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いつだって明日はいい日

会いに行けないあの人に、元気ですと伝えたい。七転八倒なんとか生きてます、日々の他愛ないこと書いていきます。

介護が終わった日

2021-10-07 06:59:27 | 介護
11時16分、着信があった。
ソーラーパネルを過ぎた左回りのカーブ、夏ならば百合の香りがする場所…
いつもはスルーだが止まってスマホを取り出す。
病院からだ。
折り返して電話をかける。
看護師長さんが「お母様の様態が良くないのですが…直ぐに来られますか?」と静かに言う。
急いで姉に連絡する、山の中で音声が聞こえづらいのが、もどかしい。
焦るとか急ぐと言うより、とにかく確実に事故なく辿り着かなくては…
「慎重に…慎重に…」それだけを唱えるように下り車に戻った。

高速も下道も空いていて順調だった。
100キロも出さずゆっくりと落ち着いて、今は余計なことは考えるまい…
病院に着いたのが12時10分くらいだったか?思いの外、早かった。
玄関で消毒だけして受付を通らずエレベーターに乗る、こんな時はルール違反も許してくれ。
ナースステーションで声をかける。隣の病室、入り口に近いベッドに母はいた。
静かに眠っているようだ、穏やかな顔をしている。
姉が顔を歪め「さっきまで温かかった…」と言う。
母の顔に触れ、額を寄せる。
声にならない声で 

ごめんね…
ごめんね…
ごめんね…
ごめんね…
ごめんね…

何度も呟いた。
母への思いはそれしかなかった。
「謝ることないよ、私も間に合わなかったんだから」と姉は言うが、間に合わなかった事への謝罪ではなく、今までの全てに謝罪の言葉しかなかった。

独りにしてごめん。
家で看てあげられなくてごめん。
優しくしてあげられなくてごめん。
馬鹿な娘でごめん。

後ろで看護師長さんの声が聞こえた「落ち着いたら先生を呼びますので」。
私は顔を上げ「お願いします」と言う。
「大丈夫ですか?」
「はい。申し訳ありません。」
迷惑を掛けてはいけない、滞りなく事を進ませなければ。

主治医による死亡確認
12時25分
老衰
ここに至るまでの経緯、症状もあるが、年齢的にも自然の経過である。
苦しみや痛みの訴えもなく穏やかな最期と思いたい。
前日まで看護師さんの声掛けに答えることが出来たという。
入院したときは直ぐにでも、覚悟しておくようにと言われて5ヶ月、頑張ったね。

「ありがとうございました。お世話になりました。」
深く頭を下げ、涙を振り切る。

泣いてはいられない、悲しみは封印してここからが現実だ。
今やらなくてはならない事が山のようにある。

長かった介護生活がここで終わった。











リアル面会

2021-09-05 12:26:00 | 介護
3日の朝、早朝からの勤務、1件目終わり携帯を見ると着信アリ。
登録してない電話番号は無視なんだけど…なんとなく胸騒ぎ。
折り返し連絡してみる。
病院からだった。

看護師長さんに替わる。
「先日のオンライン面会でもお分かりかと思いますが…」
ここ数日で急激にレベルが落ちているようだ。
先生から現状をお伝えしておくように、いよいよ覚悟しろってことか……。
遠くからではあるが会わせてくれるとのこと。

仕事は抜けられないので姉に連絡すると直ぐに会いに行ってくれた。
面会の様子を聞き、仕事が終わってから洗濯物を取りに病院に行く。
病棟を訪ねると快く病室まで案内してくれた。「他の患者さんにわからないようにね、見つかったら叱られますけどね
看護師長さんの気づかいがとても嬉しい。

母はウトウトしていてベッドをギャッジアップすると「なにするの」と少し怒った口調。
「だ〜れだ?」顔を覗き込む。
「誰?」名前が出てこない。
「娘さんだよ、名前なんだっけ?」
「娘?嘘だろ?こんな大きい子いないよ」「名前、忘れちゃったな。なんだっけ…」
姉の名前は出てくるが私の名前は出てこない。姉が来たときは私の名前ばかり呼んでいたそうだ。
「食べたいものある?お煎餅食べたいって言ったでしょ」と看護師さん。
「歯がないのに煎餅?」と私。
「煎餅?あぁ磯部煎餅ね…」と母。
磯部煎餅とは温泉水で作った炭酸煎餅で、母の生地、磯部温泉の名物だ。出掛けるときのお土産に好んで買っていた。
人は最期を迎えるとき段々と昔に戻って行く。今は生まれ故郷の風景が浮かぶのだろうか。

家で看てあげられたら良かったけど…ごめんね…
言葉が震える前に「もうお時間です、いいですか?」と看護師長さんが言う。
5分ほどの時間も目を開いてることは出来なかった。
会えるのも会話できるのもこれが最後かな?次のオンライン面会は朦朧としているかもしれない。
「意識があるうちに、お話できるうちにお会いになった方が…」と先生と看護師さんの配慮が心に染みる。

顔を見れば分かる。
いよいよ終が近いな。
意識が無くなり心臓がどれだけ持ちこたえるか本人の体力次第だ。

話ができてよかった。
声が聞けてよかった。
顔が見れてよかった。

介護に100%の満足は無い。
思いを残すことばかりが増えていく。
終が近くなれば近いほど良い事など忘れて悔いばかりだ。
こんなことなら喧嘩なんかするんじゃなかったな…。
優しくしてあげればよかったな…。

そんな思いとは裏腹に、何もないように普通に過ごす。
ご飯も食べるし笑いもするし遊ぶことを考える。

生きているって残酷なことなんだな。








本当の幸せってなんですか?

2021-08-18 21:57:00 | 介護
今日は母のオンライン面会の日でした。

入院してからもう4ヶ月近くなります。
4ヶ月前、老人ホームの職員さんが受診に連れて行ってくれ「入院になるので御家族の立ち会いが必要です」と連絡を受けました。
老人ホームはコロナ禍で面会禁止になっており、母に会うのは半年ぶり(姉は一年ぶり)でした。
予想より元気で母は笑っていました、現状が分かっていないと言うのもありましたが、久しぶりに娘たちに会えて嬉しそうでした。

ドクターから病状の説明を受け、母の余命が僅かと知りました。
老人ホームでは医療的ケアが受けられない、入院が適切と納得しそれを望みました。
ドクターより「ご存知とは思いますが…、コロナ禍で病院は面会禁止になっています。お母さんと会えるのはこれが最後かと…」
言い辛い言葉を言わなければならないドクターの声…
「分かっています。宜しくお願いします。」と言うしかありませんでした。

半年ぶりに会えて、コレが最後の別れですって突然言われて納得できるわけ無いよね。
でもどうもにもならないんだ、自宅に連れて帰れるならそうしたいが、私にはどうにもできないんだから…。
慌ただしく手続きをして書類にサインして、病棟まで母の車いすを押して行く。
病棟の入り口には数人の看護師さんが迎えに出てきてくれた。皆さん、優しい笑顔で迎えてくれた。
「看護師さんを困らせちゃ駄目だよ、言う事きくんだよ」母の頭を抱きしめる。
「分かってるよ、これ(私)は怖いんだよ。こっち(姉)は優しいんだよ。」と看護師さんに言う。
「さんざん面倒みさせておいて最後の言葉がそれかよ」苦笑いするしかない。

父が亡くなり間を空けずに母の介護が始まった。
母の認知症が進むと毎日喧嘩だった。
介護の限界を感じ老人ホームに預けてから三年、ホームの方々のお陰で大きな体調不良もなく穏やかに暮らせていたのだが…

長い長い介護生活だ、語り尽くせるものじゃない。介護はやった人でなければ分からない。
介護士として20年以上、親の介護は30年近く、全く違うものだ。

老人ホームでは電話で様子を聞くしかなかったが、病院では2週間に一度20分程のオンライン面会が出来る。
入院するときは余命僅かと言われたが、ドクターや看護師さん、スタッフさんのお力で予想より元気になっていた。
しかし…面会の回数を重ねる毎に弱っていくのは分かる。
やはり殆ど食事はとれず、点滴が頼りだ。
苦しまなければいい、痛い思いしなければいい、なるべく静かに穏やかに過ごせればいい。
「姉妹で仲良くやってね」
「ちゃんとご飯食べてるかい?」
いくつになっても親は親だ、寝たきりの親が60歳近い娘を心配する。

こんな時代に本当の幸せってなんだ?と考える。
自分の大切な人達のことを思う…
命の火が消えようとしている人
遠くて会えない人
怪我や病気で会えない人、会いに行けない時間、
災害で姿を変えてしまった懐かしい場所
自分の大切な人が幸せでいること、笑顔で過ごせること、それが幸せ。
今は会えなくても会いに行けなくても、元気でいれば会えると希望を持てる。
会えないのは辛いけど寂しいけれど、貴方がこの世に存在していてくれる、たとえ会えなくても貴方が生きていてくれる、それが私には支えなのだ。

お母さん、一日でも長く生きてください。

私の大切な人達、元気でいてください。
貴方が元気でいてくれる、それが私の幸せです。