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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

【この世ではどうにもならないので死んだら極楽に行ける】間違った教えです【2】

2020年12月21日 | 仏教・親鸞聖人

 【この世ではどうにもならないので死んだら極楽に行ける】間違った教えです【2】

『私は朝夕に正信偈を読み念仏も欠かさないので死んだら極楽に行ける』は大きな間違いです、親鸞聖人は9才で比叡山の僧侶になられ天台宗の自力の修業を全て実行され20年間自力で善人になる事(後生の一大事の解決)を目指されましたが、その甲斐なく泣く泣く山を下りられたのです。念仏を毎日唱えても念仏には自力の念仏と他力の念仏が有り、念仏を唱えて極楽に行くと言う念仏は自力の念仏です、念仏も信心も自力か他力かで全く違っているのです、自力で(信心決定)を勝ち取ろうとしても絶対に出来ない事です、阿弥陀仏より頂く信心・念仏でなくては【絶対の幸福】=【無碍の一道】=【信心決定】にはなれないのです。

親鸞聖人の(信心同意の浄論)で阿弥陀仏から戴く信心は法然上人も親鸞も全く同じものであると言う至極当然の事です、私もこの絶対の幸福者になるべく聞法に励んでいます。             合掌

 



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