パリ郊外のロワシーにあるホテルを出発し
目指すは365km先の「世界遺産 モンサンミッシェル」
長旅の疲れが出始めた身体をバスに揺られながら
北仏の街道を西に向かって走ります
のんびりと草を食べている牛の群れの向こうに
見えてきましたモンサンミッシェル!
モンサンミッシェルは、イギリス海峡に面するサンマロ湾の河口付近にある(写真はネットから拝借)
少しかじった情報によると、
8世紀の初め、海に孤立する険しい岩山の上に聖堂が建てられたのが始まりで
その後、修道院や教会堂が建ち、大規模な巡礼地となった。
修道僧がそこに居を構えるようになるにつれて
山の斜面に沿って岸壁まで村が広がっていき、今のような形となった。
その要塞のような構造は防備に適し
英仏百年戦争の間も陥落することはなかった。
フランス革命で修道士が離散した後、監獄として使われた時期もある。
1874年に歴史的建造物に指定されてから、大がかりな修復工事が始まり、
1979年にユネスコの世界文化遺産に指定された。
昔は、巡礼者が干潮時に浅瀬を水に浸かりながら 歩いて渡ったが
今は堤防ができて、その上の道を大勢の観光客が歩いて渡れる。
小さな城門をくぐって街中に入る
観光客の泊まれるホテルもある
街中の道は、すべて急な階段か坂道
狭い石壁の間から、教会堂が見える
見晴らしのいい所に、修道士たちの眠る墓地
教会堂が近くなってきた
修道院の入口に向かって、さらに階段を登る
そびえ立つ教会堂の鐘楼
海を渡ってきた道のそばで、工事が進んでいるのが見える
堤防が潮の流れを阻害して環境破壊が進んでいるのを防ぐため
堤防を撤去し、橋で渡れるようにするらしい
教会の側面にある、シンプルな形の修道士共同寝室
今は聖具納室として使われている
海の見える急坂にそびえ立ち、小窓の多い城壁は
いかにも要塞らしい防御の固い造りである
教会堂の内陣
ロマネスク様式の部屋
ゴシック様式の内庭回廊
時代を越えて破壊と修復を繰り返してきたため
モンサンミッシェルの建造物は
ロマネスク様式とゴシック様式が混在している
ゴシック様式の教会堂東陣
修道士の食堂
ゴシック様式の賓客の間
大支柱で支えられる地下礼拝堂
この大車輪は、外から大きな荷物を運びこむのに使われたもの
囚人が車輪の中に入って歩き、回したらしい
滑車を介してロープを巻き上げ
滑り台車に荷物を載せて、下から引き上げる
大天使 聖ミカエル像
これと同じ金箔の像が、教会堂鐘楼の塔頂に立っている
修道院を出て、長くて急な階段を下りる
こちら側が修道院の本来の入口である
街中にある唯一のみやげ物店
昔は巡礼者が巡礼の記念に買っていったらしい
モンサンミッシェル名物のオムレツを作っている
プーラールおばさんの店
昔、遠くから来た巡礼者に栄養をつけさせようと
プーラールおばさんがオムレツを作って食べさせたのが始まり
モンサンミッシェル観光の前に、近くのレストランで
このオムレツを食べてみた
外観は巨大な卵焼きで
中はメレンゲ状にふわふわに泡立てた卵
初めて味わった食感である
午後4時頃、モンサンミッシェル観光を終え
来た道をバスで約5時間かけてパリへ戻る
夕食を終えて、ホテルに帰りついたのは午後10時半
パリのホテルで連泊!が売りのツアーだが
単に眠るだけの二連泊であった
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