日中、カメラを持ってブラブラ
先日北条線を少し撮影して、なんだかイイ雰囲気だったので再度訪問してみました
列車転覆事故
それは一九四五年(昭和二十年)三月三十一日のことだった。
静かな田園地帯を揺るがす大惨事が起こったのである。
国鉄加古川線北条支線北条駅を十五時五十分に出発した六一〇列車(天田機関士)が十六時十二分網引駅西方三〇〇米付近に差しかかった。
折しも、川西航空機鶉野工場で完成した局地戦闘機「紫電改」(操縦五田栄上飛曹、二十歳)が試験飛行をするために鶉野飛行場を離陸し、
飛行場周辺を飛行し南より西北に向って着陸態勢をとり高度を下げエンジンを絞った、その時エンジンが停止した。
法華口駅を五分遅れて出発した列車の目前を飛行機が滑るように降りてきた。
そして尾輪が線路を引っ掛けもんどり打って田地に墜落し、線路が一米ばかり北に移動して傾いた。
ここで悲劇が起こった。
列車には途中に停車した駅から乗車した人々で満員であった。
列車は脱線し、蒸気機関車は百八十度転覆、客車は転覆折損し、死者十二名(乗客十一名と飛行機搭乗員一名)重軽傷者一〇四名を出す惨事となったのである。
救助のため、軍、消防団、地元の人々が活躍した。その日、のどかな春の夜のしじまを破る鎚音が不気味な響きを帯びて鳴り続けたという。
夜を徹しての復旧作業が行われたのである。
ここに加西市における戦前戦後を通じた最大の交通事故の顛末と、その惨禍を後世に伝え残し、併せて犠牲者への鎮魂の思いを込め、郷土の歴史にその事実の概要を留めんとするものである。
https://www.kobe-np.co.jp/news/hokuban/201704/0010054027.shtml
過去に大惨事があったなんて知りませんでした。
多くの人命が亡くなったんですね。
事故に遭遇した蒸気機関車
しかし暑い
風は吹いてるんですけどね・・・
熱風が・・・
暑いうえに、セミ泣き過ぎ
余計イライラするっちゅーーねん
今夜はビール片手に、きれいな花火を見ながら
銀のポンプ
井戸は死んでるようです。
電車を待つ待合室にはイロイロ展示
マナーの悪い人はどこにでもいますね。
カッコ悪い大人にはならない様に肝に銘じます
まだまだ見どころ沢山ありそうな加西市
女性の運転手さん
今日も安全運転で出発進行