7月17日、裕次郎さんの命日に、妻まき子さんから「石原プロ解散」の発表がありました。
以前から何度も噂があり、そのたびに否定されてきましたが、いよいよ現実となってしまいました。
寂しい気持ちと同時に心のどこかでほっとしている自分がいます。
裕次郎さん亡き後の石原プロは、石原裕次郎の名を守るためなのか、
かつての豪快さや明るさ、自由な雰囲気が、私には感じられなくなっていました。
あまりに裕次郎さんの存在が大きすぎたと思います。
ご本人たちが名乗ったわけではないけれど、「石原軍団」という呼び名も抵抗がありました。
そうしたことが影響したのか、裕次郎さん亡き後は、かつて憧れ夢中で観ていた石原プロの作品や
活動から自然と遠のいてしまいました。
とはいえ、やはり今回の報道には感慨深いものがあります。
不意に思い出したのですが、大昔、まだ小学生だったころ、神田さんのプロフィールに「石原プロ所属」とあり、
当時は雑誌などに会社の住所や電話番号が載っていたので、同じく石原プロファンだった友人と、
公衆電話から電話をかけたことがありました。
「はい、石原プロです」というおじさんの声が聞こえ、“わ!ホントにつながった!”と興奮して、
しかし、なにを言っていいかわからず、そのまま切るというw
迷惑以外のなにものでもないですが、しばらく友人とドキドキを共有したものでした。
その後、石原プロの俳優のみなさんを実際に見ることができたのは、裕次郎さんの葬儀のときでした。
憧れの人たちがすぐ目の前に並んでいるという信じられないような光景と、
そこには裕次郎さんがいないという事実を同時に味わい、強烈な記憶としていまだにその場面は
思い出します。
それから年月が経ち、石原プロが今の場所に引っ越して間もないころだと思うのですが、
会社の入ったビルの玄関から出てくる舘さんと神田さんをみかけたことがあります。
おふたりとも40代になったばかりくらいだったと思います。
神田さんはイメージ通りの柔らかい感じでしたが、舘さんが思いのほか普通というか、
テレビよりも薄味?で驚いた記憶があります。
おふたりとも、いい意味で「会社にいたら嬉しいかっこいい上司」みたいな雰囲気でした。
ま、いませんけどね、実際。
それまで思ったことなかったですが、そのときのおふたりの醸し出す空気感が似ていて、
「ああ、仲が良いんだな」と、ある種の緊張感をもって『ゴリラ』を観ていた私は安心しましたw
石原プロ悲願の映画製作が叶わなかったのは残念ですが、昭和の一時代を築き視聴者を熱狂させ、
平成、令和になっても当時のファンのみならず、若い世代も楽しめるテレビドラマを作ってくれた
石原プロのすべてのみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
看板をおろしたあとは、マイペースで、裕次郎さんの分まで長く、我々を楽しませていただけたらと願っています。
以前から何度も噂があり、そのたびに否定されてきましたが、いよいよ現実となってしまいました。
寂しい気持ちと同時に心のどこかでほっとしている自分がいます。
裕次郎さん亡き後の石原プロは、石原裕次郎の名を守るためなのか、
かつての豪快さや明るさ、自由な雰囲気が、私には感じられなくなっていました。
あまりに裕次郎さんの存在が大きすぎたと思います。
ご本人たちが名乗ったわけではないけれど、「石原軍団」という呼び名も抵抗がありました。
そうしたことが影響したのか、裕次郎さん亡き後は、かつて憧れ夢中で観ていた石原プロの作品や
活動から自然と遠のいてしまいました。
とはいえ、やはり今回の報道には感慨深いものがあります。
不意に思い出したのですが、大昔、まだ小学生だったころ、神田さんのプロフィールに「石原プロ所属」とあり、
当時は雑誌などに会社の住所や電話番号が載っていたので、同じく石原プロファンだった友人と、
公衆電話から電話をかけたことがありました。
「はい、石原プロです」というおじさんの声が聞こえ、“わ!ホントにつながった!”と興奮して、
しかし、なにを言っていいかわからず、そのまま切るというw
迷惑以外のなにものでもないですが、しばらく友人とドキドキを共有したものでした。
その後、石原プロの俳優のみなさんを実際に見ることができたのは、裕次郎さんの葬儀のときでした。
憧れの人たちがすぐ目の前に並んでいるという信じられないような光景と、
そこには裕次郎さんがいないという事実を同時に味わい、強烈な記憶としていまだにその場面は
思い出します。
それから年月が経ち、石原プロが今の場所に引っ越して間もないころだと思うのですが、
会社の入ったビルの玄関から出てくる舘さんと神田さんをみかけたことがあります。
おふたりとも40代になったばかりくらいだったと思います。
神田さんはイメージ通りの柔らかい感じでしたが、舘さんが思いのほか普通というか、
テレビよりも薄味?で驚いた記憶があります。
おふたりとも、いい意味で「会社にいたら嬉しいかっこいい上司」みたいな雰囲気でした。
ま、いませんけどね、実際。
それまで思ったことなかったですが、そのときのおふたりの醸し出す空気感が似ていて、
「ああ、仲が良いんだな」と、ある種の緊張感をもって『ゴリラ』を観ていた私は安心しましたw
石原プロ悲願の映画製作が叶わなかったのは残念ですが、昭和の一時代を築き視聴者を熱狂させ、
平成、令和になっても当時のファンのみならず、若い世代も楽しめるテレビドラマを作ってくれた
石原プロのすべてのみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
看板をおろしたあとは、マイペースで、裕次郎さんの分まで長く、我々を楽しませていただけたらと願っています。