「じぶた」は「してやったり」と発言したのか

『子どもに定番絵本の読み聞かせを』を読んだ時、『しょうぼうじどうしゃじぷた』を間違った解釈のまま読み聞かせていたと書かれていた部分があり、こんなこともあるのかと強く印象に残っていました。あとでよく見てみようと思い、最近思い出したので書いてみます。

筆者がたまたま「活舌よろしくドラマチックに読んでいた人」を見て、それを「じぷたが激しく嫉妬し、最後はしてやったりと優越感に浸る話」と受け取って「子どもに寄り添っていない」などと書かれています。

絵本の文章は、確かにうらやましそうで悲しそうなじぷたの様子があります。これを「激しく嫉妬した」と受け取ったのですね。最後は、子どもたちの称賛の言葉で終わっていて、じぷたが何かを言っているわけではありません。これを「してやったりとじぷたが言っているようだ」と受け取ったのですね。
それとも読み手は何か言葉を付け加えて「脚色」したのを見たのでしょうか。「活舌よろしく」の「よろしく」は、大抵相手を貶める時に使う言葉で、読んでいて不快な気持ちになります。

確かに私たちも赤ちゃん絵本を読むときにちょっと言葉を足してコミュニケーションをとることがあります。ただ、じぷたの本のようなものは付け加える必要はないと思っています。結構長いですし、今、おはなし会に入れるのはなかなか勇気がいります。
ただ、もちろん、家庭での読み聞かせの場合は、何でもありでしょう。そこまで束縛できるものではありません。間違い解釈も、定番絵本でなくても、子どもはそれを受け取って、何事かを感じながら成長するので、正しく良いものだけ存在すればいいということでもないと思います。裾野が広がって良かったですね。

次の説明では、別のおはなし会のことが書かれています。いっしょに見ていると、子どもの顔がどんどん「美しくなっていく」読み手の顔も「美しい」と書いてあります。特別に脚色することなく衒うことなく読んでいたから、だそうです。

ここまでこの文章を読んで、なんだか背筋がぞっとしました。すべて筆者の感性で、他の人が思ったことと意見交換がされていないのです。もちろん本というのは自分の思いだけでも書けますが、これでは客観性があまりにもないように思います。
私も過去に、ちょっとしたことでひどく叱られました。理由を聞くと、どうも腑に落ちない理屈を並べていらっしゃる。「あなたは昔ばなし大学に参加しないからそう言われるのよ」などと忠告されたこともありました。
もしかしたら、じぷたを活舌よろしく読んだ人も、私のように主流派から距離を置いているので批判の的になっているのではないかと、想像したくなりますね。

この本については、もう1件書いてあります。「真面目過ぎる読み聞かせ

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