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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教の勧め【30】仏教を聴聞した結果、その人はどの様になるのでしょうか

2020年10月20日 | 仏教・親鸞聖人

 仏教の勧め【30】仏教を聴聞した結果、その人はどの様になるのでしょうか

 人間は煩悩の塊であり、その煩悩(欲・怒り・そねみ ねたみ等108あると言われます)は死ぬまで変わらないのです、止まらず・消えず・絶えず】 親鸞聖人ご自身の事だと仰っています、 煩悩の塊である人間は一生悪しか出来ないのである、絶対の幸福など無いと言う人が多いが、その身になっていない為、分からないのが殆どの人です、絶対の幸福の身にならないと解らない事であります。

 この煩悩が盛んな人間を助けるための本願であり信心決定し絶対の幸福に救われた場合、(煩悩=さわり)さわりがさわりとならなくなり、絶対の幸福に助けられるのです。人生は苦労の連続でありこの事を親鸞聖人は難度の海と言われています、色々な苦労に出会っても即苦労でなくなる世界、絶対の幸福の世界に出させて頂けるのです。

 さわりがさわりにならない世界に出た人=信心決定した人・絶対の幸福になった人でないと、この事は解らないのです、体験すればハッキリわかるのです。言葉では説明できないのが信心獲得=信心決定=絶対の幸福に掬い取られた状態です。

 親鸞聖人の書かれた正信偈に【たとえて言えば、天を覆う雲や霧が満ち満ちていても太陽が有れば雲の下でも明るい・太陽が無かったら雲の下は真っ暗で雲や太陽の有る事すら分からない暗闇である、雲は煩悩であり太陽は他力によって絶対の幸福に救われた人の事であり信心が決定してこの世で絶対の幸福になった人は死んだら必ず極楽に往生できる、生きている今、さわりがさわりにならない身=絶対の幸福にになり死んだら極楽行きが決まると親鸞聖人は教えておられます。死んでどうなるか分からなければ生きている今も暗い心です、絶対の幸福に生きている今、他力によって救われた人は死んでから極楽に行けると言うお約束が阿弥陀仏の誓願であります、(生きている今救われた人は死んでから極楽行き間違いなしの身になり、生きている今も不安な暗い心でいるの人は死後も真っ暗です、この事を仏教では【生死一如】と申します。

 大悲の願船に乗じて

     光明の広海に浮かびぬれば

         至徳の風静かに、衆禍の波転ず  (教行信証行巻)                   合掌

 私訳:絶対の幸福に救われた人は波のごとく繰り返し繰り返し押し寄せる人生の苦難が即喜びに替わる、さわりがさわりにならない素晴らしい世界に生かされますよと親鸞聖人が仰っています          合掌

 



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