皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

人生50年

2009年05月16日 16時39分28秒 | 随想

「おや、これは何処かで見たような」「おや、これは何処かで聞いたような」「おや、これはいつかあった事のような」とは、デジャブですな。
そりゃ、そうでしょ。流行にしろ、ファッションにしろ、若者は「違う」と否定するでしょうが、今若者が物珍しく面白がっているもの、それはかって我々も物珍しく面白がっていたものである。自分じゃ斬新奇抜なものと悦に入っていても、なぁ~に過去を引きずった物真似か、奇を衒った虚仮脅しにすぎません。この世のことはみんな繰り返しに過ぎないのである。


信長が好んで舞った幸若舞の一節は、Wikepediaによれば


思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ


であるが


今や50代60代どころか70代で亡くなっても若いのにと惜しまれ同情される。いや待て待て。なぁ~に50年も生きれば、それ迄に出来得ることは出来たのである。出来なかったのは才能の有無、努力の有無、あとは運不運である。あれやこれや言うのは愚痴である。残る人生は繰り返し事の余禄なのである。厄介払いか便利使いされているのに、必要とされていると勘違いする愚を犯してはならないのである。これからも自分が必要とされているなどと考えるのは、何の事はない、未練なのである。執着なのである。それにつけても、隠居という慣習が存在し得なくなった世の中は味気ないものである。


教訓
世間の今は、昔に詰まっているのである。



↑ありがとうございます↑

ブログランキングの画像は フリー素材 TRAD+NOTE さんのページ を利用させていただきました。感謝 m(__)m

ペンギンの画像は ペンギンのフリーWEB素材のページ を利用させていただきました。感謝 m(__)m


最新の画像もっと見る

コメントを投稿