図書館がストーリーテリングの方法を特定のやり方に絞っているという問題

図書館がストーリーテリングの方法を特定のやり方に絞っているという問題を、ずいぶん前から個人的に考えてきました。いろいろなことが絡み合っているように思え、ポイントを箇条書きにして整理し、図書館に出しました。
この他に、ボランティア団体との関係についても書いたのですが、個人名が書いてあるので、ブログには書かないことにします。  

① 経緯:
図書館は、財団法人東京子ども図書館の、資料を暗記してそのまま声にするストーリーテリングの方法を推し進めてきた。図書館協会が主催する児童図書館員養成専門講座のストーリーテリングの講習もこの財団法人が深く関わっている。図書館では、そのやり方のみを指して「ストーリーテリング」と称している。
良い面としては、それは、不要または悪意のある改変や扇動的な語り口を予防する安全な方法でもある。

② 問題:
ア、 昔の翻訳調の固い言葉遣いが市民に受け入れられず、話も長く、時代に合わない。戦後すぐは印刷物が崇拝され、欧米崇拝もあり、本の文章も翻訳した書き言葉で書かれ、それが絶対的なものだった。が、今は、多様な表現が認められ本も多数出ている。しかし、暗記するための元の本が数種の本に偏っていて、それを現代の子どもが受け入れやすい言葉に直す指導もない。

イ、学校でストーリーテリングをやる場合、子どもに楽しみよりも緊張を強いる。また、語り手の様子も宙を見て活字を追う語り方であり、子どもがそれに必死についていこうとする様子がある。そのため、語り口や長さに違和感があって聞けない子どもの自己肯定感を下げ、結果、本への壁を高くすることになった。

ウ、 語り手側では、暗記した言葉を忘れた時に瞬時に修正することができない。高齢になっての暗記は脳の機能上、無理もあり、自分の子や孫にさえ語ることができずにいる。結果として、若いうちに暗記した図書館職員や古いボランティアが崇拝されるようになった。

エ、 複数の資料をもとに自分の頭で考えるという今の教育の方向と、疑問を抱かず丸暗記するやり方は反するもので、聞く子どもへの負の影響も考えられる。
『第3版児童サービス論』金沢みどり・柳勝文/著(学文社)でも、「ストーリーテリングとは~中略~自分のことばに直して子どもに語りかけるものである」「覚えるのは必須のフレーズや記述であり、その後、各場面をイメージしてそれをあてはめる」「ボディランゲージも鏡の前で練習する」などと記載されている。文そのままを全て暗記したり、動作は不要と指導された過去のこととは違っている。

オ、外来語が日本語と同じように使われる現在、「ストーリーテリング」は「語り」を英訳した言葉だ。その流れで、社会ではさまざまな語り方や使い方(企業のプレゼンなど)も「ストーリーテリング」と呼ばれ、多様な本も出ているが、図書館は特定のやり方に固執している。地域の子どもが大人になってプレゼンをするときに、上司の原稿を丸暗記して語ると思い込むようであれば問題がある。
地名や商品の成り立ちを物語にするならば、それは由来譚として分類される地域独自の物語であるにもかかわらず、現状では無かったことにされる可能性もある。

カ、 私は過去に「あなたはこの本の良さがわからないのね」「勉強が嫌いなのね」「絵本が嫌いなのね」「子どもが嫌いなのね」「子どもや子どもの本を大切にしないのね」などと複数のボランティア仲間に言われた。発言は消えてしまうが、ここに書くことで問題提起したい。
「あなたは何々が嫌いなのね」などと言われると、言われた者は思考が停止し、言われないように相手や多数派に依存するようになる。これは言葉の暴力に当たると考える。別の側面では、聞いた言葉をアレンジして伝えるという、人が本来持っている能力は皆の中で生きていると考えることもできる。
一方私は、その言い方が、元はどこから発せられたのか興味を持っている。思いやり深く、暗記することを当たり前としているボランティアたちが発言するということは、言っても大丈夫という大きな後ろ盾があり、繰り返すことでそこに自分が近いという安心感を持てるからだ。後ろ盾とは、絶対的権力を持つ人や組織であり、これは長く権力を持つことの弊害にあたる。
これらは、戦時に異論を唱えると非国民と呼ばれた構造と同じなので、その当時の影響を受けていて反省の薄かった人の発想ではないか。自分の意思をしっかり持っている図書館関係の人やボランティアがその被害を受けていないことを願っている。

③ 対応策の提案:
ア、 図書館でストーリーテリングを説明する時に、「語り(ストーリーテリング)」とし、「語り」という言葉を優先したほうが良い。

イ、 普段から資料を元に自分の言葉を組み立てながら話す練習をしていれば、アクシデントがあっても修正できるので、再話しながらの語りも対等に提示したほうが良い。今の学習方法にも合致している。
AIが発達して巧みに再話し語るようになるであろう未来。人はAIを利用しながら、目の前の人のニーズを取り入れながらの選書や、それに対応した語り方も選択肢に持つべきだ。自分の子や孫を相手に対応して語れれば、人としての幸せにつながる。

ウ、 図書館協会主催の児童図書館員養成専門講座のストーリーテリングの講師には、現在の状況について現実的な研究をし、方針を見直すよう希望する。または総合的に説明できる講師を希望する。後日何らかの方法で図書館協会に伝えたいと思っている。
 具体的には、多様な語り方を提示できること、不要な改変を抑えることを説明できること、はなしを立ち上げるときの具体的な方法論を説明できること、などの講師だ。児童サービスの説明でも、紙芝居では特定の出版社に偏らない立場で説明ができる講師が良い。紙芝居から語りに移ることは比較的容易だからだ。

エ、 災害も多く戦争もあり、地域の文化を残すことも重要だ。それに関連しての語りも「はなし」で残す必要があると思うので、個人で「はなし」を立ち上げて残すことの重要性を図書館は検討して欲しい。

オ、 高齢のため視力や暗記力が衰えた人が、「あらすじを伝える」目的で嬉々として語るのを、私は何度も見てきた。物語るのは本来誰にでもできる楽しいことであるはずだ。高価な講座を受けずとも、その素朴な語りこそ子どもの心を動かし、子どもに自分もできるかも知れないと思わせ、これが文化の伝承になる。それを引き出す努力を図書館はして欲しいし、自分でも努力したい。
                                        以上
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