老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

「龍勢」を予約する

2008-10-20 00:39:35 | Weblog
高齢者の生き甲斐は、自分で創り出すものだと思う。

10月12日、今年で4年連続となる秩父市下吉田の
農民ロケット「龍勢祭」を観覧した。
夜のNHKのテレビニュースでは「観客10万人」と報道していたが、
私の目には例年より桟敷の空きが目立った。 
昨年負傷事故があり、今年は警備員の増員や防護ネットの設置、
ロケットの火薬の量も1Kg減らしたという。
その為か、失敗が多いような感じがした。
30本の内大成功が10本、大失敗が10本位だった。

 観覧には毎年サプライズがある。
今年は、隣の流派の桟敷に知人がいて、
「龍勢」に背負わせる「開祖 昇雲流」唐傘を記念に頂いた。

 私達は、深商同期生20人で、三年後、
喜寿の祝いに「龍勢」を打ち上げる。
その「龍勢」の製作を「美峯雲流」に予約して帰って来た。

こうして私達は、また新しい目標を創った。
私達は、その目標の実現を励みとして、
日々の健康管理に努めることを誓い合っている。

老麗・美しく老いる

2008-10-20 00:31:38 | Weblog
 これから「老齢」ではなく、「老麗」の華を咲かせたいと思っている。

多く加齢した人間に対して、世間は、
爺婆や高年・高齢、老年・老齢、老人・老耄・老老などと、
実に沢山の言葉を用意してくれた。
しかし、どの言葉も冷たい感じがする。
まるで最近の国の扱いに似ている。
そんな中では「お年寄り」は暖かそうで、ほっとする良い言葉だ。

 そういう社会情勢のためか、
お年寄り自身にも心に余裕が無くなっているのではないだろうか。
不信が強くなっていたり、猜疑心が増殖したりしていないだろうか。
あるいは、停年ならぬ諦念の気持ちが芽生えてきてはいないだろうか。
最近、お年寄りが危ういと思うことが多い。

ブログをスタートするに当たって、
通底するテーマを決めることにした。
「美しく老いる」、この言葉がいつの頃からか、
私の心に住み着いてチクリチクリと私の心を刺すようになった。
私の最も不得意とするところだからかも知れない。
だからこそ「老麗」目指したいと思う。