「活舌よろしく」と「ジェンダーギャップ」を考える

ずっと心にひっかかっていた言葉「活舌よろしく」。『子どもに定番絵本の読み聞かせを』尾野三千代/著(児童図書館研究会)に書かれている一節です。
これに関して、2ページ、私は書きました。「じぷたはしてやったりと発言したのか」と「真面目過ぎる読み聞かせ」。
この一節だけで、読み聞かせの現場がいかに息苦しいのかわかるような気がします。そういう意味で価値のある本ですね。

ところで、活舌が良いのがどうしていけないのか、私にはよくわかりません。そして、それらの文のあと、『しょうぼうじどうしゃじぷた』の解釈を延々と書いていらっしゃる。まるで反論を許さない立て板に水のような様子で。
私たちは、かつてボランティア講習で何度もいろいろな講師の話を聞きましたが、どの人も自分の取り上げた本を延々と「自分の解釈のすばらしさ」を示したいように話されました。それはそれでよしとして、「あなたはそう解釈されたのですね、で、他の人は?今の子どもはどう思う?そういった研究を現在されていますか?」と私は聞きたかったです。

話はとびますが、新潟市のボランティア交流会では、参加者はすべて女性でした。個々のグループに男性はいらっしゃるのか、私には分かりません。個人でやっている男の方はおられると思います。ただ、図書館関係というと、男性に逃げられるのではないでしょうか。ジェンダーギャップというのはこういうこと。どうしてそうなったのか。これを修復する気持ちは、図書館はないのか。
入門講座の様子も聞きました。例によって東京子ども図書館の教則本が大きく取り上げられていました。いつもの理由「最初だから」なのでしょう。
『えほんのせかいこどものせかい』を思い出しても、著者の「こうだからこうだ」的な個人的解釈がたくさん書かれています。で、それはよしとして、それにあんまり引っかからなかった子どもが大勢(というか大多数)だったから、私たちはかつて読み聞かせ会に人が来ない時期を長く過ごしたのだと思います。

今、多様な本が出版され、「絵本は児童文学のため」の他に「アートとして構造理論」も整備されています。いつまでも家元の本を反芻するのでなく、構造をやさしく言い換えたような入門方法から始めれば、本に対する差別意識もなくなっていくように思います。司書は「絵本の構造」を理解して欲しい。
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