かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

すでに収録済のものは放映したら?・・・ピエール瀧のケース

2019-03-16 09:54:50 | ブログ記事

コカインを使用していたピエール瀧容疑者の出演したドラマ、コマーシャルは放映しないとか。

これはピエール瀧容疑者のケースのみならず、過去、何度かあったことですね。

そして関係者の損害は甚大なものだということも。

私は、殺人を犯したとかいうわけでないのなら、
コカインを使用したという犯罪であれば、
これまで収録したものは、放映しても差し支えないではないかと思います。

実際、NHKの大河ドラマでは、好演をしていたということですし。
(残念ながら私は視聴していませんでしたが)

とにかく、ドラマにしても、コマーシャルにしても、当面は放映してもいいと思います。

以後、撮影をしなければいいのです。

そのぐらい緩くても構わないのではないかと私は思うのですが、間違っているでしょうか?

危険薬物に対しては、厳しくしすぎても、しすぎはないと思いますが、
しかし、コカインに限っては、医療用もあると聞きますので、
現時点はともかく、
今後は、もっと研究される必要もあるのではないかと個人的には思っています。

癌などの治療にも有効とも聞きます。

またコカコーラには現在もコカインが入っているとも。

それより、緊急に取り締まらないといけないのは、
精神薬に使われている危険薬剤です。

必要でもない人にまで処方する現在の精神科治療こそ見直さなければならないと、
過去、ひどいめにあわされた体験者は思います。

私は気づいて断薬できたからよかったのですが、
勉強不足で、あるいはネットに繋がらなくて、それに気づけない人たちが
今でも被害に遭っている状況を鑑みたとき、
精神科医の処方する精神薬こそメスを入れるべきだと感じています。

以上、ピエール瀧の出演したドラマ、その他についての意見のついでに、
物申しておきたいと思います。

今朝の夢で河野裕子さんとお話した

2019-03-16 08:10:46 | ブログ記事
河野裕子さんとは何度もお会いした。

それは私が河野裕子さんが講師を務められる朝日カルチャー芦屋教室に通っていたからである。

が、有名歌人であられた裕子さんは、
雲の上の存在であられたから、直接お話させていただくということはなかった。

多少お話させていただけるようになったのは、
永田和宏、河野裕子両氏のお住まいになられている邸に
「塔」誌の校正で伺わせていただくようになってからである。

それでも、そんなに親しくお話させていただいたことはなかった。

相変わらず、雲の上の先生であられたから。

が、今朝の夢では、裕子さんのほうから親しく話してこられた。

裕子さんは、

「私もね。ああいう賞に応募しても、今なら全然取ってもらえないと思うのよ」

と言われた。

私も、「そうかも」と思ったから黙っていた。

だいたい、ああいう賞は有望な若手を発掘するためのものだから、
老いさらばえた人間が応募しても、
それこそ枯れ木も山の賑わいであるということは言われなくてもわかる。

しかし、何の評価も受けたことのない人間は、応募するしかない。

先日、これも有名歌人である人とメールのやり取りをしていたら、
彼女は、「私は無名の歌人で終わると思う」と言われる。

私が、「そんなことないでしょう。あれだけ優れた歌を残していられるから」と言った。

続けて、
「私が塔に入会したころの貴女は憧れの存在だったから、そんな弱気なことを言わないで」
とも。

もちろん言葉はもっと丁寧に言ったのであるが、内容的にはそういうことを言った。

歌を発表するにも時機というものがある。

それは若い時ほどよいと私は思う。

言い換えれば若い時に売れたからと言っても、年取っても優れているとも限らない。

逆に遅く歌作りを始めて、有名にはならなくても、優れた歌を詠む人は世間に五万といる。

歌の世界は、そういうふうになっていると思う。

これは、決して私のことを書いているのではない。

夢の中の河野裕子さんとは、お話したあとで、
私は、しかし、河野裕子さんの集中力はすごいと思っていることを言うのを忘れていたと
思ったところで夢から覚めた。


*

★うつつでは親しく話をしたことはなけれど夢の中では親しく

★生きてゐしころの声にて話しかけこし人のこゑ夢で聞きたり

★さうかもと思ひつつ聞く夢のなか有名歌人の心の声を

★明け方の夢でありせば正夢か正夢ならば覚めるなわたし

トランス状態

2019-03-16 03:54:27 | ブログ記事
今読ませていただいたブロ友さんの記事に
「トランス状態」という言葉があった。

そうだ、私が何か書くときはトランス状態だと気づいた。

それで書かないほうがいいことも書いてしまう。

書きながら自分が癒されている私。

これはヤバいのか。

ヤバいのかもしれない。

が、書くということは本来、そういうことではあるまいか。

歌もそうだと思う。

が、私は、歌は、まだその段階まで行っていないかもしれない。

だからイマイチなのだ。

(もちろん文章もイマイチどころかスカの段階かもしれないが)

歌もトランス状態になると怖い?

しかし、トランス状態にならないと名歌はできない?

トランス状態になったときに、初めて神様が働くと思う。

文章もおそらくそうなのだろうが、しかし、文章には理性も多少は必要とする。

と、ブロ友さんの記事を読ませてもらってひらめいたことを書いてみた。


*

★常識が働くうちは名歌などできやうもなくクズ歌ばかり

★名歌とぞ言はれる歌も偽物の歌は多かり作られし歌

★我忘れトランス状態なりてこそできる名歌と今宵は思ふ