であった。これはユダヤ人原始キリスト教徒であった秦氏も、まったく状況は同じである。

 

<秦氏を名のった物部氏>

・物部氏=海部氏は物部神道=ユダヤ教から秦神道=原始キリスト教に改宗することによって、ユダヤ人原始キリスト教徒=秦氏となった。もともと血統的にも同じ民族であった物部氏=海部氏と秦氏は、この時点で本質的な区別はなくなってしまった。

 

実は、これこそ徐福伝説につきまとう秦氏の影の正体なのだ。

 

お内裏様=スサノオ命はヤハウェ

・雛祭りにおけるお内裏様はスサノオ命を意味している。スサノオ命は出雲神であり、物部氏の神である。古代出雲王朝は投馬国の領地であり、それを支配した海部氏は物部氏と同族であると同時に、隣の石見には宇摩志麻治命を祀る物部神社もある。

 

籠(この)神社の極秘伝「多次元同時存在の法則」を持ちだすまでもなく、唯一神を祀る物部神道からすればスサノオ命は絶対神である。元初の神だ。物部氏=ユダヤ人ユダヤ教という観点からすればスサノオ命は絶対神ヤハウェにほかならない。

 

スサノオ命は「素戔嗚尊」と表現されるように、荒ぶる神であるといっていいだろう。一方、『旧約聖書』における絶対神ヤハウェは、まさに荒ぶる神である。天変地異を引き起こす嵐の神だ。絶対神ヤハウェが龍神リヴァアサン(レビアタン)を退治するエピソードがあるが、これはスサノオ命のヤマタノオロチ退治そのものであるといっていいいだろう。

 

・また、スサノオ命は出雲神の代表格である。出雲とは雲が出ると書くが、雲を出すとも読める。実際、スサノオ命が詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」に端的に示されるように、八雲や出雲など、雲そのものがスサノオ命の代名詞ともなっている。

 

・対する絶対神ヤハウェはイスラエル人の前に姿を現すときは、必ず、雲を伴った。大預言者モーセの前に現れたときも燃える紫、シナイ山のイスラエル人を導くときは雲の柱となり、さらに契約の聖櫃アークを収めた幕屋でも、顕現するときは必ず雲が部屋を覆い尽くした。いわば絶対神ヤハウェは雲を出す出雲神と表現できるのだ。

 ユダヤ人ユダヤ教徒であった物部氏は自らが奉じる絶対神ヤハウェを『旧約聖書』に記された故事にならって出雲神、なかでも荒ぶる神として位置づけられたスサノオ命と呼んだのである。

 

お雛様=天照大神はイエス・キリスト

・一方、お雛様の天照大神はイエス・キリストを意味している。天照大神は太陽神であり、天孫族の神、すなわち天津神だ。国津神に対する天津神を祀るのは神武天皇=応神天皇、つまり秦氏である。ユダヤ人原始キリスト教徒であった秦氏が祀る天照大神は、いうまでもなくイエス・キリストにほかならない。

 

・天照大神がイエス・キリストであることは記紀神話の中にしっかりと記されている。天照大神を天照大神たらしめている「天岩戸開き神話」が、それだ。天照大神は弟であるスサノオ命の乱暴狼藉によって体を傷つけられたことがきっかけで天岩屋に籠もる。このとき『古事記』では天服織女、『日本書紀』では稚日女尊が死亡している。いずれも天照大神の分身とされることから、神話的に死んだのは天照大神自身であると解釈できる。事実「隠れる」という表現は天皇陛下をはじめ高貴な人が亡くなったときに使う表現である。

 かくて死んだ天照大神は天岩屋に籠ったのではなく、実際は横穴式墳墓に葬られたことになる。入り口には大きな岩が扉として置かれたという。

 

・さて、天照大神が天岩屋に籠もったことで天地が暗くなり、困りはてた神々は天岩戸の前に大きな榊を立て、そこに八咫鏡をかけた。天鈿女命は裸踊りをし、そばで常世の長鳴鶏が夜明けを告げる。

 

 あまりの騒々しさに、天岩屋に籠もっていた天照大神が不振に思って天岩戸を少しだけ開けたところへ、天鈿女命が八咫鏡を差しだし、そこに映った姿を指して別の尊い神がいると述べた。これに天照大神が驚いた隙に天手力雄神が天岩戸をこじ開けて引きずりだし、天児屋根命が注連縄を張って二度と入れないようにした。こうして再び世界に光が戻ったというのが天岩戸開き神話のストーリーだ。

 

・これはカッバーラの手法で描かれたイエス・キリストの十字架刑と死、そして復活のことなのだ。八咫鏡に映った段階で、天照大神は鏡像反転して男神となり、それが榊にかけられていた。榊とは神の木であり、「生命の樹」のこと。原始キリスト教における最大の「生命の樹」は十字架にほかならない。十字架は木製であり、そこに磔になったイエス・キリストを表現したのが八咫鏡なのだ。天孫ニニギ命に託宣したように、八咫鏡は天照大神の分身であり、榊にかかった状態は、まさに十字架刑を象徴していたのだ。

 

・さらに裸踊りをし、八咫鏡を差しだした天鈿女命は、娼婦とも呼ばれ、最初に復活したイエス・キリストに会ったマグダラのマリア。常世の長鳴鶏とは使徒ペトロがイエスを知らないと嘘を口にしたときに鳴いた鶏のこと。そして、天岩戸開きに関わった天手力雄神と天児屋根命は、イエス・キリストが復活したときに現れたふたりの天使を意味しているのである。

 

・カッバーラにおいて、イエス・キリストは御子なる神であると同時に絶対神ヤハウェである。ヤハウェが受肉した姿がイエス・キリストなのだ。霊のみで肉体を持たない陰なる存在としての御子がヤハウェであり、肉体を持った陽なる存在としての御子がイエス・キリストなのである。

 

・雛祭りでは、お内裏様とお雛様の祝言が行われ、ふたりは結婚してひとつになる。男神と女神が結ばれてひとつになるとは、神話的に同一神であることを象徴する。スサノオ命と天照大神、すなわち、ヤハウェとイエス・キリストが同一神であることを示しているのである。

 

 

 

『宇宙からの黙示録』 

 (渡辺大起)(徳間書店)(1982年)

オイカイワタチとは何か

 

 

 

<オイカイワタチとは何か>

・オイカイワタチとは宇宙語で、ワンダラーの中のある役目を担った人たちの集まりのことを意味する。AZを総帥者とするワンダラーは、神様の命を受け、神様の手足となることを一人一人が心に誓って、進化の大周期の来た遊星(今回は地球)をより良く高く変化させ神の国とするために、その遊星人に生まれ変わっていることは、先に述べた。

 

<宇宙の奉仕者ワンダラー>

 

・宇宙には遊星から遊星へ、太陽系から太陽系へと渡り歩き、そこで果たすべき役目を神様から授かっている宇宙人の集団がある。彼らは、宇宙の“煙突掃除夫”“清掃人夫”である。宇宙の中の一大進化の大周期迎える遊星、言い換えれば塵捨てのように堕落した遊星、“世の終わり”を迎えようとしている遊星におもむき、その遊星とそこに住む同胞に援助の手を差し伸べることが彼ら“清掃人夫”の使命である。このように、神様から、直接使命を頂いて遊星から遊星へ、宇宙から宇宙へと生き続けるので“ワンダラー(さまよう人、放浪者)”といわれるようになった。宇宙のワンダラーは宇宙船に乗って地球にやって来たのではない。彼らは、地球に生まれ変わったのである。ワンダラーの中には、地球人の肉体を着けないで宇宙人の姿のままで働く者もいる。

 

 

 

『河童の文化誌』 平成編

和田寛  岩田書院  2012/2

 

 

 

<平成8年(1996年)>

<河童の同類とされている座敷童子(ざしきわらし)>

・ザシキワラシ(座敷童子)については柳田國男の『遠野物語』によって知られていたところである。

 

<アメリカのニューメキシコ州の異星人の死体>

・回収された異星人の姿は人間によく似ているが、明らかに地球人ではない。身長1.4メートル、体重18キロ前後、人間の子供のようだが、頭部が非常に大きい。手足は細長く、全体的に華奢。指は4本で親指がなく、水掻きを持っている。目は大きく、少しつり上がっている。耳はあるが、耳たぶがなく、口と鼻は小さくて、ほとんど目立たない。皮膚の色がグレイ(灰色)であるところから、UFO研究家は、この異星人を「グレイ」と呼ぶ。

 

・異星人グレイと河童を並べてみると、素人目にも、そこには多くの共通点を見出すことができるだろう。

 まず、その身長、どちらも1メートル前後、人間のような格好をしているが、頭部だけがアンバランスなほど大きい。

 大きな目に、耳たぶのない耳、そして、小さな鼻穴と、オリジナルの河童の顔は、そのままグレイの顔である。

 最も注目したいのは、その手である。

先述したようにグレイは河童と同じ鋭い爪、水掻きがある。おまけに指の数が、どちらも4本なのだ!。

 また、グレイの皮膚の色は、一般にグレイだが、ときには緑色をしているという報告もある。

 河童の色は、やはり緑が主体。ただ両生類ゆえに皮膚はアマガエルのように保護色に変化することは十分考えられる。

・これらが、意味することは、ひとつ。アメリカ軍は、組織的にUFO事件を演出している。

 捕獲した河童を異星人として演出しているのだ。

 


モースさんは、『遠野物語』に書かれていることは、どこの国でも、どの地方にでもある普遍的な話だとし、「そういう意味でも、『遠野物語』は世界的な文学だ」と話した。(1)

2018-05-22 20:39:15 | 森羅万象

 

『『遠野物語』100年目の119のはなし』

 木瀬公二  荒蝦夷 2010/12

 

 

 

<柳田国男>

柳田は出版を「全くの道楽仕事で、最初から市場にお目見えしようとはしなかった」と、「再版覚書」に書いている。自費で350部だけ出し、「殆ど皆親族と知音とに頒けてしまった」と記している。

 それでも定価はつけた。50銭。巡査の月給が13円の時代だ。昨年度採用された警視庁の大卒警察官の初任給は約24万円。そこから計算すると現在の約9200円になる。柳田はこの値段を「恐る恐るつけた」と記しているのも、うなずける。

 以来、100年間も読み継がれている。

 

・「恐らく、小説を除くと日本で最も読まれている本の一つではないか」と研究者たちは口をそろえる。

 

<ザシキワラシ(1)>

佐々木仲子さん(65歳)は、ザシキワラシを見たことがある。あれがそうだ、と確信している。

 仲子さんが住む岩手県遠野市附馬牛町大出地区にあった大出小中学校が閉校になったのは平成19(2007)年3月だった。以来、仲子さんは、そこを通るたびに「この間までは子どもたちが元気に走り回っていたのに」と寂しい思いにかられていた。

 

・ふと、校舎に目をやると、昇降口に近い教室の窓が開いていた。窓わくに腕を乗せ、ほおづえをつくように、校庭を見ている2人の子供が見えた。花柄模様の着物をきた、小学低学年の女の子だった。「閉校に伴う学芸会の練習でもあるのかしら」。そう思って車を止め、先生たちが使っていた駐車場をみたが、車は1台も止まっていなかった。

 それじゃ何だろう。

 再び窓に目をやると人影はなくなり、昇降口から女の子たちが校門に向かって走ってきた。そして、校庭の真ん中まできたとき、すーっと2人の姿が消えた。

 

「学校にザシキワラシが住んでいる」という言い伝えは、地区に広く伝わっていた。仲子さんには、消えた子の顔が、悲しそうに見えた。閉校で友達もいなくなり、悲しくなったザシキワラシなのかな。

 そんなことを思いながら「そんなら家にくるか。貧乏で何もないよ。でもご飯と水だけは毎日あげるから」と独り言をつぶやいた。

 そうして車に乗り、用事を済ませて自宅に戻った夜から、仲子さんの不思議な体験が始まった。

 

『遠野物語』は、ザシキワラシを「神」と位置づける。それが住む家は栄え、去ると没落するという言い伝えを紹介している。

 

<ザシキワラシ(2)>

<「やっぱりあれは、学校から連れて帰ってきたザシキワラシだ」>

・佐々木仲子さん(65歳)は、岩手県遠野市附馬牛町の大出小中学校でザシキワラシを見た夜も、普段通り寝床に入った。何時間くらいたったのだろうか。気がつくと布団の周りを、童女2人がキャッキャと言って走り回っていた。眠ろうとしてもうるさくて眠れない。別に怖いわけでもない。その騒ぎは朝まで続いた

 目が覚めていたのか眠っていたのか。夢なのか現実なのか。

 

<ザシキワラシ(7)>

・「画家について東京まで遊びにいったザシキワラシが、女性作家の肩に乗って帰ってきた

関係した人はみなそう思っている。ザシキワラシを見たという佐々木仲子(65歳)も同じだ。

その仲子さんは、ザシキワラシに会いに、早池峰神社や大出小中学校跡地に来た人と会えば「ザシキワラシはいると思う」と話す。

 そういう人たちから「夕べ見ることが出来ました。青い着物の男の子が、枕元に立って空豆を食べたいと言ったので送ります。教室に供えて下さい」という手紙や品物が届いている。

 

<ザシキワラシ(8)>

・ザシキワラシが住み着いた仲子さんの家。いいいことはあったのだろうか。

「悪いことが起きないんだから、守られているんでしょうね」と仲子さん。

 そのあとに「ザシキワラシは、自分の心にしまっておくもの。客寄せに使うつもりは全くない」と付け加えた。

 

<単行本『水木しげるの遠野物語』>

・連載は、原作に沿って「此の話はすべて遠野の人 佐々木鏡石くんより聞きたり」という序を添え、柳田国男が佐々木喜善(鏡石)から話を聞きとっている場面から始まっている。

 119話を順を追い、1回に数話ずつ入れる構成で長さはまちまち。2カットで終わっている話があるかと思えば、野宿した山の中で聞く不思議な音の話などを記した33話は、連載1回分をすべて充当。水木さんが戦争で行った南方ジャングルでの体験も交え、山には「そういう神秘の力があるようだね」などとの感想が記してある。

 

・これを描くために水木さんは2回、岩手県遠野を訪問、種々な場所で取材をし、最終回に「前世に遠野に存在していたことは確かなようだ」と書いて締めくくっている。

 

<遠野だから、絶対見えるもの>

・その淵で、カッパを見た。

 それも2回半。

 石の上に座っていたのが1回目。2回目はヨモギをかき分けて出てきた。3回目は川に潜りかけていて背中と足しか見えなかったから、半分。

 岩手県遠野市土淵町にある「カッパ淵」で、運萬治男さん(61歳)がそんな話を観光客に語るようになったのは平成14(2002)年7月のことだった。

 じつは、自分ではカッパを見たことがない。地区の人から請われて、この土地でずっと語り続けていた故・阿部与市さんの活動と、その「体験談」を引き継いだ。

 

シンポジウム・『遠野物語』を語る――『遠野物語』のすごみ

・『遠野物語』には、神隠しに合う子供の話や魔法を使う老女の話が登場する。魔物にそそのかされて起きたと思われる殺人事件も、狂気を発する老女も、行方不明の娘が突如として姿を現す話も、当たり前のように書かれている。

 本当のことなのかうそ話なのか、夢を見ているのか現実なのか。判断がつかない不思議な気分にさせられる。それが「あの世の物語なのか、この世の物語なのかが判然としない」と言われるゆえんである。

 

・司会役を担った赤坂憲雄さん(56歳)は、佐々木喜善から聞いた話を書いたのだから「聞きたるまま」書かなければならないのに、「感じたるまま」書いたと序文に記した姿勢に言及。その結果が、民俗学と文学の両面を持った書物となり「どちらに光を当てるかで読み方が全く違ってしまう」と評した。

 これらを受ける形で小池さんは「語りとは口語体であるのに、それを文語文にしたところが奇跡的なこと」と、矛盾の文体が生んだすごみを力説した。

 

シンポジウム・『遠野物語』を語る――柳田国男「一生の仕事」

・先月の仙台市でのシンポジウムでは、『遠野物語』を出したあとの柳田国男の仕事にも話は及んだ。柳田は、物語に出てくる不可思議としか言いようのない出来事を「いったい遠野郷の人たちはなぜ語り伝えてきたのかと疑問に思ったはずだ」と宗教学者の山折哲雄さん(78歳)は推測する。

 その上で、それらの出来事は、合理的に説明出来るはずだと柳田は考え、その解析を「一生の仕事にした」と論を進めた。

 

・歌人の小池光さん(62歳)は、「原因があってこうなったと、一見もっともらしく分析すればするほど大事な物が抜けていく」とし、丸ごと抱え込む姿勢の大事さを強調。あり得ないようなことを遠野の人みんなが信じていた点を「山に何かがいると信じることで共同体はまとまる。現代はそういう意味での山がなくなり、我々はつながりを失っている」と指摘。さらに物語に登場する人々が「自然に対する恐れや畏敬の念というまなざしを持っているところに、気品や格調を感じる。それが100年も命をつないできたもとだ」と解析した。

 

<ザシキワラシ(9)>

・その部屋は、不思議な間取りである。6畳間と2畳間と3畳間の、仕切りが取り払われてできた11畳間だ。そこにザシキワラシがでる。

 泊まったひとたちがそう言う。

 出窓につくった棚に、子供の洋服やおもちゃが並ぶ。ザシキワラシに会った人たちが「ザシキワラシさんへ」と買いて置いていく。

 佐々木満さん(67歳)の民宿「わらべ」は、早池峰山の登山口付近にある。昭和63(1988)年、バスの運転手をやめ、生まれ育ったこの地に戻って開業した。佐々木仲子さん(65歳)がザシキワラシを見た、岩手県遠野市附馬牛町の旧大出小中学校のすぐそばだ。

 

<ザシキワラシ(10)>

・「枕元にちょこんと座って私の顔をのぞき込んでいるんです」「布団の中でおなかをくすぐられました」「体を揺さぶって起こされました」「左親指をしゃぶられました」「布団の上にばさっと乗ってきた座敷わらしの頭を思わずなでました」

 民宿「わらべ」に備えられている自由帳には、ザシキワラシに会ったという宿泊客の書き込みが並ぶ。

 

<ザシキワラシ(11)>

ザシキワラシが出る、という部屋は民宿「わらべ」の2階にある。

 

・その部屋の泊り客が増えるに従い、「あの部屋には何かいるんじゃないの?」と言う声が大きくなっていく。

「いたずらされて寝かせてもらえなかった」「寝ていると昆虫採取の網を振り回すような音がした」「誰かが階段をのぼってくる音が聞えた」

 ザシキワラシという言葉はまだ、民俗学の世界で使われる言葉だった。佐々木さんは「夢でも見ているんだろう」と、気にもかけずにいた。

 しかし「何かある」という声は次第に広まっていった。

 

<ザシキワラシ(12)>

「民宿わらべには、何かある」と広まった原因の一つは、UFOなど超常現象を扱う雑誌に紹介されたことだ。平成8(1996)年2月号に、仙台市から来た宿泊客の「不思議な体験」が載った。

 一人で早池峰登山をした。疲れ切って「わらべ」に戻ってきた。筋肉痛の体を横たえ眠りについた。

夜中、地震で目が覚めた。そこに赤と黒のじゅばん様の服を着たおかっぱ頭の幼女2人が立っていた。声をかけたら2人は足をもんでくれた。

 

<ザシキワラシ(13)>

・京都からきたその6人組は、旅を十分満喫している様子だった。夕食後も囲炉裏端に集まり、夜遅くまで雑談を楽しんでいた。

 そろそろ寝ましょうと、解散したのは午後10時を過ぎていた。みなそれぞれの部屋に帰った。そのうちの1人が忘れ物をしたことに気づいた。囲炉裏端に戻ってきた。

「そうしたら、ザシキワラシがいたんよ」

 仲間たちにそう話しているのを、主人の佐々木満さん(67歳)は、小耳にはさんだ。朝食の用意で忙しく、詳細は聞きもらした。

 

<ザシキワラシ(14)>

・京都から来た6人組が引き上げた後、佐々木満さん(67歳)が自由帳を見ると、こんな記載があった。「昔、椎葉村で会った座敷ぼっこがもう一度会いにきてくれたんでしょうか」

「座敷ぼっこ」は、ザシキワラシの別称。蔵ぼっこ、蔵わらし、と呼ばれることもある。どうやら、ザシキワラシに会ったという女性が書いていったようだ。

 椎葉村は、宮崎県にある山村。柳田国男が、狩りで使う独特の言葉や風習、儀礼、作法などを詳しく聞き書きした『後狩詞記』の舞台だ。

 

<ザシキワラシ(15)>

民宿「わらべ」は次第に、ザシキワラシに会いたい、という宿泊客が増えていく。当初、釣り客から「あの部屋でもいいから」と言われていた部屋が、「ぜひあの部屋に」という、あこがれの部屋に変身していく。

 

<ザシキワラシ(16)>

・「ザシキワラシに会いました。お陰様で成功しました」というお礼の品が、民宿「わらべ」のザシキワラシの部屋に飾られている。

 

・3年前に百倍を超す難関を突破して劇団員になった男性からも「ザシキワラシのお陰」とお礼の手紙が届いた。安定した職につけて結婚も出来たという人からの手紙もあった。

 

・でも佐々木さんは、そんな「謎解き」はしない。そのまま受け入れる。

「だってザシキワラシは神様だからね」

 

<ザシキワラシ(17)>

これまでの経験では、大人たちの大半は「いる気配がした」。

 子供だけが、実際に「見た」と言っている。

 あるとき佐々木さんは、「早池峯神社に行きたい」という子供をつれて出かけた。境内の大杉のところまできたとき、子供が「いま、あそこを子供が歩いて行ったよ」と佐々木さんに言った。同じ方を見ていた佐々木さんには何も見えなかった。

 家族連れの宿泊客が帰るとき、子供が客室を振り返って「ほら、窓から子供が手を振っているよ」と親に言った。佐々木さんも一緒に見上げたが、何も見えなかった。

 その部屋は「ざしきわらし」の間ではなかった。

 佐々木さんは「ザシキワラシはその家の守り神です。みんなそれぞれの心の中にいるんだと思います。霊感の強さとは関係なく心のありようで、見えたり見えなかったりするのではないか」と思っている。

 

<ザシキワラシ(18)>

・ザシキワラシに関する最も最近の「伝説」は昭和32(1957)年ごろの話だ。

 舞台は、岩手県遠野市街地にある、しょうゆ屋と麹屋。

 その、しょうゆ屋からザシキワラシが出て行き、斜め向かいの麹屋方面にいった。その後、しょうゆ屋は徐々に経営が傾いてつぶれ、麹屋は繁栄して主人は市長にまでなった。

 少し年配の遠野の人なら、だれでも知っている話だという。

 

<ザシキワラシ(19)>

・しょうゆ屋から出て麹屋方面に行ったザシキワラシを、その目で見た人から、直接話を聞いた人もいる。

 岩手県遠野市綾織町の菅原ヒサさん(86歳)は5年ほど前、岩手県立遠野病院で聞いた。

 待合室で、ばったり出会ったその目撃者は、ヒサさんより5歳ほど年上の、旧知のおばあちゃん。しょうゆ屋の奉公人だった。

「明日は忙しいから朝早くきてがんせ」と主人に頼まれ、早朝に店に着いた。さて中に入ろうとしたときのことだった、という。

「蔵から男わらしっこと女わらしっこが手をつないで、絣っこ着てちょうちんさげて泣いて出てきたったとす。それを見ていたら主人が「忙しいから早く入ってこ」となったとす。あやほんだどもさ、子供たちどこさいくんだべな、と見ていたら、2人は麹屋に入ったとさ

 そう聞かされた。ここでは、夫婦でも頭の大きい少年でもない。

 

<ザシキワラシ(20)>

・『遠野物語』の「三題ばなし」と言えばカッパとオシラサマとザシキワラシである。中でもアイドルになりやすいのがザシキワラシだ。そのイメージが、丈の短いかすりの着物を着た、かわいらしい幼い子だからだろう。

 そんなイメージを定着させたのは、『遠野物語』の17話である。

 

・昭和3(1928)年10月、陸軍の特別大演習が岩手県内で行われたときに、天皇陛下の警護をする警察官の部屋に現れたのは、5、6歳の男女2人ずつの4人組だ。

 岩手県盛岡市の寺に一人で寝ていて、真夜中に物音で目をさます。4人は面白そうに座敷の中を跳ね回って遊んでいた。「承聞するこれがザシキワラシというものであろう」「異族のこれらの者に至るまで天皇陛下がお目見えになったことを喜んでいる」と、当時発行されていた青森日報が書いた記事のコピーを、元岩手県立博物館長の金野静一さん(85歳)は読んだという。

 このころには、ザシキワラシの姿はかなり多彩になっている。盛岡市八幡町に、立てひざをついてたばこを吸う、妙齢の「おなごザシキワラシ」がいた記録も、金野さんは読んでいる。

 

<ザシキワラシ(21)>

ザシキワラシは、家人以外に見られてはいけない。ザシキワラシのいる家では、そう言われている。見られた時点で、その家の没落が始まるから。

 人に見られないために家人は、他人から注視されないように心を配る。だから「うちにザシキワラシがいる」などとは絶対に言わない。「あの家にはいるそうだ」と名前が出ることも、没落の前兆として嫌った。

 

・実名を書いたお陰で、その家から抗議を受けた遠野物語研究所員もいる。ザシキワラシが出ると評判の民宿わらべの佐々木満さん(67歳)も「私は会ったことがないので、いるとかいないとか言えない」と言うだけだ。

 

<ザシキワラシ(22)>

さて、ザシキワラシとは一体何者か

 最も広く言われているのは次のような話だ。

 お金持ちの家は、財産を分散させたくないので、近親者と結婚することが多かった。ともすれば障害のある子が生まれる。偏見の激しい時代。その子を外目に触れさすことが出来ない。金持ちの家だから、蔵座敷はある。そこで子供を育てた。

 

・岩手県遠野市宮森町の佐々木ユキさん(79歳)は、いたずらをしていると親から「そんなことをしているとザシキワラシがでてくるぞ」と怒られた。「お巡りさんでもない、お化けでもない、もっと別な怖いものなんだと思っていた」と言う。

 

<ザシキワラシ(23)>

・ザシキワラシは「いえの守り神」と考えるのが最もわかりやすい。二人はそう言う。

 年寄りが囲炉裏端で、子供たちに語りかける。

「オラの家はザシキワラシがいる家なんだぞ。これがいるから栄えるんだぞ、悪いことをするとザシキワラシは出て行ってしまうぞ。それが鬼になって、お前たちをやっつけるんだぞ。おっかねえんだぞ」と。

 繰り返し繰り返し、ザシキワラシの名前を借りて語る。その中で、家風とか戒めを教えていった。「困った人には親切にするんだぞ」「よく働くんだぞ」「しっかりしないと、この家はうまく行かないぞ」と伝えたと思われる。

 

<ザシキワラシ(24)・完>

<「家の精霊と言った方がいいでしょう」>

・『遠野物語』は、年を重ねて妖怪化し、霊力をもった生き物を「経立(ふったち)」と記している。1000年も生きた御犬(オオカミ)や、鉄砲の弾も通さぬ毛皮をまとうサルがそれだ。自然界を循環する、精霊の原型とされている。

 ザシキワラシはその一種、と解説する人は多い。「家の守り神」という人も少なくない。厳密に言うと、両者は同じではない。

 

<外国人に『遠野物語』の世界を>

モースさんは、『遠野物語』に書かれていることは、どこの国でも、どの地方にでもある普遍的な話だとし、「そういう意味でも、『遠野物語』は世界的な文学だ」と話した。

 

<遠野市立博物館(19)文学評価>

・泉鏡花は「近ごろおもしろき署を読みたり。(略)再読三読尚ほ飽くことを知らず」と書き、島崎藤村の「斯の冊子の中に遠い遠い野の声というようなものを聞くような思いがする」などが好意的な評だった。

「遠野物語拾遺」を加えた増補版が出て、市場に並びだすと、評論は増え出す。

 金田一京助は「これこそ実に(日本民俗学の)最も記念すべき最初の文献である」とし、桑原武夫は「まず何よりも、一個の優れた文学書である」と高く評価した。

 三島由紀夫の激賞ぶりもすごい。「日本民俗学の発祥の記念塔ともいふべき名高い名著」「文章の上からいっても、簡潔さの無類のお手本」「殊に何回読み返したかわからないのは、その序文である。名文であるのみではなく………」とどまるところを知らない。

 原稿用紙5枚に書かれたこの現物は、今回の展示品の中の目玉の一つ。三島の達筆に込められた『遠野物語』への愛情がにじんでいる。

 そうして、『遠野物語』から材をとった吉本隆明の『共同幻想論』(河出書房新社)がブームになり、文庫本になりハンドブックが誕生し、民俗学と文学の両面から読者が広がっていった。

 これらの書籍類もほぼ網羅し展示されている。

 

<カッパ情報求む>

・カッパ淵に近い岩手県遠野市土淵町の観光施設・伝承園がカッパ情報を募集した。カッパと人とのかかわりを探ろうという試みだったが、集まったのは「目撃情報」4件だけ。

 

しかし、集まってきたのは「カッパ淵の橋の上で、人のいない方からクゥーという鳴き声が聞こえてきた」「1歳の息子が、人のいない方を指して「カッパ」と言った」といった「目撃情報」だった。

 8月に入って市内観光施設などにもチラシを置いて呼びかけたが、「ホテルに泊まっていたらキィー、キィーという鳴き声が聞こえた。あれはカッパだと思う」という種類だけだった。

 

 

 

『遠野奇談』 

 佐々木喜善   河出書房新社 2009/9/15

 

 

 

<『遠野物語』>

・柳田國男は東京の自宅で遠野出身の佐々木喜善から話を聞き、明治43年(1910)、『遠野物語』を発刊しました。

 

 仙人峠の不思議

・ある冬の非常に雪の降る夜、外にはただ雪がしんしんと降っているばかりで、別段変った物音もありませんでした。けれども犬だけは一層、悲鳴をあげて、尾を両膝の間に挟み入れてすくみあがっているので、主人は、これはいよいよ変だと思って、思いきって雨戸をがらりと開けて鉄砲を差し出しました。

 

・ところが、外に戸口からものの一間も隔ったところに、一人の老翁が立っているのが雪の降る縞の中にぼんやりと見えていました。それは小丈(こぜい)な何だか蓑でも着たような風態で手には一丈(約3メートル)ばかりあろうと思われる先の妙に曲がった杖をついて、眼ばかりを爛々と光らし、白い髭が胸のあたりまで垂れ下がった人でした。主人ははっと、思うと思わず先刻狙いを構えた姿勢のまま、五体が麻痺してだんだんとちぢかんでしまいました。そうしてとうとう後方にどんと倒れて前後不覚になったが、家内の者に呼びおこされてやっと気がついたということであります。主人は、それはこの山の主の仙人様だったろうと、今でも人ごとに物々しく語っております。

  

・昔から、その不思議な倭体(こぜい)白髭の老翁がいて、時々、旅人の目にも触れたものと見えて、頂上の仙人堂の壁板の落書きのうちにも、夜九時頃山中にて不思議な白髭の老人に逢うなどと書いてあったと言います。

 

・最も新しい分では、大正五年の春、釜石鉱山の役員らが、この峠の仙人堂の前で山見物を催したことがあります。そうしてとにかく、その日は一日の歓を尽くして、午後になっていよいよ山を下ろうとする時、記念の写真を撮ることになり、仙人堂を背景として一同整列しましたが、そのうちに彼の掛茶屋の主人も、仙人山の主宰者といった格でその中に加わりました。そうして写真が出来上がって見ると、掛茶屋の主人の背後に、奇怪な人物が一人余計に写されておるのです。それがやっぱり小丈白髭の変てこな杖を持った老翁で、さきに主人が雪降りの夜に見たものと寸分違っていないものだったと言います。その写真は今でも主人が大切にしてしまっておきますが、話がそこに至ると誰にでもきっと取り出して見せずにはおかぬというものだそうです。

 

 <家屋の怪物><旧家の奥座敷に出遊ぶ><ザシキワラシ>

・家屋の内にばかり住んでいる怪物、あるいは家のぬしというようなもので、日本でもっとも重なるものは、わが奥州地方のザシキワラシでありましょう。これは主に五六歳の童子(こども)の形をして、富豪の家や由来ある旧家などの奥座敷に出て遊んでいるものだとされております。こういうものの出現する家は、一には必ず二三軒はあるようです。

  

・この座敷童子のことについては、既に私は、度々言っておりますが、いまだいっこう知っておらない方々のために、その一二の例を言いますと、岩手県江刺(えさし)郡稲瀬(いなせ)村の及川某家というのになどは、一二人ならず、どうも多勢らしい童が座敷に住んでいて、それらが家人の留守などの折には、内土間の方に下がって石臼を挽いたりなんかしていたんだそうであります。もちろんザシキワラシの本来は一人または二人ぐらいらしいのですが、稀にはかくのごとく数人の者が居ることもあるらしいのです。

  

・同県の遠野郷綾織(あやおり)村の某家などでは、やっぱり家人の留守の折などに座敷でお神楽みたいな囃子をしてザシキワラシが余念なく遊んでいたものだとも言われております。

  

・同県遠野郡字新町、奥田某という家のお婆さんが、ある日用事あって奥の二階座敷へ行くと、そこに非常に綺麗な十七八ぐらいの娘が赤い衣物(上もの)を畳んでおったが、お婆さんを見ると、あわただしく立って次の室へ匿れたというような話もあります。この美しい少女がこの家のザシキワラシであったことはもちろんで、こうした女性のものが住んでいた例も諸所にかなりあります。

 

 

 

『口語訳 遠野物語』

 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7/10

 

 

 

<山田の蜃気楼>

・海岸の山田では、毎年蜃気楼が見えます。いつも外国の景色だということです。

それは、見たこともない都会のようすで、道路をりっぱな馬車がひっきりなしにとおり、人の往来もびっくりするほど多いそうです。家の形など、毎年少しも違いがないということです。

 

 <マヨイガ(三浦家の話)>

小国の三浦某という家は、村一番の金持ちです。

しかし、いまから二、三代前の主人のころは、まだ家は貧乏で、妻は少し鈍い人でした。

この妻がある日、カド(門前)を流れる小川に沿って、蕗をとりに山へ入りました。が、よいものが少なく、いつの間にか、谷の奥深くまでさかのぼってしまいました。

  ふと気がついてみますと、目の前にりっぱな黒い門の家がありました。(おかしいな)とは思いましたが、門の中へそうっと入ってみました。広い庭には紅白の美しい花が一面に咲きほこり、よい香りがしてきます。鶏のたくさん遊んでいるかたわらをとおり、裏庭へ回ってみますと、そこには牛小屋があって、数多くの牛がおりました。また、厩には、なん頭ものみごとな馬がおり秣を食べていました。

  女はとうとう、玄関から家の中へ上がってみることにしました。一歩踏み込むと、開け放した次の間には、朱と黒のりっぱなお膳とお椀がたくさん用意されてありました。また、奥の座敷には火鉢があって、鉄びんの湯がチンチンとたぎっています。それなのに、どこまで行っても人影がありません。 ここまで来ますと、この気のよい女も(もしかして、ここは山男の家ではないか)などと思うようになりました。そう思い込むと、女は急におそろしくなり、谷川ぞいの道を、けつまずきながら、一目散に走って家へ帰り着きました。

 「とど、とど、おれ、たいへんなもの見で来たや」

  女はさっそく、山の中の不思議な家のことを語りました。が、夫をはじめ家の者は、だれ一人として本気にしませんでした。

  さて、ある日のこと。女が、わが家の門前で洗い物をしていますと、川上から、赤いみごとなお椀が一つ流れてきました。あんまり美しいので、女は思わず拾い上げてしまいました。しかし、これを食器として使えば、きっとまた「きたない」と、家の人たちに叱られるに違いありません。女は、どうしても欲しくなり、これを拾うと、ケセネギツの中に、そうっとかくしておきました。米や麦を計る入れ物にするつもりです。

  ところが、このお椀で米や麦を計りはじめてからは、いつまでたっても、なくなりません。そのうちに、家の人たちもやっと気がついたようでした。不思議に思って女にたずねましたので、女もはじめて、川から拾い上げたことを打ち明けました。家の人の話がほんとうであることを知り、とてもびっくりしたのです。

  いずれ、この家は、このことがあってから好運に恵まれ、ついには、いまの三浦家のような大金持になりました。

  遠野では、山中の不思議な家をマヨイガといいます。マヨイガに行き当たった人は、かならずその家の道具や家畜、なんでもよいから、持ってくることになっているのです。なぜなら、その人に授けようとして、このような幻の家を見せるからです。三浦家の妻に欲がなく。なにも取ってこなかったので、このお椀は、自分から流れてきたのだろうということです。

 

 <マヨイガ> 山の奥深くに突然のように現われる無人の豪家。一度見た者は、二度と見ることはできないといわれている。

 

 <門前> 家の内と外との境界。門の前を流れる小川に沿って歩いているうちに、いつの間にか、山深く入り込んでしまったという話の設定自体が、マヨイガへの伏線となっています。

 川上から流れてきたお椀を拾い上げるのも、この門前のことです。

  78話にも、「門の前」で死者の霊魂に出会う話があります。いずれにしても村の人々にとって「門前」とは、生と死、日常と非日常が往還する空間であって、語りのなかでは、重要なキーワードであったわけです。

 

 <椀貸し伝説>

・ 山中を漂泊し、椀や盆、膳などを作って生計をたてていた木地師たちの手によって、全国に伝わっていった伝説。柳田国男は、このマヨイガから流れてきたお椀の話の源は、この椀貸し伝説にあると考えました。

  全国に分布する「椀貸し伝説」は、椀貸し淵など、川や池に流れてくることが多いのですが、それは竜宮信仰ともつながって、中国やインド、ドイツ、イギリスなどの話と比較されています。

 

 

 

 『口語訳 遠野物語』

 (柳田国男) (河出書房新社)1992/7/10

 

 

 

 <マヨイガ(ヤマザキの話)>

・金沢村は、白望山の麓にあたり、上閉伊郡の中でもことに山奥で、人の往来のあまりないところです。六、七年ほど前、この金沢村から栃内村山崎の某かかの家では、娘の聟をもらいました。この聟が実家に行こうとして、山中で道に迷い、やはりこのマヨイガに行き当たりました。

  家のようす、牛・馬・鶏がたくさんいること、紅白の花が咲いていることなど、すべて前の話のとおりです。同じように玄関に入りますと、膳椀を用意している部屋があり、座敷には鉄びんの湯がたぎって、今ちょうど、茶を入れようとしているところのようにみえ、耳をすますと、どこか便所のあたりに、人が立っているような気配さえするように思いました。

  男ははじめ、ぼうぜんとしていました。が、後にはだんだん恐ろしくなり、栃内村へ引き返そうとして道をはずれ反対側の小国の里へ出てしまいました。

  小国村では、男からこの話を聞いても、だれ一人本気にする人はいませんでした。

しかし、遠野側の栃内村山崎のほうでは、

 「それごそ、うわさに聞いたマヨイガだ」

 「すぐ行って、膳椀でももらって来て、長者になるべす」

 「さあ、聟殿、案内せじゃ」などと大さわぎになりました。

さっそく、聟を先頭に立て、大勢の人がマヨイガ探しに、山の奥へはいりました。

 「このへんに、たしか門があったと思う」というあたりを、念入りに探しました。が、いくら探しても、そのような家はついに見つかりません。人々は、ただむなしく引き返すことになりました。

  その後、例の聟殿が金持になったという話は、いまだに聞こえてきません。

 

 山男は里人にとっては恐怖の対象である異人として語られていた。>

 <笛吹峠の山人>

 遠野郷から、海岸の田の浜や吉里吉里(きりきり)へ超えるのには、昔から笛吹峠という山道があります。山口村(土淵村山口)から、六角牛山のほうへ入る道で、海岸までの道のりも近いため、よく利用されていました。

  ところが、近年になって、この峠を越える人は、山中で必ず、山男や山女と出会うようになりました。この山人のうわさが広がると、それを伝え聞いた人々はみなおそろしがって、しだいにこの道を使わなくなり、人の往来はめっきり少なくなってしまいました。

  とうとう人々は、境木峠というほうに別の道を開き、和山を新しい馬次場(うまつぎば)として、いまではこちらの峠だけを超えるようになりました。

 二里以上もの、回り道になります。

 

 <笛吹峠>

・その昔から、耳を切るほどの冷たい風が吹くということから耳切峠と呼ばれる峠越えの難所でした。大槌からは海産物を、そして遠野からは米や炭を馬に積み、駄賃付と呼ばれた人々が往き来していたのですが、山男や山女に出会ったという話が増えてから不気味な空間として人々からこわがられてしまいました。車道になった今でも、通る車は多くありません。