皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

スポーツクラブ会員になって

2021年10月01日 08時06分19秒 | 随想
スポーツクラブに入ったのは昭和天皇が崩御された年の前年だった1988年10月だと思います。最初のクラブは2018年11月いっぱいで閉鎖され、12月に引き続きすぐ新たなクラブに入会したから、ジム通いも33年になるのかな?

下の写真は2017年12月、ジムのランニングコースから、ガラケーから変えたスマホ(iPhone8)で初めて撮影したもの。今はこのジム跡と隣接地は再開発されマンションが2棟経ちました。


入会する半年前に長年吸っていた煙草を、やめたというより幸いにやめることができました。やめるのに禁断症状で悩むほど辛い思いはしませんでした。「やめられるかな?どうかな?」とずっと思いながら、1時間、3時間、半日、1日、3日、1週間、ひと月、3か月、半年、1年という、その時その時に、その間何度煙草を口に咥えたか知れませんが、「ここでやめたらちょっと惜しいな、もう少し頑張れるかな?」という感じをずっと持ち続けて、知らぬ間にやめていました。その前々からやめられるものならやめたいという気持ちはあったので、時期が来ていたのかも知れません。封を切った煙草の箱が長い間ポケットに入っていました。

但し、口が寂しく飴玉を何時も口の中に入れていました。そのうちお腹がポコッと、どうも体型がおかしくなり始めました。また、若い頃にぎっくり腰なりかけましたが特にどうってことなかったのでほうっておいたら、後年ソフトボールをした翌日から朝立ち上がれなくなるという事態になり、何とか病院通いで以前の状態に戻しはしたが、車を40~50分程運転しただけで降りるときに「アイタタタ」と腰を屈めてという状態でした。

以前から腰が悪いのも何とかしたいと考えていました。あれやこれや考えていた丁度その頃、スイミングスクールを数か所経営している会社のマスターズスポーツクラブが4月にできる(開館は6月でした)というので入ろうかなと考えだしました。恥ずかしいという気持ちもあってしばらく逡巡していましたが、ついに決意して、その年11月に入会しました。

希望を「腰痛の緩和」と「体型に良くする即ちスタイル良くなるという事」だと伝えてメニューを作ってもらい始めました。
最初は、始めにボール運動と軽いジョギング、間に腰痛体操、軽いダンベル体操、終わりにまた軽いジョギングなどでトータル1時間程度でした。この軽いダンベル体操が徐々に器具を使ったウェイトトレーニングに変わっていきました。

最初の頃は1周80mのランニングコース5周なのに息が上がってしまいました。相当に体力が落ちていました。運動の最初と最後に体重を量り、グラム単位で前日と比べて一喜一憂していました。
3ヶ月ほどで少し動けるようになり、少し負荷をかけたトレーニングに変わっていき、ランニングの周回数も増えていきました。
筋トレが主になった頃から、上半身に筋肉が付きはじめ知らぬ間にムキムキになり重くなり、逆に走れなって体重は落ちなくなり、食欲と体重と体型の板挟みになりました。
いつの頃からか思い出せませんが、走る代わりにプールにも入り始めました。子供の頃は海でよく遊んで、自己流ながら泳ぐことも出来たのですが、全く泳げなくなっていました。もう泳ぐことを諦め水中ウォーキングに専念したのです。

世の移り変わりとともに、このジムも閉鎖され、今はそこから車で5分ほどの別のジムに移りました。ここには前のジムで一緒だった仲間も入っていて、当初は○○○(前のジムの名前)難民と言われたたりもしました。
今は火・木・土の週3回、1回1時間弱に時間も減り、疲れも感じるようになりましたが、仕事と思って通っています。火・木は水中ウォーキングを50分、土曜はランニングマシーンで30分のウォーキングと20分くらい現状体力維持のための腕と胸と腹の筋トレです。あとはお風呂と、今はコロナで制限されていますが仲間とのお喋りですな。今は年齢のせいなのか体重も変わらず、あと何年続けられるかなぁと思いつつ頑張っています。




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