gooブログはじめました!

第5話(1)

 改革・開放へ(1)

 山西省の奥地にも、中央の政変が伝わってきた。

 林彪副主席がクーデターを起こし、失敗、逃亡途中で死んだこと。
また、党中央委においてイデオロギー重視の極左派が後退し、周恩来などの経済重視の穏健派が優勢になったこと。

 人民公社の集団化が緩やかになる。
さらに、一部農地の個人請負制度も始まった。


 京生のいる離石人民公社でも、生産性を無視した開墾は中止され、下放青年らも、徐々に都市に戻ることを許されるようになった。

 “都市戸籍を失ったら、一生山奥暮らしだ。いやだ!”
京生は父の死を理由に、帰郷を申し出、許可された。

 数年ぶりの故郷だった。

 「ただいま帰りました。」
母は真っ黒に日焼けし、やつれて面変わりした息子を見て、涙を流した。
「お帰り、ご苦労さんだったね。」


 こうして京生は、街に溢れている待業青年(失業青年)の一人になった。
学歴もなく、技能もなく、知識階級出身で、元紅衛兵を受け入れてくれる職場はなかった。
建設現場での日雇い仕事や農作業の季節仕事で、その日その日を送る。

 同じような境遇の仲間が集まり、互いの境遇を嘆く。
「俺たちは毛主席のため、人民のための革命活動をしたんだ。この扱いはないだろう!」
「いろいろな組織で、実権派が復活しているという話だ。」

 「毛主席も永続的な革命が必要だ、と言われている。もう一度運動を起こそう。」

 しかし京生を含め、皆、勇ましい言葉とは裏腹に、社会の潮目が変わりつつあるのを感じていた。

 参考図:「中国文化大革命の大宣伝」、草森紳一、芸術新聞社、2009
     
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「文化大革命の嵐」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事