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第2話(2)

 カリーニングラードの歴史(2)

 中世、貿易で繁栄したバルト海沿岸の諸都市は、国からの独立性を所有していた。

 これらの諸都市は海上貿易の拡大、安全保障などを目的として、強力な都市同盟
「ハンザ同盟」(仲間同盟)を結成した。
カリーニングラード(ケーニヒスベルク)も、その諸都市のうちの一つだった。

 ハンザ商人は、バルト海地方から塩漬けニシン、干タラ、穀物等を、ロシアから毛皮、蜂蜜等を、フランドルから毛織物等を各地に輸送し、その交易で莫大な利益を上げた。

 カリーニングラードもその交易の中継地として栄えた。
また、カリーニングラード地方は良質のコハク(琥珀)を産出しており、その輸出によっても潤った。

 これらの海上貿易に用いられたのが、大きな船倉を持つコグ船だった。

 コグ船は一本マストと大きな四角帆をもち、船尾中央の舵を備えていた。
大きさは長さが30メートル、幅9メートルとずんぐりした型をしており、喫水が深く、重量は100トンから200トンだった。

 バルト海は、特に冬は荒れることが多く、また深い霧が発生するため、航海は危険が伴う。
それ以上に恐ろしいのは海賊で、襲われたら荷物はおろか、命まで奪われてしまう。

 商船も、それに対抗するため、船団方式をとったり、護衛船をつけたりした。

 参考図:「中世ハンザ都市のすがた」、ハインツ・ドレーガー、朝日出版社、2016
     
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