無添加・自然食品の店「Kamome Life」店長のブログ

健康、自然療法、代替医療、瞑想、波動、肥田式、精神世界など見えない世界の事を発信しています。

パラマハンサ・ヴィシュワンダ師のダルシャンに感激!

2024年04月12日 | クリヤ・ヨガ
パラマハンサ・ヴィシュワンダ師のダルシャンを受けに、
長野へ行ってきました。

パラマハンサ・ヴィシュワンダ来日ダルシャン2024 in長野


ヴィシュワンダ師が6年ぶりに来日している事を知ったのが2日前。
そしてダルシャンなるものを、無料でやってくれるという。

私がその情報を知った時(4/5夜)、東京でのダルシャンは終わって、
残りが長野4/7、長崎4/11、大阪4/14という日程でした。

しかし、残りの開催会場が福島からどこも遠い。

現実的なのは大阪だけど、期日が差し迫っているので、航空チケットは
高いのしか残っていない。新幹線も高いし。

ふと、Yahoo カーナビで、長野会場を検索してみたら、
・高速料金が片道¥5,360
・運転時間が4時間ちょっと
・距離は往復で765kmとのこと。

あっ、これ一番安い。恐らく全部で¥17,000位で済みそう。

よし、行こう!

行かなきゃなにも経験できないし、行かないと何もわからない。

という事で、長野会場へ行く事にしました。

5日の夜に知って、6日に申し込んで、7日の早朝出発。

展開がはや!

実は、この時点でパラマハンサ・ヴィシュワンダ師の事はほとんど
何も分かっていませんでした。

最初に知った情報では、ヴィシュワナンダ師が、日本へ来るのは6年ぶりで、
アートマ・クリヤヨガというのを広めている人だという事。

クリヤ・ヨガの達成者で、そして今も肉体を持って生きているという事。
ダルシャンを世界中で行っていて、無料でだれでも申し込めば受けられる
という事ぐらいでした。

ダルシャンってどんな事するの?

ダルシャンって何をするかというと、ヴィシュワナンダ師が一人一人の目
をほんの20~30秒「見つめる」とい事をするだけのようです。

で、このダルシャンを詳しく調べると、興味深々。

「ダルシャンという言葉は、サンスクリット語の「ダルシュ」から来ており、
「見ること」神を「垣間見る」ことを意味します。神実現を果たしたマスター
から、個人的に祝福を受けることは、人間が受け取ることのできる最大のギフト
です。パラマハンサ・ヴィシュワナンダが世界中でダルシャンを与える目的は、
全ての人の内側に存在する無条件の愛と光を目覚めさせることです。
私たちは、自分の中にある宝物に気づき、それを他の人たちと分かちあえるよう
になります。」

[出典:パラマハンサ・ヴィシュワナンダ日本語ブログ]


実際にダルシャンを受けた人は、目を合わせた瞬間、その場に
泣き崩れた、身体が震える、感動して涙が止まらない、
走馬灯のように、今までの人生の歩みを映像で流れた、とかの
体験をしているらしいのです。

魂と魂が触れ合う。そんな感じなんでしょうかね?

とまあ、こんな事知ったら、不思議世界が大好きな私としては、
行くしかない、受けるしかないと心が動きました。


翌朝マイカーで出発

自宅を朝7:30分に出発して、会場にはギリで受付時間の12時30分に
なんとか間に合いました。



受付は既に長蛇の列でした💦

情報があまり流れてなくて、知らない人も多いだろうから、そんなには、
人は来ないだろうと思ってましたが甘かったです。

ほどなくして、席に案内され、ヴィシュワナンダ師の登場を待ちます。

13:30開始という事でしたが、14:00過ぎになってお越しになりました。
顔立ちが堀が深くて美男子の部類に入るお顔だと思いました。
最初に講話があって、それが終わるといよいよ、ダルシャンが始まりました。


ー 初めてのダルシャン ー

ダルシャンが始まると、席ごとに10人位の単位で案内され、
ヴィシュワナンダ師の前に、5人位並び、端から一人づつに目
を合わせていくようです。

席から檀上に並ぶように促されるのですが、なんせ、一人一人
ダルシャンが行われるので、そう簡単にスイスイ進まないわけです。
私が席から案内されたときには、すでに40~50人くらい前に並
んでいたでしょうか?

檀上に上がって順番を待っている間、ダルシャンの終わるタイミング
を見てると、一人の方を見つめ20~30秒すると、ヴィシュワナンダ師
がほほ笑んで軽くうなずきます。
それが終わった合図のようで、そばにスタッフの方に退席を促されます。

東京会場のときは、ダルシャンを受けると、その場に泣き崩れたり、感動して
体が震える人、頬をぬらす方々が多数いらっしゃたようですが、私が観察する
かぎり、そういう方は見られなく、清々と粛々と終えていく感じでした。

そんなかんなで、ついに私の番がきました。

ヴィシュワナンダ師は優しい微笑みを浮かべて、私を見つめてきました。
私は、ヴィシュワナンダ師の瞳を見たいと思い瞳を見つめるのですが、
師までの距離が少し遠すぎるのと、照明の加減で、瞳が良く見えません。
お顔の掘りが深いせいか、瞳部分が影になってしまって、暗がりでしかないのです。
それでもなるべく瞬きをせず、ヴィシュワナンダ師と見つめ合います。

やがて、師は軽くうなずいて、ダルシャンが終わった事を合図しました。

正直、内面的な感動や、走馬灯のように今まで生きてきた人生の映像が
流れることはありませんでしたが、胸の内になにか言いえぬ暖かいものを、
感じました。

それは、ヴィシュワナンダ師の微笑みを一瞬でも一人占めした瞬間があったっから
なのかもしれません。

ヴィシュワナンダ師の微笑みは、なんの穢れもない心が透き通った人にしかない
出せないものを感じました。
人は、この微笑みを享受するために師に引き寄せられてくるのかも知れないな、
なんて思いました。


私は、一応、昨年にSRFのクリヤ・ヨガを伝授されたクリヤバンなのですが、
アートマ・クリヤヨガがどう違うのかとても興味が湧きました。

SRFからアートマ・クリヤヨガに移った人もいるようです。

おりをみてアートマクリヤ・ヨガを、やってみたいですね。

ってか、いずれやっている事になると思います。