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フランス旅行二日目「セーヌ河シテ島・フォンテーヌブロー・バルビゾン」

2006-12-17 14:35:43 | 旅行記
フランス旅行二日目「セーヌ河シテ島・フォンテーヌブロー・バルビゾン」

第二日目。
6時50分起床。モーニングはブッフェ。 5種類のパン、ハム、ソーセージ、ベーコン、エッグ等々、カロリー過多の食事。脂っこいが味は格別。本場の味は違う。
バスに乗り、セーヌ河シテ島観光に向かう。

途中町中でバスを降り、徒歩でノートルダムへ向かう。パリの日の出は8時ころのため、歩きながら朝焼けを観た。綺麗だった。どこに目を向けても、絵になる街だ。

ノートルダム寺院は、12世紀に建立が開始されたゴシック様式の建築物で、バラ窓が有名。
ブルーのステンドグラスが美しかった。かのナポレオンの戴冠式が行われた場所でもある。
入り口の門には最後の審判が描かれていた。入り口には各国語で「ようこそ」と書かれた幕が左右にあったが、片方は「よこそう」になっていた。へなへなした。


ノートルダム寺院を一通り観た後は、コンシェルジェリーに行く。
裁判所の中にある観光地のため、ボディチェックが厳しい。
ここは、フランス革命でパリに連行されたマリー・アントワネットが最後に幽閉された場所である。
コンコルド広場で処刑されるまでの間、ここの独房に入れられた。 常時2人の監視員に見張られながら生活するという不自由な境遇だったらしい。

ブルボン王朝の浪費のツケを支払わされただけであり、処刑されたルイ16世もマリー・アントワネットも悪人ではなかった。王・王妃が一転、このような粗末な場所に過ごしたというのは気の毒に思った。
王を処刑するという革命の暴挙は、その後の革命戦争・ナポレオンの登場といった具合に、ヨーロッパを混乱と無秩序に陥れていく。

シテ島観光をした後、フォンテーヌブローの城に行く。
フォンテーヌブロー城は、元々は王の狩猟地の拠点として機能した土地で、そのときそのときの王が増築して現在の姿になったという。
広さ2万5000ヘクタールの広大な森が広がっている。
アンリ4世やルイ16世、ナポレオンの部屋や執務室もあったりして、実に壮麗・壮観な一角だった。

戦争に敗れたナポレオンが部下に別れを告げた馬蹄型階段もあった。

昼食は、近場のレストランで、地元の牛肉料理を食べる。
デザートはアイスとシャーベットだったが、寒い上日本人には量が多いので、残してしまった。MOTTAINAI!

その後、バルビゾン村に立ち寄り、ミレーの家等を観た。でもミレーの作品は、ここにはないという。

ホテル帰着後、荷物が届いていない人のため、日用品雑貨類買い物ツアーが急遽組まれた。
嫁も行くので私も行く。よくみたらみんな参加していた。
パリの地下鉄の使い方を教えてもらい、オペラ駅に向かう。そこで下着やら肌着やらを購入した。サイズの読み方が日本と違うので苦戦。

食事はホテル(Mercure Bercy)のレストランで、魚料理を食べる。サーモンのおいしさに舌鼓を打つ。ワインで乾杯し、満足して寝た。

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