バニャーニャ物語

 日々虫目で歩く鈴木海花がときどき遊びに行く、風変わりな生きものの国バニャーニャのものがたり。

バニャーニャ物語 その6 バニャーニャ冬景色

2011-07-01 08:03:36 | ものがたり

 


作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある



 朝のそうじの手を休めて、
ジロは窓カラスに氷が描いた花模様をみてためいきをつきました。
「きれいだなあ・・・・・・」
氷の花模様は、毎朝少しずつ形が違うので見あきません。
「きょうは窓ガラスを拭かないでおこうかな」

 バニャーニャでは、今年はとりわけ寒い冬になりました。
みんなはあたたかくして家にこもり、
たっぷりある冬のひとりの時間を、
手仕事にうちこんだり、
ちょっとした家の修理をしたり、
忘れていた日記をまた書きはじめたりして過ごしています。


 掃除がすむと、ジロはしっかりとマフラーを巻いて、
粗く編んだカゴを背負い、
布製の丈夫な手提げをさげて、
森のはずれのアザミさんの店へ向かいました。

 川辺の日陰には雪が残り、道もガチガチに凍ったまま。
途中の家々の庭には、
凍りついて枯れてしまった鉢がわびしげにころがっています。
きょうもお日さまは顔を出さないつもりでしょうか。

 冬の間も青い葉をつけている大きなクスノキの木陰に、
『Boulangerieアザミ』と書いた木彫りの看板が見えてきました。


2年ほど前、バニャーニャにやってきたアザミさんがはじめた、パンとハチミツとバターを売る店です。

 アザミさんはあまり自分のことを話さないひとなのですが、
風邪をひいたときに砂薬を届けたフェイがききだしたところによると・・・・・・
遠い西の国に生まれて、パンづくりを覚え、
バニャーニャにきてからは、ここに腰を据えようと思い、
夢見ていたパン屋の店を開いたということでした。

 Boulangerie(ブーランジェリー)というのは、
アザミさんの国の言葉で「パン屋」の意味なんだそう。
そして「アザミ」というのは、いちばん好きな花の名前なので、
バニャーニャで暮らしはじめるにあたって、
自分とお店をそう呼ぶことにしたのだそうです。


 アザミさんの焼くパンは、ぱりぱりと皮が香ばしく、なかはしっとりふんわり。
心の底から幸せを感じるようないい香りがします。
店の裏にはミツバチの巣箱が並んでいて、
ポポタキス、ツルバラ、ヤグルマギク、カシの樹木(じゅもく)蜜(みつ)、ガーデニアなどなど、
季節ごとに数種類のハチミツがとれるので、
これも小さなつぼにいれて店で売っています。 

 そしてアザミさんが力をこめて作るバターの味といったら!!!
パンといっしょに舌の上で、はじめはひんやり、そして口のなかの熱でとろりと溶ける瞬間
―いちど食べたら病みつきになる美味しさなのです。
ジロはアザミさんのパンがすっかり気に入って、
スープと一緒に出すパンを毎日ここへ仕入れに来ています。

「おはよう!」と声をかけて
白い枠にガラスのはまったドビラを開けると、
店のなかはパンを焼く窯の熱であたたかく、
焼きたてのパンの香りが満ちていました。
「おはよう、ジロ。寒かったでしょう」
ナナカマドの実のような赤い髪を、
ノリの効いた白い布できっちり包んだアザミさんが、
忙しく手を動かしながらいいました。




 棚の上には、焼きあがったばかりのパンが並んでいます。
「えーと、きょうはパンを20本に、
そうそうアップルパイ用にリンゴを煮たので、
仕上げにいれるこっくりした味のハチミツが欲しいんだ。
樹木蜜はまだあるかな?バターもひとビン」

「ええ、樹木蜜はこれが最後のひとビンよ。バターはまだたっぷりあるわ。
ジロの店ではきょうのお茶の時間にはアップルパイがあるのね!」
「うん、きのうルーンの代わりに真っ赤なリンゴでスープ代を払ってくれたお客さんがいてね、
そのリンゴがあんまりいい香りなんで、さっそく煮てみたんだ。
デザートはアップルパイのアイスクリーム添えにするつもり」
「わあ、ヨダレがでちゃう。店がひとだんらくしたら、わたしも伺おうかしら」
「じゃあ、売り切れそうだったら、ひと切れとっておくね」

 パンでいっぱいになったカゴを背負い、
ハチミツとバターのツボをさげたジロが店へもどると、
カマドの上で弱火にかけておいたリンゴが、
シナモンの混じった甘酸っぱいいい匂いを放っています。
ジロはそこに買ってきた樹木蜜を大さじ2杯加えて火からおろすと、
暖炉にくべるマキをとりに、物置部屋へいきました。
 
 冬のはじめに貝殻島でおなかいっぱいハエを食べたチクチクは、
バニャーニャに帰ってくると、せっかくジロが用意した青い毛布には見向きもせず、
自分であちこちから葉っぱや小枝や枯れたツタなんかのお気に入りの材料を集めてきて、
物置部屋に寝床をつくりました。
そして「タタタ」(おやすみ)とジロにひとこというなり、
丸くなってたちまち寝入ってしまいました。
夢でも見ているのでしょうか、ときどき「フハッ、フハッ」という鼻息も聞こえてきます。
チクチクが気持ちよさそうに丸まって寝ているのを、
ジロは毎日そっとのぞきこんでいます。



 カイサはあまり針仕事が得意ではありませんが、
この冬はソファーに置くクッション・カバーの刺繍に取りくんでいます。
「さてっと、あと1匹で完成だな~」。
布にはいろいろな模様のテントウムシが刺繍されています。




「あ、もうお昼ご飯のじかんかぁ・・・・・・自分でつくるのめんどくさいなあ。
きょうもジロのとこ、いっちゃおっと」
カイサは指ぬきや針刺し、刺繍糸の束を片付けると、緑色のコートを着て
ジロの店に向かいました。


 コルネはこのところ、お客さんの少ない冬のシーズンを利用して、
ホテルの前の海辺で桟橋つくりに励んでいます。
かつて七つの海を、白い帆を張った船で航海していたコルネは、
ホテルの主人になった今も、
ときどき海の上の生活がむしょうになつかしくなることがあります。

「もう一息だな。しかし桟橋ってのは、いいもんだよなぁ。
海でもない、陸でもない場所だからな・・・・・・。
やれやれ、すっかり体が冷えちまった。
ジロのところのあったかいスープでも飲まないと、
こりゃあ風邪をひくぞ」
とぶつぶついいながら道具を片付けて、ジロの店へ向かいました。

 シンカはいま、この一年間にバニャーニャで起こったさまざまな博物学的記録をまとめようと、
毎晩遅くまでノートを前に奮闘しています。
「バニャーニャは小さな半島の国なのに、
こんなにいろんな生きものがいて、
いろんな木や花があるなんて、まったく驚きだ。
さて、もう少しがんばって、この植物の項を終わらせてしまおうかな。
でも・・・・・・おなかすいたぁ。
そういえば、朝ごはんも食べていないんだった。
こんなに頑張ったんだから、残りは明日にして、
ジロのところでお昼ごはんにするのがよさそうだな」
そういうと、机の上に図鑑やノートをきれいに積み上げて出かけました。

 バニャーニャでいちばん高い丘の上、石舞台を見下ろすブナの大木に住んでいるバショーは、
きょうはどうにも気持ちがふさいでやりきれません。
というのも、この3日間、石舞台の<ピアノ石>が
歌いつづけているのです。
長い年月をここで生きてきたバショーは、
石舞台でおこる不思議なできごとの数々を見てきました。

 断崖を背にした石舞台の片隅にある石でできたピアノ。
年に一度ぐらい、この崩れかけた<ピアノ石>から、かすかな音色が流れてくるのを
バショーは何度も聴いたことがあります。
それはあるとき突然はじまり、気がつくと終わっていて、
またしばらくは、うんともすんともいわなくなります。
でも覚えている限り、こんなに長く鳴りつづけたことは
ありませんでした。

 それは、まるで石舞台のある断崖の向こうに広がる冬の海のように
冷たく澄みきって、またときに荒々しい調べでした。
「これはたぶんシェークスピアの『テンペスト』の音楽だな・・・・・」
とバショーは思いました。
石舞台が、かつてここで演じられたお芝居のことを思い出しているのでしょうか。

 でも冬の海を見下ろしながら、
ひとりこの調べを聴きつづけていると
心の深いところまで音色がしみこんできて
じょじょにバショーの心を占領していくのでした。
「きょうはあったかいところで、誰かといっぱい話をして
美味しいものを食べて・・・・
わしはちょっと気持ちの入れかえが必要じゃわい」
そうつぶやくと、バショーは翼を広げて、
ジロのスープ屋を目指しました。



 さて、バニャーニャじゅうで風邪ひきの多いこの冬、
体を芯からあたためて風邪を治す特製砂薬をつくるのに大忙しのフェイは、
きょうはやっと休みがとれたので、マレー川で大好きな釣りをしていました。

 川の両岸のあたりは水が凍っていますが、流れのある真ん中辺にハリを落として、
じっと待つこと一時間。もうきょうはあきらめようか、と思っていたときでした。

 竿が大きくしなって、フェイはしりもちをつきそうになりながら、力いっぱい糸を巻きました。
「はぁ、はぁ、わあ、でっかいぞ、いったい何が釣れたんだろう?えっまさか・・・・・・・」
フェイが川辺でピチピチはねまわる魚をよく見ると、
それはなんと、幻の魚といわれる氷ナマズではありませんか。
真珠のような光沢をもった半透明の体が、七色に輝いています




「や、や、や、やったー」
フェイはあまりのうれしさにしばらく呆然としてしまいましたが、
さて、まだ勢いよくあばれている大きな氷ナマズをどうしたものでしょう?
「氷ナマズの身は氷のように透き通っていて、味は冬の魚の王様だっていうぞ。
ひとりでこんなに大きな魚は食べきれないし、
そうだ、ジロのところへ持っていこう」



 なんとか持ち上げようとしたのですが、
氷ナマズはあばれまくって、とても手に負えません。
フェイが格闘していると、向こうからモーデカイが呼ぶ声が聞こえました。

「おーい、フェイ、なにをジタバタやってんだ?」
モーデカイはきょう、国境の町までお使いに行ってきた帰りでした。
「ひゃー、すげえ!これもしかして、氷ナマズってやつかな?」
「うん、そうそう、ついにぼくが釣っちゃったんだよねー」
フェイが得意げにいいました。
「ジロの店に持っていこうと思っているんだけど、手こずってるんだよ」
それをきいたモーデカイは
背中の大きなリュックサックの中から、ロープをとりだすと
氷ナマズを手際よくしばって、
リュックサックのいちばん上にのせて担ぎました。


 そんなこんなで、きょうもジロのスープ屋には、
お客さんたちが次々にやってきました。
フェイが釣った氷ナマズは、みんなでその美しさをたっぷり見物した後、
(フェイはもちろん、家に走ってジロのおみやげのカメラをもってきて、
氷ナマズの写真を撮りまくりました)
ジロがあしたスープにすることに決まりました。

緑色の細ネギと、まっ白い太ネギ、
それにたっぷりのショウガとレモングラスを入れて、
味付けは魚の味を最高に引き出すマレー川でとれるピンク色のフレークソルトにしよう・・・・・・。
ジロの頭の中では、川の流れのように澄んだスープの中に、
氷ナマズの白く輝く身がおいしそうに横たわっているのが、もう見えるようでした。

 たっぷりの雪で冷やしたアイスクリームを添えたあつあつのアップルパイは、
誰もが食べたがったので、アザミさんがパン屋の片づけを終えて、
急いてかけつけてきたときには、最後の一切れが残っているだけでした。




 ほこほこと、みんなの体がおなかの底からあたたまったころ、
暗くなりはじめた外では、静かに雪がふりはじめていました。
まだ誰も気がついていないけれど、
それはちょっぴり水気の多い、春を呼ぶ雪でした。









************************************************

 子供のころ、家がパン屋でした。
朝、工場のほうへいくと、焼きたてのパンの香りや、
アイシング前のカップケーキなんかがならんでいて、
香ばしい香りがしたものです。
なので、いまもパンが大好き。
ちょっとチーズっぽい風味のする発酵バターをつけて、
焼かれた日のうちに食べるパンは最高です。

 ハチミツはずっと好きではなかった食べ物でしたが、
東京にラベイユという専門店ができてから、
そのバラエティとすばらしさに目覚めました。
味見をさせてくれるので、ついつい買いこんで、
家にハチミツのビンが並ぶことに。
特に好きなのが、真珠光沢があるとろりとしたキャラメルの様な
ギリシャ産クリスマスツリーのハチミツ。
日本のハチミツではビワやオモトの独特の風味が好きです。

 樹木蜜というのをラベイユで見つけた時、
いったい樹からどうやってハチミツがとれるんだろう?
とすごく興味津々になって訊いてみました。
店員さんではわからなくて、本社の仕入れ部の方から、
樹木蜜には2種類の虫が関わっているという説明をきき、
やっぱりー、と思ったのでした。


 なんとなく、この蜜をつくるのに、
ハチ以外の虫が関わっているのでは、という気がしていたので。
ラベイユの樹木蜜は、カシの樹の花に集まるアリマキの出す蜜をあつめたミツバチがつくる蜜なんだそうです。
つまり樹木蜜っていうのは、アリマキとハチという2種類の虫の体のなかをとおってできた蜜で、
ハチミツ屋さんとしては、虫と食べ物の関連なので、ちょっと言いにくいことだったみたいです。
でもちゃんと教えてもらったことで、ラベイユという店への信頼感は増しました。


 そして、赤毛のアザミさん。
いちど染めてみたいと思いながら、一度も試みたことがないのが赤毛。憧れです。
それから、花のなかで大好きなのが野アザミ。
なので、大好きな花―アザミと、赤い髪の色のパン屋さんの登場となりました。


 フェイが釣り上げた氷ナマズって・・・・・
どんな魚なんでしょうね。
ずっと前にフィリピンの島で食べた魚のスープのことを思い出します。
さまざまな香草が絡み合ったスープはほんとうに澄み切っていて、
まったく魚臭くなく、なのにしっかりと魚の美味しさがでている。
あれよりおいしい魚のスープって、以来飲んだことがありません。
マネしてつくってみたけれど、あの味と澄み具合は出せませんでした。
ジロのつくる氷ナマズのスープは、きっとあの時のスープみたいに美味しいに違いありません。

 魚のスープの味付けにぴったりじゃないかと思われるマレー川のピンクのフレークソルト、というのは、これです。


 オーストラリア南部、メルボルンのちょっと上あたりに、
バロッサという谷間の街があります。



 この地はオーストラリアの他の地域とはちょっと違う特徴をもっています。
気候がイタリアのトスカーナ地方にとても似ているのです。
そこで入植した人たちはここにとても高い食文化を築いてきました。


 ブドウ畑が点在し、花咲き乱れるバロッサの谷には、
小さなワイナリーが40以上もあります。
ワインが苦手なのに、仕事であちこちのテイスティングをすることになり・・・・・・
フラフラになりましたが、ワインだけでなく、谷間には美味しいものがいっぱい。

オーガニックマーケットでパンを売る少年。
たいてい家族でつくり、家族で売っている。



美味しいものを真剣に選ぶおじいちゃん。
 特に週末、選ばれた生産者だけが店を出すオーガニックマーケットがあり、



オーストラリア最長のマレー河から採れるというピンク色の塩もここで買いました。
この塩は、600万年前には内海だったマレー川地底の塩水湖から汲みあげられた水からつくられるのだそうです。
ふんわりとやさしくて、あまくて、奥深いうまみがあって・・・・とても気に入って
たくさん買ったのですが、もう残り一袋になってしまいました。
 バロッサヴァレー、また行きたい場所です。
フランスなどもそうですが、
パン、バター、牛乳、卵、野菜、穀類などといった
いわば食事の土台になる食材がまじめにちゃんと美味しくつくられている場所っていいなあ、と思います。

 石舞台の<ピアノ石>。ひとりでに鳴り出すなんてちょっと怖い。
でも石舞台には古い古い歴史と意外な物語があって・・・・・・
いずれそれはバショーに語ってもらいましょう。


 冬は家にこもって、ひとりの時間を楽しむのもいいですが、
人恋しくなったときに行ける、ジロの店みたいなのがあるといいですね。
あたたかくて、おいしいものがあって、
いつもの顔ぶれで気の置けないおしゃべりが楽しめて・・・・・・。
バニャーニャでは、ひとりで暮しているものが多いので、
ジロのスープ屋は、そんなみんなのよりどころなのです。