作・鈴木海花
挿絵・中山泰
国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある。
バニャーニャ ミニガイド
最初のほうの話を忘れてしまったとき、
また初めて読む方は、
このミニガイドを役立ててください。
バニャーニャ
ある大陸から突き出たタンコブのような形の半島。
潮が引くと大陸へ歩いて渡れる道があらわれるが、
潮が満ちると、大陸から切り離される。
ナメナメクジの森
大陸側にある国境の町とバニャーニャを隔てている深い森。
ここを通るものは(バニャーニャのモーデカイ以外は)ナメナメクジに
たかられる。
ナメナメクジ
深い森に大量にすんでいる。灰青色の体に緑色の長い舌をもつ3センチほどの生き物。
ナメナメクジになめられると、かさぶたになり、非常にかゆい。
さらに、しばらくは窓からナメナメクジが入ってくる悪夢に悩まされる後遺症も。
ジロのスープ屋
バニャーニャでいちばん長いマレー川のほとりにある
ジロがやっているスープの店。
おいしい手づくりのスープとスイーツが人気。
誰かに会いたいときはここにくればたいてい会える。
丘の上の石舞台
バニャーニャでいちばん高い丘の上にある石づくりの舞台。
舞台の背後は紺碧の海で、絶壁の上につくられている。
舞台のまわりには、同じく石から彫りだされた、
いまではコケむした客席がある。
風雨にさらされて、崩れかけているが、
数々の謎と歴史を秘めた場所。
貝殻島
バニャーニャの近海でおきた海底火山の噴火によって生まれた小さな島。
3つの海流が渦をまいていて、貝殻がたくさん打ちあがる。
まわりをあたたかい海水に囲まれているので、
生えている植物などもバニャーニャとは違う。
ポポタキス
バニャーニャ特産の果物。
他の土地ではなぜか育たない。
熟すと木から落ちて
スーパーボールのようにポンポンはねる。
実がなるのは春から夏。
バニャーニャの主な住人たち
ジロ
マレー川のほとりでスープ屋をやっている。
胸に秘めた冒険の旅を敢行して帰ってきたところ。
そのおいしいスープと、おっとりしたあたたかい性格で
バニャーニャのみんなによりどころとして愛されている。
フェイ
世界中から集められた200種以上の砂を売る砂屋をやっている。
砂はバニャーニャでは大切な薬などの材料で
フェイは症状によって砂を配合して薬をつくることができるので、
みんなにたよりにされている。
趣味は魚釣り。
モーデカイ
みんなが恐れているナメナメクジの森を通って
その先の国境の町まで行ける特技と大きな体を活かして
お使い屋をやっている。
バニャーニャのみんなは、半島にはないものが欲しい場合、モーデカイに頼んで
国境の町で買ってきてもらう。時には背負子に旅人を背負ってくることもある。
タマゴが好きで、料理もとくい。
シンカ
めまいの崖に住むギル族のひとり。
ギル族は首の両側に小さいエラをもっており、
陸上でも海中でも息をすることができ、
泳ぐだけでなく、海底を歩くことができる。
真面目で誠実な性格で、博物学の研究に情熱をそそいでいる。
カイサ
虫などの小さな生きものが大好きな元気な女の子。
いつもなにか虫を連れている。
甘いものが大好き。
植物や動物など、自分以外の生き物の内部にはいることができる
特別な力をひいおばあさんから受け継いでいる。
バショー
石舞台に立つ大きなカシの樹のうろに住んでいる。
バニャーニャの長老的存在だが、けっこうおっちょこちょい。
コルネ
大きな帆船で世界じゅうを航海した船長だったが
バニャーニャ沖で難破し、以来故郷の家に似たホテルを建てて
ここに住むことにした。
半島で唯一のホテル、 ジャマイカ・インの主人。
細かなことにこだわらないおおらかな人柄。
ハーブとスパイスには造詣が深い。
アイソポッド
めまいの崖からつづく深海にすみ
泥を食べて生きている大きくて象牙色をした海棲ダンゴムシ。
その頭脳は世界の知恵の宝庫で
海底火山の噴火も予知した。
ボデガ
「大理石王」と呼ばれていたいまは亡き夫のヒッチが、
ボデガのために建てた石のお屋敷にひとりで屋敷に住むバニャーニャの富豪夫人。
黒い花々を集めた「黒の花園」が生きがい。ときどき壁の肖像画から
ヒッチが出てきて、黒の花園に水をまいている、というウワサがある。
アザミさん
ブーランジェリー・アザミを営んでいるパン屋さん。
焼きたての美味しいパンと裏庭の巣箱でとれるハチミツ、
手作りの発酵バターを売っている。内気だがしっかりした性格の持ち主。
毎朝ジロはスープにそえるパンをここに仕入れに来る。
チクチク
ジロが冒険の旅に出て留守にしていた間に食料庫に入り込み、
乾燥キノコを食べてしまった、トゲトゲのあるマイペースな生きもの。
ほんとうの好物はハエ。冬は冬眠する。
発する言葉は「タタタ・・・」だけだが、カイサにはその意味がわかるようだ。
はげしく屋根をたたく雨の音で、
ジロはいつもより早く目を覚ましました。
「きょうも雨かぁ・・・・なんだか眠れそうもないから、もう起きちゃおうかな」
5日も降りつづいているこの雨で、
スープ屋にやってくるお客さんもほとんどいないので、
ジロは新しいレシピを試作してみたり
食料庫の整理をしたりして過ごしています。
目の前までやってきている夏。
なにか新しい冷たいデザートがほしいなあ、
と毎日頭をひねっているのですが、
まだこれというものを思いつきません。
さすがに5日も雨がつづくと、
家でひとりで過ごすのにあきあきしたのか、
土砂降りの雨のなかを、大きな傘をさして、フェイがやってきました。
「おはよう・・・・ジロ、スープ屋はきょう、お休み?」
大きなコオモリ傘から盛大に雨粒をしたたらせながら
フェイがいいました。
「フェイ、いいところにきてくれたよ!
この雨でお客さんはほとんど来ないよ。
それで時間があるんで夏のスープの試作をしてるんだ。
ちょうど誰かに食べてみてもらいたいなあ、と思ってたとこ」
外の雨音に負けないように、ジロが少し声を大きくしていいました。
「うわあ、ラッキー。ちょうどおなかすいててさ」
フェイがテーブルに座った時、また戸口に誰かが来たようです。
「長靴のなかまでビショビショになっちゃった」
カイサでした。
長靴を逆さにしてたまった水をすて、
白い水玉もようの青いレインコートを脱いで
店に入ってきたカイサに、
「カイサも、新作のスープ、どう?」
ジロがいうと、
「うわあーい、毎日自分でつくった料理にあきあきしてたんだ」
とカイサが喜んでいいました。
「じゃあ、2人分、用意するね」
とういジロに、
「4人分にしたほうがいいとおもうよ。
あっちからモーデカイと、こっちからはシンカが来るのが見えたもん」
とカイサ。
ジロがテーブルに4人分のマットを敷き、
4つのスプーンをセットしたとき、
激しい雨と風にあおられながら入口のドアにつるした鈴が気が狂ったように鳴り、
毛皮からぽたぽたとしずくをたらしたモーデカイと
いつも陸上と海の中を行き来して暮らしているので、
雨に濡れるのが平気なシンカが入ってきました。
「やあ、そろそろみんな集まるころだろうと思ってね」
とシンカがうれしそうにいうと、
「きょうは国境の町にお使いに行く日なんだけど、
この雨じゃね、明日にするよ」とモーデカイもいいました。
さて、ジロが試作した夏のスープは4種類ありました。
きれいな緑色の「ヒスイエンドウ豆の冷たいポタージュ」、
すきとおったとろっとしたスープに、
さっと熱をとおした紅ダイコンが浮かんだ「紅だいこんのコンソメジュレ」、
今年はじめてジロの畑で採れた真珠のような粒の白いトオモロコシの「シンジュトウモロコシのポタージュ」は発酵バターが隠し味。
そして、クルクルアスパラガスの緑色に真っ赤なパプリカを散らした「クルクルアスパラガスのスープ」の4種でした。
どれも、魚や肉の旨味がしっかり野菜の味をひきたて、
栄養もたっぷり。
「うーん、どれもおいしいけど、あたしはこのクルクルアスパラガスのがいちばん好きだな」
カイサがいいました。
「ぼくはぜったいヒスイエンドウだな。豆のスープって大好きなんだ。もう一杯おかわりしていい?」とフェイ。
「ぷかぷか浮いてる紅ダイコンがかわいくて食欲そそられるなあ」とシンカ。
「シンジュトウモロコシのやさしい甘さもたまらないよ」とモーデカイもいいます。
みんながなんていうかな、とどきどきしていたジロは
どれも好評だったのでほっとしました。
満腹したみんなが、お茶を飲みはじめたときでした。
店のなかが急に暗くなりました。
「あれぇ、なんだか、外が夜みたいだけど・・・・」
シンカがいいました。
するとそのとき、
窓が白い光で輝き、まるで大地をゆるがすような大音響で、
ばりばりばり、どっしーん、と雷が鳴りました。
「ひえー!っ」と悲鳴をあげて、雷が大の苦手のフェイが
耳をおさえながらテーブルの下にもぐりこみました。
部屋のすみっこで昼寝をしていたチクチクも雷が苦手らしく、
フェイといっしょにテーブルの下にころがるようにもぐりこんで
ふたりで手をとりあって震えています。
他のみんなは、窓から外を見てみることにしました。
空は一面、黒灰色の厚い雲におおわれ、
そのなかを金色の稲妻が、
ジグザグを描いてバリバリと音をたてて何本も貫いていきます。
雨もますます強くなり、
まるで世界は金色の稲妻の走る灰色のかたまりと化したようでした。
「雷って、いいなあ・・・スカッとするよ」とジロ。
「音がこわいけど、きれいだね、空のショーみたい」とカイサ。
「コルネんとこの蓄電池に、きょうは電気がいっぱいたまりそうだな」とモーデカイ。
「あのね、植物は雷の電気でいろんな影響を受けるんだって。
明日はいろんな植物を調べてみたいな」
とシンカは目を輝かしています。
1時間ほど空を引き裂くように鳴りつづけた雷は、
やがて花火が終わるように静かになり、土砂降りの雨も、
うそのようにぴたっと止みました。
雲が切れて、すごいスピードでどんどん流れていきます。
そのあとには、洗いたての青いガラスのような空があらわれ、
そこからさあっと、陽が差しこんできて、
雨のしずくをぽたぽたたらしている川辺のヤナギの木のあたりに、
いくつもの小さな虹をつくりました。
「夏だぁ、夏がきたんだ!」
いままでテーブルの下でぶるぶる震えていたフェイが
すっかり元気をとりもどしていいました。
「あしたはやっとお使いにいけそうだな。
あ、そうだ、イザベラさんから手紙が来ていたんだった。
今年も国境の町で待っているから、迎えにきてくださいって」
とモーデカイ。
「わあい、イザベラさん、今年も来るんだね。
じゃああしたは夏の家のそうじ、手伝おうっと」
カイサが手をたたいてうれしそうにいいました。
イザベラさんは、毎年夏になると、バニャーニャにやってくるひとです。
バニャーニャの半島の北側は、小さな湖がいくつかある静かで、
ちょっとさびしげな雰囲気の地域です。
この地域の丘の斜面を背にして建つ古い古い家を、
おばあさんの遺言で受けついだイザベラさんは毎年夏になるとすぐに、
国境の町からモーデカイの背負子(しょいこ)に乗ってやってきます。
空色のリボンを巻いたツバの大きな帽子をかぶり、
薄い生地でできたクラシックな丈の長いドレスを着て、
ひざの上にはヴァイオリンケースと
チョコレートボンボンがどっさり入った箱をかかえて。
赤い屋根に白壁のその家は、
バニャーニャでは「ぶどう屋敷」と呼ばれていました。
建物の上半分あたりまでを、ブドウの葉がびっしりおおっていて、
遠くから見ると、まるで恥ずかしがり屋の人が、
顔を見られたくなくて、ぼさぼさに髪をのばしているようにも見えました。
降りつづく雨の間、国境の町のホテルで待機していたイザベラさんは、
翌日モーデカイの背負子に乗って、バニャーニャにやってきました。
イザベラさんの弾くヴァイオリンを楽しみにしているカイサは、
いつものように、ぶどう屋敷のおそうじを手伝いにいきました。
「この家って、ちょっと暗いけど、涼しくて夏を過ごすにはぴったりだね」
代々のおばあさんたちの集めたものがずらっと飾ってある、
横長の飾り棚のホコリをていねいに払いながらカイサがいいました。
赤、青、黄色のガラスのしずくのような頭がついたマチバリや
白地に青い柄の描かれた陶器の指ぬきといったお裁縫道具、
ユーカリの実や、眼のような胞子をびっしりつけたシダの葉、
不思議な形をしたサメの卵やホラ貝の卵のう・・・・・
そのどれもが、長い年月のあいだにすっかり乾燥しています。
しかし並べられたもののほとんどは、白い骨のような貝殻でした。
半島のこのあたりの浜辺には、波にすっかり洗われて角がとれた白い貝殻ばかりが落ちているからでしょう。
こういったコレクションも、イザベラさんがこの家といっしょに、
代々のおばあさんたちから受けついだものでした。
「そう、ぶどうの葉がつくるこの薄闇が、心を静めてくれるんですわ。
あ、カイサさん、あの開かずの間のドアは開けないように、注意してくださいね」
エプロン姿で床をはいたり、窓枠をふいたり、と忙しく働いているイザベラさんが、ふと手を休めていいます。
「はい、だいじょうぶ。二階のいちばん奥のドアだったよね」。
イザベラさんはふだん大きな街でとても忙しい生活をおくっていて、
神経衰弱になりそうになって以来、
ひとり静かにバニャーニャで過ごす夏の日々を、
楽しみにしているのだそうです。
ぶどう屋敷は部屋がたくさんあるので、そうじもたいへんです。
でも午後には二階の寝室のベッドも整えられ、
イザベラさんがここで夏を過ごす準備がすっかり整いました。
居間の隅は何かひんやりとした秘密をかくしているかのようにほの暗く、
うす緑色のやわらかな光があふれている窓辺と強いコントラストを描いています。
最後にイザベラさんは大きな花瓶に、
庭に咲いていたピンク色のフヨウの花を活けて、
ソファー脇のサイドテーブルに置きました。
「さ、これでいいわ!カイサさんが手伝ってくれて、ほんとうに助かりました。
お茶にしましょう」。
ふたりは、ぶどうの葉にふちどられた大きな窓のそばに置かれたティーテーブルに向かい合って、
ベルガモットの香りの緑茶と、
お皿に盛られたいろんな形の、いろんな味
―ガナッシュ、キャラメル、ベリーやキルシュなんかの入った―
のチョコレートボンボンをゆっくり楽しみました。
お茶がすむと、ふたりは前庭にでていき、
イザベラさんは、夏の森や草原や湖にあいさつするように、
静かにヴァイオリンを弾きはじめました。
調べは風にのって、夏草のあいだを流れていきます。
イザベラさんが最初の曲を弾き終ったとき、
屋敷の前の小さな湖をまわって、
ジロがこちらへやってくるのが見えました。
「まあジロさん!おひさしぶり」
とイザベラさんがいいました。
「夏のスープができたので、ぜひ店に寄ってください」とジロ。
「4種類もあってね、すんごくおいしいんだよ!」カイサもいいます。
「あれ、でもジロ、どうしてきょうはこんなとこまで来たの?お店は?」
ときいたカイサにジロは、
「きのうの夕方からチクチクの姿が見えないんだ。あちこちさがしながら、
ここまで来ちゃったんだよ」とジロが顔をくもらせていいました。
「チクチクさんって・・・・・・どなた?」
イザベラさんがききました。
カイサが、旅に出ていたジロの店に忍びこんでいたチクチクの話をすると、
「あのぉ、その方って、もしかして、このくらいの、丸くて、トゲトゲのいっぱいある、
ボールみたいな方?」
イザベラさんが小さなボールくらいの大きさを手で示していいました。
「そうそう、そうです!イザベラさん、見かけたんですか!?」
とジロとカイサが声をそろえていいました。
「ええ、ここに着いた日に、裏庭の草のあたりにかくれるようにして、
灰色のボールみたいなものが動いているのを見ましたわ」
「それ、チクチクかもしれません」とジロがいいました。
「それっきり、姿をみていないんですけど、
ほかにも気になることがあるんですの」
「わたくし、チョコレートボンボンが溶けてしまわないように、
いつも裏の丘のふもとにあるほら穴にしまっておくことにしているんです。
このほら穴のことも、チョコレートボンボンが大好きだった
おばあさまの遺言にあったんですけれどね。
そのほら穴のなかには、地底から湧く水でできた小さな湖があって、
そこの水は夏でも凍っているんですの。
それでここに来てすぐに、チョコレートボンボンをもってほら穴に行きましたらね、
なんと黒こげのニレの木が入口をふさいでいて、入れなくなってしまっていたんです」
イザベラさんはそこでいったん、言葉を切ると、
声をひそめて、こういいました。
「そのとき、ほら穴のなかから、かすかに「タタタ・・・・」っていう、
ブキミな音が聞こえてきたんです・・・」
「タタタって!!!」
「それ、ぜったいチクちゃんだ!」
ジロとカイサは口をそろえて叫びました。
イザベラさんに案内してもらってほら穴まで行くと、
なるほどこのあいだの雷が落ちて倒れた木が
しっかり入口をふさいでいます。
とても持ち上がりそうもない大きなニレの木です。
ジロは急いで、モーデカイたちのところへ走りました。
知らせをきいたモーデカイとフェイ、シンカがかけつけて、
みんなで力を合わせ、黒こげの木をなんとかどかして、
洞穴のなかに入ってみました。
そこはほんとうに、冬のようにひんやりした空気が満ちている場所でした。
ほら穴の壁にはうすい氷がはっていて、
入口からのわずかな光を反射してきらきら輝いています。
「うわっ、ここ寒いくらいだね」
フェイが、腕をさすりながらいいました。
ほら穴はあまり深くはなく、
細い道を少し降りると、行き止まりになっていて、
氷のはった小さな湖が見えました。
そしてそのそばに、灰色のボールのように丸いものがころがっていました。
「チクちゃんだ!」
「チクちゃーん!」
「チクちゃーん!」
みんなはいっせいに声をあげて駆け寄りました。
持ち上げてみると
チクチクの体は寒さですっかりかたくなっています。
カイサが、なでたり、胸に抱いてあたためたりしていると、
「タ・タ・タ・・・」と弱々しい声がして、
チクチクは、息をふきかえしたようでした。
「よかったー」
「どうしてこんなとこに入っちゃったのよ?」
「チクちゃんって、ちっこいくせに、行動範囲が広すぎるんだよ」
みんなが口々にいうと、チクチクは手足をふるわせ、目を白黒させながら
「タ、タタタ、タタタタ、タ」と声をだしました。
「ハエをさがして歩いていたら、あんまり暑いんで、
ここにはいりこんじゃったんだって。
それで気持ちがいいので眠っちゃったら
入口が木でふさがれちゃって、出れなくなっちゃったんだって」
カイサが通訳しました。
「まあ、死ななくてよかったよな。それにしても、ここ寒いねえ・・・」とフェイ。
「こんなところがバニャーニャにあったなんて、知らなかった」
とシンカは興味シンシン、あたりを見まわしていいます。
「チョコレートが溶けないようにしまっておくには、ぴったりの場所だね」とカイサ。
湖に張った氷はクリスタルのように清浄に透き通っています。
「そうだ!」
氷を見ていたジロの頭にひらめいたことがありました。
「なにが、そう、なの?」ときいたカイサに
「ずうっと考えていた夏のデザートを思いついたんだ」ジロがいいました。
翌日、ジロは店を休むことにしました。
頭のなかは、冷たいデザートのことでいっぱいです。
きのう氷の湖を見ながら、冒険の旅のあいだにある暑い国で食べた、
細かく削った氷に蜜をかけたものを思い出したのです。
あれだ!あれを夏のデザートに出せないものかな、とジロは一晩考えました。
きょうはその準備をするのに1日かかりそうです。
まずは、モーデカイのところへ、ほら穴の氷を切り出す手伝いをしてもらう相談に行きました。
「そりゃ、すごいぞ!
削った氷のシロップがけなんて、おれもぜひ食べてみたいよ」
話をきいたモーデカイは快く手伝いを引き受けてくれました。
「よっし、毎日湖の氷を切り出して、ジロの店にもっていくよ。まかせといてくれ」
次は、アザミさんの店に行きます。
「樹木蜜を10ビンください」
ジロがそういうと、
「ジロ、樹木蜜をそんなに買って、どうするの?」
とアザミさんが首をかしげていいます。
「氷のデザートにかけるシロップを作ろうと思ってるんです」
ジロがはりきっていいました。
「わあ、ステキ!子供のころの夏に食べたのを思い出すわ。
あれをバニャーニャで食べられるなんて、思ってもみなかった!」
最後に、めまいの崖の途中に建っているシンカの家に向かいます。
シンカは、ちょうど出かけようとしているところでした。
「おっ、ジロきょう、店は?」
「うん、きょうはお休み。ちょっとシンカに教えてもらいたいことがあるんだけど。
どこかアマチャヅルの生えている場所って、しらない?」
「アマチャヅル?ああ、それなら、たしか石舞台に行く道の途中で見たよ。
このあいだの雷の植物への影響をいま調べているんで、
これからそっちの方へ行くとこだけど、ジロもいっしょに来る?」シンカがいいました。
夕方、ジロは腕いっぱい摘んだアマチャヅルを持って家に帰ると、
さっそく、汁を煮詰めて、とろっとした濃緑色のシロップをつくりました。
「あとは貯蔵庫にあるポポタキスのシロップがあれば、準備OKだな」。
次の日は、モーデカイがさっそく運んでくれた氷のかたまりを削る練習をしました。
家にあるありったけの刃物でためしてみて、
ようやく氷を薄く、ふわふわに削ることができるようになったときには、
もう夜も更けていました。
空にはつやつやした入道雲がもくもくと盛大にわきあがり、
太陽がようしゃなく照りつける暑い暑い夏がきました。
濃いピンク色のポポタキス、
濃緑色のアマチャヅル、
そしてこっくりした茶色の樹木蜜
―3種類のシロップをかけた削り氷のデザートを、
ジロは毎日いちばん暑い時間にだけ、店で出しています。
ウワサをきいて、半島のあちこちからお客さんがやってきてくれたので、
ひとり一杯限定。
汗をふきふきやってきて、氷のデザートを目の前にしたときの、
みんなのうれしそうな顔ったら!
そんな顔をみると、氷を削るのに忙しいジロの苦労もふっとぶのでした。
「きょうはどのシロップにするか迷うなー。よぉく考えよう」
カイサがいいます。
「ぼくは、ポポタキスにするよ。あ、でも樹木蜜にしようかな、
やっぱりアマチャヅルもいいしなあ・・・」フェイも迷っています。
「わしはやっぱり定番のポポタキスにするワイ」
と石舞台の丘の上から飛んできたバショー。
「おれはアマチャヅルだな。濃い緑色の美しさがたまらん!」
ホテル ジャマイカ・インのお客さんたちまで引き連れてやってきたコルネがいいます。
「北のほら穴の氷が、こんなに繊細な味の食べものに変わるなんて、
思ってもみませんでしたわ」
イザベラさんもやってきて、ひとさじ口にいれると、
氷の味を味わい尽くそうとするように、目を閉じていいました。
このとびきり冷たい、夏ならではのごちそうを前にすると、
だれもが言葉すくなになります。
ひとさじひとさじ、舌の上ではかなく溶けていく、
きよらかな氷と、ジロ特製シロップのまじりあったえもいわれぬ味。
食べ終わるころには、体のすみまですうっと冷たさがしみわたって汗がひいていく快さに、
みんなは思わず「ふぅーっ」と満足のため息をつくのでした。
バニャーニャはいま、夏まっさかり。
削り氷がおいしい暑い日がまだしばらくつづきそうです。
*************************************
バニャーニャになにか、音楽がほしい、とずっと思っていました。
そして、その音色は森や草原、苔のはえた木々に似合うものでなくちゃ。
ヴァイオリンをひくイザベラさんは、いままで経験した楽器の音といろいろな情景
―トルーマン・カポーティの『草の竪琴』の一節とか、
桐朋学園の教室でセーラー服の学生が弾いたブラームスとか―
が、混ざり合ってできたイメージから生まれました。
楽器のなかでは、ピアノとヴァイオリンの音が好きです。
ヴァイオリニスト樫本大進さんの演奏が特に好き。
でも立派なホールで聴くコンサートのヴァイオリンもすばらしいけれど、
もっと野性味ある場所とか、
思いがけないカジュアルな状況で聴いたヴァイオリンが、
なぜか心に深く残っています。
今夏は節電のためにツル植物を窓の外に植えた家もよく見かけました。
ずっと昔のことですが、ある旅行先で、
ぶどうの葉が厚くおおった家を見たことがあり、
家のなかはきっと緑色の闇に包まれているんだろうな、
とか夏はさぞ涼しいだろうな、と
思ったことがあります。
バニャーニャもひとつの世界ですから、
この世界がどんなエネルギーで動いているのかは、
気になるところです。
バニャーニャに電気はあるか、というと・・・・
いちおう電気という存在はあるけれど
(ホテル・ジャマイカインと雨ふり図書館には自家発電機があるらしい)、
ふだんのみんなの生活では、あまり使われていない、
というより必要とされていない、ということのようです。
バニャーニャの灯りはランプかキャンドル、
暖をとるのは薪ストーブか暖炉、ということですね。
電気はいくつかあるエネルギーのひとつで、
さほど特別利用しなくても、ちゃんと動いている世界、
というのがバニャーニャであり、
わたしの夢みる世界でもあります。
雷の発する電気が、そのままするすると入ってたまってくれるような、
ホテル・ジャマイカインの蓄電池のようなものがあったら、おもしろいですね。
いずれにしても、バニャーニャに節電の夏はありそうもありません。
冷蔵庫のないバニャーニャの夏だからこそ、
かき氷は夢のように美味しいに違いない。
いま当たり前のように家庭の冷蔵庫で簡単につくれる氷ですが、
氷のない夏、ってかなりつらい・・・・・・。
特にかき氷大好きのわたしには。
それでバニャーニャのみんなに、氷をつかった甘いものを食べてもらうには、
天然氷のことを知らなくちゃ、ということであれこれ調べてみました。
氷に蜜をかけた食べものは日本では平安時代からあったようで、
もちろん人工的に夏に氷をつくることができない当時は、
気の遠くなるほど貴重なものだったことでしょう。
清少納言の『枕草子』の一節。
『あてなるもの(上品でうつくしいものの意)
削り氷にあまづら入れて、新しきかなまりにいれたる』
「削り氷(けずりひ)」、「あまづら」、「新しきかなまり」(金属製のわん)
この3つの言葉のなかに、夏に氷を口にできる喜び、美しさ、貴重さ、ぜいたくの極み、
といったすべてが表現しつくされていて、さすが清少納言。
とくに「かなまり」が新しいというところに、
夏に冷たさに触れるぜいたくな喜びを感じさせるあたりがすごい。
清少納言が口にしたような夏の氷はこの時代、
氷室から飛脚で、途方もない労力をかけて運ばれたとか。
バニャーニャのほら穴で見つかった氷池の氷の味。
想像したいけれど、私はまだ一度も天然氷のかき氷をたべたことがない。
で、娘を誘って鵠沼海岸の、天然氷を使ったかき氷で話題の埜庵(のあん)に行ってきました。
いっぺんにそういくつも食べられるものではないので、
前日から埜庵店主 石附浩太郎著『お家でいただく、ごちろうかき氷』(メディアファクトリー刊)という本を見て、
数ある名シロップのなかから、何を食べるか熟慮。
その日は 猛暑がひと息ついた曇り空。
開店10分後につくと、もう満席で並んでいる人がいます。
注文したのはキャラメルとイチゴミルク。
100パーセントフレッシュなイチゴからつくられたイチゴのシロップと特製の練乳もかけて。
きました、きました!
まずイチゴシロップのかかっていないところを、ひとさじ口にいれてみると・
・・・・・
ん?ほんわりとやわらかい冷たさ。甘露!
ほのかにコーヒーとチョコレートの風味がかくれているキャラメルシロップも。
ここはかき氷専門店なので、もちろん冷房はナシ。
シロップはすべて吟味された手づくり。
「天然氷はどうして、冷蔵庫で作られた氷より
溶けにくいんですか?」なんていう私の質問にも
お忙しい店長さんが、ていねいに氷の種類について教えてくれたり・・・と
かき氷を美味しく楽しむために、あらゆる努力がされているのでした。
実は少し前に、いつも虫さがしにいく生田の駅近くのパン屋さんのイートインで、
日向を虫さがしに歩いた体を冷やしたくて、105円!のかき氷を食べたのです。
店内で座って食べられて105円、というのはすごーくお得感のあるお値段でしたが、
でもこのかき氷、きぃーーーん、とひたすら鋭く冷たいだけで、
なんか食べていて楽しみがないというか・・・・・・。
でもこの経験が水道の水を冷蔵庫で凍らせただけの氷でできたかき氷と、
天然氷かき氷の味、舌触りの落差をはっきり実感させてくれたともいえそうです。
バニャーニャのほら穴の氷の味も、埜庵の氷みたいな味だといいな、とイメージしながら、
ジロが削り氷をみんなに食べてもらおうと、駆けまわる場面を書きました。
シロップはバニャーニャならではのポポタキスははずせませんね。
アマチャヅルは、この前トリノフンダマシを見に行ったときに教えてもらって
葉を噛んでみたら、びっくりするほど甘い!名前のとおりの甘いツルでした。
樹木蜜を煮詰めた茶色のシロップは、埜庵で食べたキャラメルソースの味を思い出して。
でも、埜庵から帰ってからネットで読んだ天然氷づくりから関わる店主の苦労というのは、壮絶だった・・・・。
天然氷のかき氷をお客さんに出すということは、こういうことなのか、と。
興味のある方は、ぜひここを読んでから、埜庵に行ってみましょう。
(一年中天然氷のかき氷が食べられます)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/20/news001.html
もう1冊読んだかき氷本、蒼井優さんの『今日もかき氷』(マガジンハウス刊)もかき氷気分を楽しく盛り上げてくれました。
蒼井さんが台湾まで食べに行ったという台湾風の氷菓も食べてみたくなって、
糖朝で「芒果冰(マンゴーピン)」。
なるほど。
ミルクの味をつけてから削った氷に、マンゴーとナタデココ入り。
氷の見た目も、カンナで削ったようなリボン状で、重たい感じだけれど
これはこれで美味しかった。マンゴーとすごくよく合っている。
もう少ししたら、また鵠沼海岸へ行ってこようかな。
まだ氷あづきとか、練乳氷とか、柑橘シロップとか食べてみたいのがいろいろあるから。
それにしても氷って、水の質、何度で凍ったか、凍結後の温度の推移などによって違うというのだから
思っていたよりずっと奥深い。
バニャーニャの天然氷の味を想像するためという口実で、かき氷を食べまわっている夏です。
「バニャーニャ届いた?」と、楽しみにしています。
チクチクのことが好きみたいで、
雷シーンでは、チクチクの真似をして丸まり、
イザベラさんの「その方って~トゲトゲがあるボールみたいな方?」に爆笑していました。
葉っぱに埋もれた家って、気になります!
yさんは以前、アイビーに埋もれた家に見惚れながら歩いて転び、骨折したことがあります。
ツル植物は、少しの土で育つからいいよね。
でも建物を傷つけるから、支柱がいいよ。とyさん。
雷って、植物にどんな影響があるんだろう。。。
かき氷を食べに、鵠沼行きたくなりました!
アイビーに埋もれた家に見とれて骨折!!!なんてyさんらしい(笑)。
私はつたに埋もれた家に住みたいです。
家のなかまでツタが染み透ってきちゃってるみたいな。家をツタに占領されちゃってるみたいな。
雷は、私の知っているだけでも、多肉植物に
綴化(せっか)という現象をひきおこすことがあるそう。雷によって、植物の生長点が、たくさん横に広がって、怪物のような姿に育つんです。
これは次回の話で書きたいです。