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第6話(1)

 その後(1)

 (マルコ・ポーロ その後)

 フビライ・ハンは、ポーロ一行が約束通り教皇の信書を持ち、戻ってきたことを、いたく喜んだ。
そして、3人を質問攻めにした。


 ハンへの謁見の後、ニコロとマテオ・ポーロは「元」国内で自由に商売することを許された。
モンゴル語、中国語をたちまち習得した息子マルコ・ポーロの聡明さに感銘を受けたフビライは、マルコを側におき、いろいろなことを学ばせた。

 そしてフビライ・ハンの使節としてマルコを、帝国が征服した中国各地に派遣し、つぶさに状況を視察させた。

 中国の雲南地方や華南地方、遠く、ベトナム、ミャンマーなどである。
視察旅行の後、マルコは、その地方で見聞きし、調べたことをフビライに報告した。

 フビライはその報告の的確さ、緻密さに感心し、マルコを側近の一人として重く用いたのである。(但し、中国側の資料には、マルコのことは記載されていない。)


 こうして17年もの歳月が経ち、マルコ達は故郷に帰ることを、フビライに願い出た。
フビライは渋ったが、折良く、イル・ハン国に嫁ぐコカチン姫に同行することを条件に、帰国を許された。


 一行は、今度は海路をとった。
海の東西交易ルート、南海航路である。

 中国南部の泉州から船に乗り、ベトナム、ジャワ、インドに寄港しながら2年後、イル・ハン国のホルムズに着いた。
そこでコカチン姫一行と別れ、ペルシャ、黒海を通り、ベネチアに帰還した。

 泉州を出帆してから、3年が経っていた。

 マルコにとり、24年ぶりの故郷だった。
15歳の少年は39歳の中年になっていた。

 その後、マルコは元朝で得た宝石などを元手に商売を始め、財をなした。
しかし3年ほど経ったとき、となりのジェノバと戦争になり、マルコは従軍したが、捕虜になった。


 ジェノバの牢獄での無聊な日々、マルコは父から取り寄せた旅行メモを見ながら、周りの者に、東の世界での数奇な体験を語った。
それを聞いた一人の物語作家が書き留め、本として出版した。
それが「東方見聞録」の原本になった。

 この本は多くの人々に読まれ、人々のアジアへの関心を高めた。
そのことが、百数十年後に始まる大航海時代の幕を開ける引き金の一つになったのである。

 参考図: 「大航海時代」、森村宗冬、新紀元社、2003
     
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