酔いどれ烏の夢物語

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酔いどれ烏の夢物語 異邦人(小説ver)

2023-03-11 05:47:40 | ポエム

     

                      異邦人

 僕は玄関の引き戸を開けて「ただいま」と言ってみる。

家の中はしーんとしていて、人の気配は無い。どこかで

チリンと猫の首輪に着けた鈴の音がした。居間に入ると

黒猫のノワールが小さく鳴いた。縁側にはお気に入りの

ビーズクッションにその長身の上半身をゆだねた彼が寝

ていた。もう一度ただいまと声を掛けると目を開けて

「やあ、おかえり」と如何にもかったるそうに言った。

この人は五年経っても変わらないなと僕は思った。

 初めて彼に出逢ったのは五年前の夏。

僕は当時受験を控えた高校三年のある日、学校の帰り

道。突然のどしゃ降り、天気予報には雨のマークは無

かった筈だ。当然傘もなく、丁度住宅街に差し掛かっ

た頃。雨宿り出来そうな場所も無いので、ひたすら家

に向って走っていた。公園の近くまで来て「確か東屋

があったな!」僕は東屋に向って走った。そこに彼は

居たのだ。東屋の中にあるベンチではなく、外のベン

チに彼は居た。どしゃ降りの中 仰向けに横たわり目

を閉じていた。顔色は青白く、来ていたシャツは肌に

張り付いていた。僕は鼓動が高まるのを感じた。生き

ているのだろうか? そう思うのと同時に、彼の端正

な顔立ちに見とれていたのだ。

 恐る恐る近づき声を掛けてみた 「大丈夫ですか?」

彼は少しだけ目を開けて僕を見た。「やあ、学生君」

「大丈夫ですか?」僕はもう一度言った。すると彼は

「心配してくれたんだね、有難う。僕は大丈夫だよ!」

そう言ってにっこりと笑った。何なのだろうこの人は。

彼はベンチから立ち上がると、「心配させちゃったお

詫びに何か暖かい飲み物を御馳走するよ!何が良い?

コーヒー、それとも紅茶。ココアも良いね、着いて来

て。俺の家、すぐそこなんだ。」そう言って歩き出し

た彼の後ろを歩きつつ、僕は感じていた、関わっては

いけない人に接触してしまったのだという事を。

 彼の家は本当にすぐ近くだった。それは意外な事に

一軒家だった。建物自体は古くは無いのだが、作りは

昭和の時代を彷彿させる平屋作りの家だ。勿論、昭和

の時代にもマンションなどは普通に存在していた。つ

まり、それ以前の様式の家だった。

 彼の後に続いて中に入った僕を出迎えてくれたのは

黒猫のノワールだけだった。とても綺麗なブルーグレ

イの瞳をしていた。彼は嬉しそうにその猫を抱き上げ

ると「ただいま、ノワール」と言った。それはまるで

映画のシーンの様に見えた。美しさというものは互い

に引き合うものなのかと。

 僕は彼が作ってくれたココアを飲みながら、最初の

疑問をぶつけた。

「こんなに近くに家があるのにどうして雨の中、あの

公園に居たんですか?」すると彼はこうに答えた。

「いやぁ、最初は僕も早く帰ろうと思っていたんだ。

でもね、あの公園に着くまでにずぶ濡れになったんだ。

だったら、いっそ天恵をこの身に目一杯受けてやろう

と思ってね」と言った。天恵?確かにこの暑い晴天続

きの夏には嬉しい雨かも知れないが、植物でも農家で

もない僕達が喜ぶべき事か?

 やがて彼は話し始めた。ノワールが少しづつ僕への

警戒心を解くみたいに。彼は小説家だと言った。まだ

駆け出しで雑誌に短編小説かエッセイを書いていると

の事。そして原稿料だけでは生活できないのでアルバ

イトとしてホストの仕事をしているという事。そして

彼の住んでいる家は彼の両親が残してくれた遺産だと。

正直、親のすねをかじっている高校生の僕には重すぎ

る話しだ。だが少しだけ納得がいった。彼の魅力だ。

その造形の美しさは遺伝的なものかもしれないが、内

面の美しさは彼自らが身に着けたものに違いないと。

 僕はその美しさに囚われ、大学に入学した後、この

家に移り住んだ。この美しく、だが目を離してはいけ

ない異邦人たる彼の傍に。

 あの日から五年が経ち、彼は少しずつ本業に追われ、

ホストの仕事を減らしていった。正直ほっとしている。

何故かは自分でも解らないが、彼の顧客らしい女性か

ら幾度か脅迫めいたお言葉を頂戴していたからだ。彼

は思っていた通り、あまり周りを気にしないタイプで

勿論、僕と一緒に居る時もそれは変わらない。まるで

ノワールを抱き上げる時の様に僕を抱きしめる。

 僕は戸惑いながらも、それを受け入れていた。ある

日、僕は小学生の時の夢を見た。夢と言うより回想と

言うべきか。幼馴染みの一人の女の子が小四の時に、

僕に言った。「ずっと好きだったの、だからこれから

は特別な関係になりたいの。私と付き合って下さい」

 正直、意味が解らなかった。女の子は男の子より精

神的な成長のペースが速いと聞く。それでも僕には理解

できなかった。彼女の事はどちらかと言えば好きだった。

だからと言って他の幼馴染と区別は出来ない。皆好きだ

った。だから僕の想いを告げた時、彼女の目からあふれ

出した涙の意味が解らなかった。

 僕はふと、自分は長生きできないのかも知れないと

思った。もしかしたら後ろから誰かにナイフで刺され

て、死んでしまうのかも知れないと。

 僕の実家は山梨にあって、小さな果樹園を経営して

いる。姉夫婦が後を継いでくれているから、僕は何の

心配もなく東京の大学に進学できた。姉夫婦には感謝

している。一度、彼の写メを姉に送ったところ、大そ

う喜んでいた。返信メールに♡マークが沢山ついていた

ので、どうやら彼を気に入ったらしい。今度、彼を連れ

て行こう。

 大学卒業後、建築科を先行していた僕はそこそこ大手

のゼネコンに就職した。会社が終わると彼から送られた

買い物リストを見ながら買い物をして帰宅。或いは彼と

待ち合わせをして外食をしたりと、普通に楽しく暮らし

ている。時々、ホスト時代の後輩が訪ねて来て一緒に呑

んだりもする。彼らはとても楽しい。

 肝心の彼は相も変わらず、縁側でノワールと寝ている

事もあれば、パソコンの前で意識だけどこか遠くにいる

事もある。屋根の上で夜空を眺めていた時には、流石に

驚いたが、それにも最近は慣れた。

 こうして異邦人と猫と僕の生活はこれからも続いて行

くのだろう。