皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

友人知人とは

2010年09月22日 19時38分15秒 | 随想

人は、札びらを切って財力を誇りたい、周りに人を集めて顔の広さを誇りたい、美貌を誇りたい、家柄を誇りたい、出身校を誇りたい、学力を誇りたい、誇りたいことは尽きぬのである。「どうだ」とばかりに偉ぶりたい、「まいったか」とばかりに他人を恐れ入らせたい、持ちがいいのである。


如何なる人間が友人知人であるか、それが、自分が如何なる人間であるかを象徴するのであろう。友人知人の多さを知らず知らずに誇っているものがいる。ましてや有名人に知人友人がいれば更に鼻高々である。


まてまて、それは現在の自分の社会的地位や生活状況に応じた刹那的な者ではないのか、砂糖に群がる蟻のような、沈没する船から真っ先に逃げ出す鼠のような友人知人ばかりではないのか。環境はいつ転変するかわからぬ、逆境苦境になってどれだけの友人知人が自らの周りにいてくれるか、お前にはわかっているのか。


振り返って考えてみよう
お前には、請われれば理由を問わず、己を犠牲にしても、金を貸して忘れてしまえる友がいるか、そして又、請うて理由を問われず、己を犠牲にしても、金を貸してくれて忘れてくれる友がいるか。そんな友のみが友であるというなら、友などいない人間の方が多いのだ。友人の数の多寡など意味がないのである。そう考える時、自分は人の友たり得るか、私も自信がないのである。


友人知人を希うのは、孤独寂寥に耐える強さがないのである、自分に自信がないのである。人間は、時として独りの寂しさに耐えねばならぬ。



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