![]() | ほとんどの日本人にとって、アメリカといえば、ハワイやグアムを除くと、例えばニューヨークや ワシントンDC、ロサンゼルスやサンフランシスコあたりを思い浮かべると思います。恐らくアメリカ南部へ 旅行へ行こうと考える日本人はそれほどいないし、それ以前にアメリカ南部自体が日本人に馴染み 薄い場所だと思います。 その要因の一つは、かつてあった(今でも残っているかもしれない)南部の排他性にあると思います。 その排他性が培われたのは、いわゆる人種差別であったことは言うまでもありません。この本は、 人種差別の傾向がより強くなってきた第二次大戦終了前後から1950年代に絞って、アメリカ南部を 考察した本です。構図としてはこんな感じでしょうか。 ・白人農家に雇われていた黒人たちが、農業の機械化により職を失い都会へ出る ↓ ・都会に来たら元々住んでいる白人住民(主に中産階級以上)から「野暮だ!」と煙たがられる ↓ ・その一方で若者の白人は黒人や黒人文化に対しては、文化だけではなく性的な面でも 比較的寛容だった。これは「黒人が嫌い」と言いながらもプレスリーや「抵抗の象徴」ジェームス・ディーンの 格好を真似たりする点からも顕著だった。 ↓ ・その光景を見て、さらに最高裁がブラウン判決を下したこともあり、白人の大人たちは、 人種差別主義への傾向を進める一方で、ごく一部の白人や多くの黒人が人種差別主義へ わずかながらも対抗していったが、それが成就するには1960年代までかかった。 つまり、1950年代は大多数の人種差別主義者とそれに対抗する者たちの戦いに明け暮れてしまい、 その結果、南部以外で起こっていた「革命」(ここでは「変革」と同意義と思われる)に乗り遅れた、と いうことができそうです。実際、公民権法が成立した後ぐらいから、南部への人口流入が始まり、 「サンベルト」と呼ばれるようなったと思うし、例えばメジャーリーグが南部にチームを置くようになったのも 1960年代以降の話です。 そう考えると、1950年代に偉大な人種統合へのうねりが現れなかった点では南部が遅れを取った格好には なりますが、その中でも細々であっても信念を貫いた人がいたからこそ、1960年代以降の変化へと、 結果的には繋がったと思います。 ただ、こうした個人的な感想が当たっている自信はないです。アメリカ南部はアメリカ人にとっても 未だに神秘的な土地とされているらしいので、南部のような人種間対立がなかった市井の日本人が 理解できないような苦しみと複雑さがあるような印象を受けます。 |
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