カンレの日記

還暦の年から始まったブログ、いつの間にか古希そして喜寿を迎えた日々のこと。思いのままに。

被爆者からの手紙(NHKで)

2009年08月15日 | 思い出話

先日、NHKで放送された「被爆者からの手紙」

番組の中で、たくさんの被爆者からの手紙、それを聞いた夜のことでした。

手紙ですから、実際に映像に映ったわけではないのですが

強烈な印象をうけ、眠れない夜を過ごしました。

その手紙の内容は原爆が落とされた後

たくさんの遺体を片付ける作業を手伝わなければならなかった

当時13歳の少年の方からの手紙でした。

大人1人が肩を持ち、もう1人が胴体を持ち、13歳の少年は足を持つようにいいつけられた。少年が両手で足首を持とうとしたら、足首の皮がツルンとむけてどうしてももてない状態だった。足の肉は腐りかけていた。

そのとき、一緒に運んでいた大人が、「そんな持ち方ではダメだ!骨を持つんだ!」と、強くいわれたそうです。

少年は、勇気を振り絞り腐肉の中に手を入れて、足首の骨を持ったそうです。

そのときの、腐肉の中に指を入れた指先のなんとも言い表せない恐ろしい感覚と、人間の足首の骨をじかに持った感覚、意外に細かった感覚が、今でも忘れられないということでした。

私は、終戦の次の年に生まれたので、戦争は体験していませんが

けして裕福ではない生活の体験はしてきたつもりです。

でも、そんな話は比べ物になりませんね。

被爆や戦争の悲惨さを体験している方は

ずっとそのことを内に秘めて、眠れない夜を過ごしたり・・・

その思いをだれにもわかってもらえず、口にすることさえ

恐ろしいと感じていたのでしょうね。

今日も、NHKでは、終戦記念日の特集が組まれ

硫黄島から生還した方たちが

二度とこのようなことが起こってはならない

そのためには、重い口を開く事を決意したと、話しておられました。

84歳位の方たちでした。・・・・・

・・・・・・・・

私が幼い頃、父と父の甥が、生前お酒の席で酒が回ってくると

決まって、戦場で偶然会ったときの話を涙ながらに語り合っていました。

とても素面では語れない悲しい話のようでした。

あの頃も、子供心に戦争の悲惨さを、私なりに初めて感じた時でした。

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2 コメント

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横浜の国民学校の同級生、強制疎開で友人4人、知... (放念の翁)
2009-08-15 19:04:09
横浜の国民学校の同級生、強制疎開で友人4人、知人を頼って広島に、原爆で死にました。
疎開先で戦災で死んだ友人も。47人の同級生、30年ほど前に消息が掴めたのは12人だけでした。
私の両親も横浜で戦災に、人生を大きく変えられてしまいました。徴兵で戦地に行くことがなかった年齢、戦死をしなかっただけでも幸せなのかも知れませんね。ありがたい余生です。
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☆放念の翁さんへ (カンレ)
2009-08-16 15:33:50
☆放念の翁さんへ

疎開先で原爆に会われるとは・・・ほんとのお気のどくでしたねぇ。
翁さんの貴重な体験もブログ発信してみてはいかがでしょう。

核廃絶の問題は、難しいものがあるようですが、何とか解決の糸口を掴めればよいのですが・・・
北朝鮮のあやしい動きも心配です。
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