知的障がい児が通う特別支援学校元校長の牧野要二さんが、「教え子」たちの自立を支援するラーメン店を開業とのニュースを見つけました。http://saiyou.yomiuri.co.jp/news/2010/0215.html
この牧野先生、実は私の人生に多大な影響を与えた「恩師」なのです。牧野さんは80年代初めにぼくが通っていた中学の「特殊学級」の先生でした。出会いは「クラブ活動」という選択授業で、属していた「落語研究クラブ」。ぼくは放課後の部活動は「剣道」をやっていましたが、当時のカリキュラムで「クラブ活動(週一時間)」は部活動とは他に自由に選択できた。落語のほうの顧問が牧野先生でした。普通なら「通常学級」と「特殊学級」は同じ校舎にありながら、当時「交流」という発想すらなかったのですが、牧野先生のおかげで、同じ校舎でハンディキャップを持った生徒が学んでいる、ということに直に触れあえたのでした。これは貴重な体験でした。
で、この牧野先生、「障がいに関わる」ということを誤解を恐れずに表現すれば「楽しんで」おられた。ご自身もかつて身体障がいを持っていて、そこから障がい児教育に進まれたとのこと。でも牧野先生には悲壮感とか使命感とかおしつけがましさがまったくない。洒脱で余計な力が抜けていてともかく面白い。また牧野先生は「特殊学級」の授業ネタを生徒とともに独自に開発していて、「スパイスからカレーを作る授業」「セル画を描いてオリジナルアニメを作る授業」「給食であまった牛乳でヨーグルトを作る授業」…なんてのを展開されていました。今から思えばワークショップの先駆け!! まさに五感を刺激する学び。
「落語」についてもいろいろ教えてもらいました。中でも「与太郎について」の話しはぼくのその後の価値観に大きな影響を与えています。こんな話しです。
「与太郎ってのは、今でいえば『知的障がい者』なんだよね。でもね、与太郎を努力させて社会の基準に合わせようなんて了見は、落語の世界の住人にはない。与太郎は与太郎のままで、できることをやりながら、社会で何か仕事をして生きられてる(例:落語『孝行糖』)。時にオトナが言えない本音を代弁して、トリックスターとしてアタマのカタイやつらをやり込める(例:落語『大工調べ』)。与太郎が与太郎のままで生きられる世界が落語なんだよねぇ…」
「理想」を語られたのだとは思うけれど、十代前半でこういう先生に出会えたことは、幸せなことでした。ラーメン食べに行こうと思います。
この牧野先生、実は私の人生に多大な影響を与えた「恩師」なのです。牧野さんは80年代初めにぼくが通っていた中学の「特殊学級」の先生でした。出会いは「クラブ活動」という選択授業で、属していた「落語研究クラブ」。ぼくは放課後の部活動は「剣道」をやっていましたが、当時のカリキュラムで「クラブ活動(週一時間)」は部活動とは他に自由に選択できた。落語のほうの顧問が牧野先生でした。普通なら「通常学級」と「特殊学級」は同じ校舎にありながら、当時「交流」という発想すらなかったのですが、牧野先生のおかげで、同じ校舎でハンディキャップを持った生徒が学んでいる、ということに直に触れあえたのでした。これは貴重な体験でした。
で、この牧野先生、「障がいに関わる」ということを誤解を恐れずに表現すれば「楽しんで」おられた。ご自身もかつて身体障がいを持っていて、そこから障がい児教育に進まれたとのこと。でも牧野先生には悲壮感とか使命感とかおしつけがましさがまったくない。洒脱で余計な力が抜けていてともかく面白い。また牧野先生は「特殊学級」の授業ネタを生徒とともに独自に開発していて、「スパイスからカレーを作る授業」「セル画を描いてオリジナルアニメを作る授業」「給食であまった牛乳でヨーグルトを作る授業」…なんてのを展開されていました。今から思えばワークショップの先駆け!! まさに五感を刺激する学び。
「落語」についてもいろいろ教えてもらいました。中でも「与太郎について」の話しはぼくのその後の価値観に大きな影響を与えています。こんな話しです。
「与太郎ってのは、今でいえば『知的障がい者』なんだよね。でもね、与太郎を努力させて社会の基準に合わせようなんて了見は、落語の世界の住人にはない。与太郎は与太郎のままで、できることをやりながら、社会で何か仕事をして生きられてる(例:落語『孝行糖』)。時にオトナが言えない本音を代弁して、トリックスターとしてアタマのカタイやつらをやり込める(例:落語『大工調べ』)。与太郎が与太郎のままで生きられる世界が落語なんだよねぇ…」
「理想」を語られたのだとは思うけれど、十代前半でこういう先生に出会えたことは、幸せなことでした。ラーメン食べに行こうと思います。