かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

今朝の夢で河野裕子さんとお話した

2019-03-16 08:10:46 | ブログ記事
河野裕子さんとは何度もお会いした。

それは私が河野裕子さんが講師を務められる朝日カルチャー芦屋教室に通っていたからである。

が、有名歌人であられた裕子さんは、
雲の上の存在であられたから、直接お話させていただくということはなかった。

多少お話させていただけるようになったのは、
永田和宏、河野裕子両氏のお住まいになられている邸に
「塔」誌の校正で伺わせていただくようになってからである。

それでも、そんなに親しくお話させていただいたことはなかった。

相変わらず、雲の上の先生であられたから。

が、今朝の夢では、裕子さんのほうから親しく話してこられた。

裕子さんは、

「私もね。ああいう賞に応募しても、今なら全然取ってもらえないと思うのよ」

と言われた。

私も、「そうかも」と思ったから黙っていた。

だいたい、ああいう賞は有望な若手を発掘するためのものだから、
老いさらばえた人間が応募しても、
それこそ枯れ木も山の賑わいであるということは言われなくてもわかる。

しかし、何の評価も受けたことのない人間は、応募するしかない。

先日、これも有名歌人である人とメールのやり取りをしていたら、
彼女は、「私は無名の歌人で終わると思う」と言われる。

私が、「そんなことないでしょう。あれだけ優れた歌を残していられるから」と言った。

続けて、
「私が塔に入会したころの貴女は憧れの存在だったから、そんな弱気なことを言わないで」
とも。

もちろん言葉はもっと丁寧に言ったのであるが、内容的にはそういうことを言った。

歌を発表するにも時機というものがある。

それは若い時ほどよいと私は思う。

言い換えれば若い時に売れたからと言っても、年取っても優れているとも限らない。

逆に遅く歌作りを始めて、有名にはならなくても、優れた歌を詠む人は世間に五万といる。

歌の世界は、そういうふうになっていると思う。

これは、決して私のことを書いているのではない。

夢の中の河野裕子さんとは、お話したあとで、
私は、しかし、河野裕子さんの集中力はすごいと思っていることを言うのを忘れていたと
思ったところで夢から覚めた。


*

★うつつでは親しく話をしたことはなけれど夢の中では親しく

★生きてゐしころの声にて話しかけこし人のこゑ夢で聞きたり

★さうかもと思ひつつ聞く夢のなか有名歌人の心の声を

★明け方の夢でありせば正夢か正夢ならば覚めるなわたし

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