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第5話(4)

 砂漠の旅(4)

(揚さんの話)

 宋王朝は、水路の多い華南の地では、水軍のいない騎馬軍団主体のモンゴル軍は活躍できないだろうと予測しました。
モンゴル軍を簡単に撃退できる、と自信満々でした。

 しかし、モンゴル軍は高麗人を使い、短期間で艦隊を作り上げたのです。
さらに、ペルシャ人の力を借り、攻城戦用の大型投石機を開発しました。

 フビライ・ハンの軍が南進してきたとき、私は漢水(揚子江の支流)沿いの地方都市で行政官をしていました。

 国境沿いの会戦で、宋軍が大敗北した、という噂が流れました。
事実、敗残兵の群が街に流れ込んできました。

 「この街は背後が河で、補給の心配はない。援軍が来るまで守れ!」
行政長官はそう言って、そそくさと船で脱出してしまいました。
住民は兵士に狩り出され、守備につきました。
私も、槍を持ち、城壁上の望楼につめました。

 「モンゴルの騎馬隊が現れたぞ!」
モンゴル軍の恐ろしい噂は、中国全土に広がっていました。
“モンゴル軍の通った後には、生きものは残らない”と。

 おびえて街から脱出する者が続出しました。
モンゴル軍は街を包囲し、カタパルト式の投石機で石を撃ち込んできたのです。
もの凄い音を立てて、大きな石が城壁に次々とぶつかりました。

 半壊した城門に、モンゴルの小部隊が押し寄せてきましたが、簡単に撃退できました。
私たちは陸の方からの攻撃に備えていたのですが、何とモンゴル軍は船に乗り、河岸から上陸してきたのです。

 背後から、矢が雨あられと降ってきました。
私たちは、あっというまに粉砕されました。

 恐ろしい形相のモンゴル兵に追い立てられ、私たちは一カ所に集められました。
てっきり殺される、と観念しました。
しかし、兵士以外の住民は釈放され、特殊技能を持つ者―職人や技師、行政官など―は捕虜として北に送られたのです。


 揚さんが、最後にぼそっと呟いた。
「宋帝国は早晩、滅びるでしょう。」
「しかし、モンゴル人は少数です。数十年後には、やつらは草原に追い返されていますよ。」

 参考図: 「図説 モンゴル帝国の闘い」、ロバート・マーシャル、東洋書林、2001
     
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