バニャーニャ物語

 日々虫目で歩く鈴木海花がときどき遊びに行く、風変わりな生きものの国バニャーニャのものがたり。

バニャーニャ物語 その5 ジロ、冒険の旅から帰る

2011-06-01 06:56:56 | ものがたり




作・鈴木海花
挿絵・中山泰
 


国境の町のむこう、
<ナメナメクジの森>を越えると
そこには、
ちょっと風変わりな生きものたちの暮らす国がある




 あれやこれやで、冒険の旅から帰ったジロが
もとのようにスープ屋を再開するまで、
しばらく時間がかかりました。

 春早くに船出してから
冬がもうすぐ来ようとしているこの季節まで
ずっと心に抱いていた、
ジロにとっては生まれてはじめての長い大冒険の旅でしたから、
ぶじにバニャーニャにもどってきてからしばらくは、
ぼーっとして
またふつうの日々にもどるまで、
時間がかかるのも当たり前かもしれません。


「はじめにね、東の方を目指してね、最後は南を目指したんだ・・・・・・」
みんなにおみやげを渡しながらジロはそういうと、
はて、どこから話していいものか、
途方にくれて、口をつぐんでしまいました。

面白かったこと、
びっくりしたこと、
死ぬかと思った危険な目にあったこと、
心に刻みつけた美しい風景の数々、
助けてくれたひとびとのこと、
こわかったこと、
珍しいものとの出会い・・・・・・
話したいことが胸にあふれて、
口に押し寄せ、そこでオシクラマンジュウをして、
うまく出ていかない感じ、といったらいいでしょうか。





 「わあ、すごいや!こんなのが欲しかったんだ!
さっそく写真をとりまくるぞ」
フェイへのオミヤゲは、小さな黒いカメラでした。
それから世界中の砂浜や砂漠ですくってきたいろんな色の砂。
それらは旅の間にジロが飲んだ
ジュースの空きビンにつめてありました。
「このカメラでまず砂の写真をとろう、っと。
世界の砂のカタログをつくりたい、と前から思っていたんだ」
フェイの声がはずんでいます。

「ほう、こりゃあ、いいや!
このカバンなら、配達するものをちょうど
東西南北に仕分けして入れられるから、
ごちゃごちゃにならなくて具合がいいぞ」
モーデカイがもらったのは、
4つもポケットがついた黄色い革の配達カバン。

「あれ、これなぁに?どうやって使うの?」
カイサがもらったオミヤゲを見て言いました。
「それはね・・・・・そうだカイサ、いま何か虫もってる?」
ジロがききました。
「うん、きょうはゾウムシといっしょだよ」
カイサがポケットからマッチ箱を出して
開けると、縞模様のゾウムシがこっちを見上げました。
ジロはおみやげをゾウムシに近づけると、
レンズのなかをのぞいて見せました。


「あっ!それもしかして、ルーペってやつ?」
カイサがジロをマネして、
レンズ越しにゾウムシを見ると・・・・・・・
ゾウムシのちっちゃいけれど立派な長い口吻がくっきりと見えました。
「わあぁぁぁ、すごーい。ゾウムシの眼も、鼻も、
肢の先っぽまでよぉぉく見えちゃう!!!」
カイサがすっかり興奮していいながら、
ついているヒモをさっそく首にかけてルーペを胸に下げました。
「楽しみだな~。これからは、いっつもこれもってることにするね。
ジロ、ありがとう!」


 そしてシンカには、びっくりするほど分厚い―5センチ以上はありました―
『世界の珍植物』という図鑑でした。どのページにも細密な絵で、
見たこともない珍しい植物が、色つきで載っています。
「名前はきいたことがあっても、
想像するしかなかった花や木がこんなにたくさん!ジロ、ありがとう!」
青い顔を興奮で赤くしながら、シンカはそういうと、
さっそく図鑑に没頭しました。


 そんなある日のこと。
秋の終わりと冬の到来を告げるかのような、
ひんやりとした夜でした。
ジロは、夜中に目を覚ましました。
下の階で、なにやら物音がします。
「はて、なんだろう?」

ことっ、ささっ、かさっ。
ジロは明かりをもって
こわごわ、階段を降りていきました。
下の階は店と調理場ですから、
そこには今、誰もいないはずです。

そのとき「タタタッ、タタ、タタタタタ」という
声ともささやきともわからない、つぶやきのようなものが聞こえてきて
ジロはドキン、としましたが、勇気をだして(小さい声でしたけど)
「だれか、いるの?」と
明かりを動かしながらいいました。



応えはありません。
そのあとは、なんだかやけにシーンとしてしまいました。
ジロはしばらく階段の途中で耳をすませていましたが
音はもう聞こえないようでした。
裸足の足の裏から、ぞぞーっと怖さがはいあがってきて、
ジロは急いで2階にあがると、
布団をかぶって寝てしまうことにしました。

 翌朝、ジロは手早く朝ごはんをすませると、
フェイのところへ向かいました。
きのうの物音が気になってしかたがないのです。
でもひとりで家中を調べてみるのは、ちょっとコワい。

 フェイはまだ朝ご飯の最中でした。
「あれ、ジロこんなに早くどうしたの?」
ジロはきのうの夜のことを話しました。
「ねえ、いっしょに来てくれない?」
「ジロがいない間、ときどき
モーデカイとカイサとシンカと交代で家の窓を開けて
空気を入れ替えに行ってたけど、
なんにも変ったことはなかったけどなあ。
それじゃ、モーデカイとカイサやシンカにも
いっしょに行ってもらおうよ」
フェイもちょっとコワかったのでそういいました。


 5人はジロの家につくと、
まず店の中を隅々まで何かかわったものがいないか、さがしました。
「地下の食料庫には、ジロがいないあいだ、入ってないんだよね」
カイサがいいました。
「うん、あそこは窓がないから、空気を入れ替える必要がなかったからね」
とモーデカイ。
「やっぱ、あそこじゃない?」とカイサがいいました。

 5人は足音をしのばせて、食料庫への階段を下りていきました。
バニャーニャでは、たいていどこの家にも
涼しい地下の食料庫があります。
ポポタキスはもちろん、イチゴやスグリのジャムのビン、
ジャガイモや干し野菜などをしまっておくためです。
 モーデカイがまず食料庫のドアを細めにあけて、中をのぞきました。
そして「あれ?」と声をあげました。

 食料庫の床に、なにやら袋が散らばっています。
「あ、あれ去年森で採ったポルチーニ茸を乾燥したのをいれといた袋だよ」
ジロはそういうと、中に入って床の袋を取り上げてみんなに見せました。
ちゃんと「○○年○月 ポルチーニ茸」というラベルが貼られていますが、
袋はどれも空っぽでした。
「ポルチーニ茸が大好きな誰かがここに忍び込んで、食べちゃったに違いないな」
とシンカがいいました。
 そのとき、カイサが震える指で隅っこの方にあるものを指していいました。
「あれ・・・なに?」
みんなはぎょっとして、そっちを見ました。




そこには、灰色と白の混ざったトゲトゲしたものにおおわれた、
片手に乗るくらいの大きさの、
ボールのようなものがころがっていました。
「なんだろう?これ」
フェイがコワいもの見たさで近寄って見ていると、
「ぎゃっ!!!」
丸い形がゆっくりとほどけて、
なかから小さな黒いビーズみたいな二つの目と、
ピンクの真珠のような鼻、
それに縮こまった細い手足が4本出てきたではありませんか。

「ポルチーニどろぼうはこいつか」モーデカイがいいました。
「ジロが留守の間、ここに入り込んでいたんだな」とフェイ。
「ずいぶん、丸まっちい生きものだね」とカイサ。

 すると、そのとき、それは手足を大きく震わせながら、
「タタタ、タタタッ、タタ」と声を出しました。
「ぼくのポルチーニをぜぇんぶ食べちゃったのはキミ?」
とジロがいうと、その生きものはまた
「タタ、タタタタタッ」
とさっきより大きな声をだしました。
「タタばっかしじゃなくてさ、なんか言えよ」
とフェイがちょっと怒っていいました。

「あのさ、この子、タしか言えないんだと思うよ」
とカイサが考え深げにいいました。
「あのね、ほんとはポルチーニ茸なんか食べたいわけじゃなかったって、いってる」


「こいつのタタが、何をいってるのかカイサにはわかるの?」
とシンカがききました。
「うん、なんとなくわかる」とカイサがいうと、
それはまた前にもまして激しい勢いで、
「タタタタタタ、タタ、タタタタ、タタ」と声をだしました。
「ほんとに食べたかったのは、
乾燥したキノコなんかじゃなくてハエだったんだって。
でもここにはいなかったから、
仕方なく目の前にあるものを食べただけだって、いってる」

「ハエーっ、きみハエが好物なの?」とフェイ。
すると、フェイのいうことがわかったようで、それはまた
細い手足を振りながら、「タタタタ、タタ」と声を出しました。

「ハエねえ・・・・・さて今はもう冬もはじまろうってところだから
あんまり見ないよねえ」とモーデカイ。
「タタタタタ、タタ、タタタタ、タタター」とそれはまたいいました。
「死んでるのじゃイヤだって、生きてるのがいいんだって」カイサが通訳しました。
「勝手なことばっかりいうやつだなあ」とフェイ。

 するとシンカが膝をうっていいました。
「ハエがいるとこ知ってますよ!わんさか。貝殻島へ行けば!」
「貝殻島って?」とジロがききました。
「そうだ、まだジロは知らなかったんだ」とモーデカイ。
そこでみんなは口々に、バニャーニャの近くの海底火山が爆発して生まれた、
ちっちゃな黒い島のことをジロに話しました。

「貝殻島は、海面に出ている小さな島の下に、おっきな海底火山があって、
それが熱をもっているから、
島はまるでしじゅう温泉につかっているようなものなんだ。
だからバニャーニャとは全く違う植物がすごい勢いで生えて育っているんだ」
シンカが日ごろの調査の成果を披露しました。


「ねえ、これから貝殻島に行こうよ!」とカイサがいいました。
「うん、それがいい、ジロにも見せたいし」とフェイ。
カイサは、そのボールのようないきものをそっと手に載せてみました。
見かけはウニのように、トゲトゲでおおわれた体ですが、
手で持っても痛くはありませんでした。
「ちょっとチクチクするけどね。ところであんた名前は?
「タタ?」
「ないの?じゃあ、あんたの名前はチクチクにしよう。
チクちゃんもいっしょに貝殻島に行こう。ハエいるよ」
チクチクは、カイサの手の中で、
うれしそうに「タタタ」と声をあげました。

 ホテルが満室で大忙しのコルネに
「ボート借りるよ」と声をかけてから、
みんなは何回かにわけて
―ボートは3人乗るといっぱいでしたから―
貝殻島へ上陸しました。

「ここ、旅の最後に行った南の島にそっくりだなあ」
と島に着いたジロはおどろいていいました。
バニャーニャとはまるで様子が違います。

「ほら、ここだよ」とシンカがみんなを案内したのは、
たわわに実をつけている一本の木の下でした。
その木の下には、熟しすぎて落ちた実がたくさんころがっていて、
腐りはじめた果肉にはハエがいっぱい集まっていました。

「タタタタタタタタッッッター」
チクチクはボールのようにころがりながら、ハエに突進しました。




 ほかのみんなは、まだ木になっている実を食べてみることにしました。
黄色と緑と、そして赤い色の混じった大きな実です。
かじると、なかはオレンジ色で、
甘くて異国の香りのする汁がたっぷりです。
「これ、たしかママンゴーっていうんだと思うよ」
とモーデカイがいいました。
前に国境の町の市場で売っているのを食べたことがあるんだそうです。
「おいしいねえ~」
みんなは口も手も汁でべとべとにしながら、
おなかいっぱいママンゴーを食べました。

気がつくとチクチクもおなかがいっぱいになったのか、
うとうとと居眠りをしています。
「チクちゃんさあ、ここで暮らせばいいよね、ハエいっぱいいるし」
とフェイがいいました。
すると、チクチクはたちまち目を覚まして
「タタタタタタタター、フゥッ、フゥッ、フゥッ!」
とすごい鼻息とともに声を出しました。

「そんなのイヤだって。ひとりはさみしすぎるし、
寒いところであったかくして眠るんじゃなくちゃ、ダメなんだって」
とカイサがいいました。
「むずかしいことばっかしいう奴だなあ」
とフェイがあきれ顔でいいました。

「それじゃあ、うちの暖炉の後ろの物置き部屋で眠ればいいよ」
とジロがチクチクにいいました。
「もうそろそろ暖炉に火を入れようと思っているんだ。
あそこなら冬中ほんわか、あったかだよ」

 翌朝はすっきりと晴れていいお天気になりました。
ジロは戸口のドアの鈴をチリンと鳴らして外へ出ると、
ささやくように流れる川の音をききながら、深く息をしました。
そう、帰ってきてからはじめてといっていいくらい、深い息でした。
息を吐き出しながら、自分のなかのスイッチがかちっと、
切りかわったように感じました。
 「よっし!」とジロは声に出していいました。
やっと前のような暮らしをはじめる
気持ちの準備ができたのがわかりました。

その日、フェイは店のテーブルにかける
ギンガム・チェックのクロスをすべて洗濯して
川辺に広げて干しあげました。
クロスが乾くと、カイサがアイロンがけを引き受けました。
シンカは店中のほこりを払って床もふきあげ、ピカピカにしました。
そしてモーデカイは暖炉と煙突のススをはらって、
いつでも火をいれられるようにしました。

「みんな、ありがとう。明日は全メニュー半額だよ」と、
一日中スープの仕込みに余念がなかったジロがいいました。
「きっと半島じゅうからお客が集まってくるぞ」とモーデカイ。
「みんなジロのスープをまた飲めるのを楽しみにしていたからねえ」
とフェイもしみじみした調子でいいました。
「いそがしくなりそうだな」
というジロの顔はしあわせそうに輝いています。




 店の前では、すっかり葉を落として細い枝だけになった柳の木々の間を、
ちいさな風がくるくると通り過ぎていきました。



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 旅から帰ったあとって、環境ががらりと変わるので、
順応するのにちょっと時間がかかったりします。
日本がさむーい時期に南国へ行ってきたときとか、
逆に汗だらだらの真夏に、キーンと空気の冷えた国に行った時とか、
そんな急激な気候の変化が私は大好きです。
体も脳みそも、やわらかくなったり、
きゅっと引き締まったりして活性化されるようで。
 そんな変化の刺激もおもしろいですが、
いつもと同じような毎日が平凡につづく自分の家にもどったときの
ホッと感もたまりません。
でももし、そのいちばん安心できるはずの家の中で
怪しいもの音がしたら・・・・・こわい~。

 ジロの冒険の旅は半年以上でしたし、小さな舟での一人旅でしたから、
海が荒れたり、こわいことにもたくさん合ったでしょうし、
きっと学んだこともいっぱい。
バニャーニャとは全く違う気候風土、
習慣の違う人たちとの出会いもあったに違いありません。
 ジロはそんな旅のあれこれを、
おいおい話してくれるんじゃないかな。

 チクちゃんは、ハリネズミみたいな生きものですね。
ハリネズミには、私はずっと興味をそそられてきました。

 何年か前にチェコの街と森をめぐる案内書『よりみちチェコ』という本の取材で、
娘と半月ほどチェコに行きました。
この取材旅行で私たちが密かに目的のひとつとして楽しみにしていたのが、
ハリネズミに出会うこと。
ハリネズミは日本でもペットとして飼われていますが、
私たちが会いたかったのは、
チェコの森のなかにいる野生のハリネズミでした。

 そこで私たちは取材で出会う人ごとに、
「あのー、話は違いますが、
あなたはハリネズミに出会ったことはありますか?」
と訊いてまわりました。

「ええ、冬眠しようとガレージに入ってきちゃって、
車の出し入れに危なくてこまったことがありましたよ」
とか、

「ハリネズミって、鼻息がものすごいんですよ、
フハッ、フハッって。
森を歩いていて、まだ姿が見えないうちに鼻息の音で、
あ、ハリネズミがいるってわかるくらいですからね」
と教えてくれた人もいましたし、

また、ハリネズミっていうのは
割と簡単に冬眠に入ってしまう生きものらしく、
「チェコでは、道路などで冬眠にはいってしまっているハリネズミを見つけたら、
自宅の地下室などで安全に冬眠できるように保護してやる、
という風習があるんですよ」
という人もいて、
この国の人たちにとっていかにハリネズミが
身近な生きものであるかがわかりました。

 ハリネズミは虫食らしく、
森の中で昆虫を食べて生きているものらしいです。
また夜行性なので、
残念ながら旅行中の私たちが
森で出会う機会はありませんでした。
旅行者が早朝、夜間によく知らない森の中に入っていく、
というのは難しいことでしたから。

 実物には会えなかったのですが、
チェコの自然を写したたくさんの写真の載っている
古い本に、野生のハリネズミの親子の写真を見つけました。


手前右下のボールみたいなのが
子どもハリネズミです。かわいい~。


 この本の画像をさがしていたら、
おみやげの写真も一緒に見つかって、
なつかしくなりました。

旅に出るとたいていこういう
朝食ブッフェやルームサービスの食事についてくる
ジャム、マヨネーズ、チーズ、ハチミツ、バター、
マスタード、ケチャップなんかのポーションを
つい集めてしまいます。
デザインもかわいくて、
見ているだけで旅の楽しさ、
おいしかったものなどを思い出す、
自分へのおみやげです。

チェコではハリネズミはクッキーの形とか、
文房具とか絵本とか、キャラクターとか、
いろいろなところに登場します。
そのどれもが愛らしくて、
ぜひバニャーニャにもハリネズミみたいな生きものにいてほしいなあ、と思ったわけです。
バニャーニャのチクチクは、
そのマイペースな振る舞いで、
今後みんなのひんしゅくを買いそうですが。