こんにちは。長南です。いつもメルマガを読んで頂き、どうもありがとうございます。さて本日は、あなたの輝く未来へ向かって生きる意味に最短最速で近づく21のステップ、第10のステップをお届けします。今回は、ついにあなたの未来を見透し自在にあやつる運命の原理が明らかになります。
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2月20日(月)ステップその10
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■シンプルだけどパワフルな運命の法則
∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞…∽…∞……∽ 運命とは一体何でしょうか?仕事のある人であれば、今なぜ、この仕事についているのだろうか。将来はどのような仕事をするのか。結婚している人ならば、なぜこの人と結婚したのか?していなければ、将来どんな人と結婚するのか。今自分はなぜこんな病気になったのか。将来、どんな病気になるか、将来、幸せになるか、不幸になるか。どんな人でも、自分の運命ほど、知りたいことはないと思います。
仏教の根幹は『因果の道理』ですが、お釈迦様の教えられた原因と結果の関係の、一番の特色は、私たちの一番知りたい「運命について」の原因と結果の法則だということです。
その、運命はどうやって決まるのかということについてお釈迦様はシンプルにこう教えられています。
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善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
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▼『善因善果(ぜんいんぜんか)』とは、善い原因は善い結果、『悪因悪果(あくいんあっか)』とは、悪い原因は悪い結果を引き起こす、ということです。善いタネをまいて悪い結果が起きることもなければ、悪いタネをまいて善い結果が現れることもありません。分かりやすく言いますと、大根の種をまけば大根が出てくる。スイカのタネをまけばスイカが出てくる、ということです。大根の種をまいてスイカが出てきたり、スイカの種をまいて大根が出てくることは絶対にありません。まいた種と同じものしか生えてはこないのです。
大根の種をまきながら、「何が出てくるかなあ」という農家の人もないし、スイカが出てきたのを見て、「あのとき何の種を蒔いたかなあ」と迷う人もないでしょう。まいたものが分かれば何が出てくるか分かりますし、出てきたものを見ればまいた種が分かるからです。
▼ということは、ある程度、未来が見えてきます。大学受験に向けて、勉強する気になれず、遊んでばかりいる人は、何が出てくるかわかります、大学に入っても、将来のことを考えず、遊んでばかりで4年間過ごしてしまったら、おそらくピンチでしょう。
▼次に『自因自果(じいんじか)』とは、自分のまいたタネは、自分が刈り取らなければならない、ということです。他人のまいたタネの結果が私に現れるという「他因自果(たいんじか)」ということもありませんし、私のまいたタネの結果が他の人に行くという「自因他果(じいんたか)」ということも絶対にないと、教えられています。
▼ここでお釈迦様が「タネ」といわれているのは「行い」のことであり、「結果」とは「運命」のことです。
▼自分が勉強すれば自分の成績が上がるのであって、友達の成績が上がると思ったら誰も一生懸命努力する人はいないでしょう。酒を飲んで酔っぱらって怪我をするのは、飲んだ本人であって、隣にいる人がフラフラになるということは絶対にありません。
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善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
━━━━━━━━━━━━━ とは、幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、不幸や災難という運命は、悪い行いが引き起こしたものなのです。善いのも悪いのも、自分の運命のすべては、自分のまいたタネが生み出したものですよ、と仏教では教えられています。神というものがいて私の運命をつくったのでもなければ、先祖のタタリで不幸になるのでもない。キツネやタヌキがついているからでもなく、印鑑や手相、星や日取りの善し悪しで運命が決まるのでもありません。あなたの運命のすべては、あなたのやった行為の生み出したものであり、それは万に一つも例外はないのだよ、と教えられているのが仏教なのです。
▼この「運命は、行いが生み出す」ということは、意外と日本では、誰でも小さい頃から、昔話でふれています。たとえば、「花咲かじいさん」でも、善いおじいさんは、宝が出る。悪いおじいさんは、ゴミが出る。善いおじいさんは、灰で桜が咲く悪いおじいさんは、灰が殿の目に入って捕まる。
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善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
━━━━━━━━━━━━━ を鮮明にしています。「舌切りスズメ」も、スズメをかわいがっていたおじいさんが訪問し、小さなつづらを持ち帰ると、宝でした。スズメの舌を切ったおばあさんが行くと、大きなつづらを持ち帰ると、おばけでした。笑ってしまうほど明快です!日本人の多くは、仏教文化に親しんでいるので、当たり前と思う人が多くありますが、
★これを明らかにされたのは、なんと、人類史上、お釈迦様ただ一人です。世界中の人、ほとんどは、神が運命を与えると思っています。東洋でも、先祖のタタリや、キツネやタヌキと思っているのです。お釈迦様が明らかにされた本当の運命の法則、この
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善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)
━━━━━━━━━━━━━━ がわかれば、結論は
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廃悪修善(はいあくしゅぜん)
━━━━━━━━━━━━━━ となってきます。「廃悪修善」とは、悪をやめて、善を修める。こうしてあなたの未来の不幸や災難がへり、幸せへ、幸せへと、導かれてゆくのです。
▼では、あなたを不幸や災難へとぐいぐい引っ張ってゆく、やめねばならない悪い種まきとは何でしょうか?自覚なくやってしまっていたら、大変です。逆にあなたを輝く幸せへ導く、善い種まきとは何でしょうか?このことはとても大切なので、また明日、続けましょう。
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■21ステップ 第10回 終了
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本日もお読み頂き、どうもありがとうございました。
この話をすると、必ず出てくるのが、この質問です。
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> 生まれながらにしてすでに障害があった子供に対しては
> まだなにもしていないのになぜか
> という疑問に対してどう説明すればいいですか
---------------------------------------------------------------- おたずねの生まれつきの障害は、障害まで行かなくても、色々な特徴を持った人もあり、逆に驚異的な才能を持ってる人もあります。同じ両親から生まれても、人それぞれ性格も才能も違います。例えば天才作曲家のモーツァルトは、5歳で作曲したそうですが、彼のお姉さんは、同じような教育を受けながら、そこまで才能が花開くことはありませんでした。このような、生まれつきの才能や容姿、または、家族や場所や時代も、人それぞれの結果です。すべての結果には必ず原因があるという因果の道理からしますと、原因は、結果より前にありますから、生まれる前に原因があるということになります。仏教では、私たちは、生まれる前、果てしない遠い過去から、死んだ後、永遠の未来に向かって、生まれては死に、生まれては死に、生死輪廻を繰り返していると説かれています。ちょうどそれは、とうとうと流れる大河のようなもので、肉体は、その上にぽっとあらわれてしばらく流れてぱっと消えるあぶくのようなものです。消えるとまた次の泡ができてしばらく流れて消えます。そうやって、肉体は生まれては死に、生まれては死に、私たちの永遠の生命は、因果の道理にしたがって、自分の心と口と身体で造った業力によってものすごい勢いで変わりながら、果てしなく生死の迷いを繰り返していると仏教では説かれています。
▼ですからご質問の「生まれながらにしてすでに障害があった子供」という生まれた時点の結果は、原因は必ず結果より前にありますから、仏教では、それまでの過去の因(行為)によるものということになります。そういう生まれつきのことや、生まれた後でも、病気か事故か何かで苦しんでいる「他人」に対して、「それは自業自得だよ」などと追いやったら、もちろんかわいそうです。それでは無慈悲ですから、かわいそうな人は親切に助けてあげましょう。それが仏教です。
仏教は、自分のこととして聞かねばなりませんので、他人ではなく、「私」に不幸や災難がきた場合に、自分の種まきを反省して、より善いたねまきをするようにしましょう、ということをお釈迦さまは教えられているのです。
つまり、幸せの方程式として、
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1「他人」が不幸→親切
2「自分」が不幸→反省
━━━━━━━━━━━━━━ ということです。これはどちらも明日お話しする予定の、善いたねまきですから、どちらにしても善果が来て、どんどん幸せになって行きます。結果には必ず原因があり、原因に応じた結果が現れます。まかぬタネは生えません。仏教は、他人に親切にして、自分のたねまきを反省して、向上して行きましょう、というかなり力強い教えなのです。
このように未来の運命は、今のたねまきによって変えることができます。パワフルに運命を変えていきましょう。
▼ところで、私たちはなぜ、そうやって、生まれ変わり死に変わり、果てしのない苦しみ迷いの旅を続けているのでしょうか?それは、欲や怒りや愚痴といった煩悩によって悪業をつくっているのが原因だと教えられています。ところが、さらなる仏教の真髄からいえば、苦しみ迷いの根本原因は、実はプレゼントの小冊子『本当の生きる意味が分かる7つのステップ』~あなたを一生苦しめる人生最大の間違い~
https://true-buddhism.com/mail/TheRootCauseofSuffering.pdf
にまとめてあった「無明の闇」というくらい心であることが明らかにされています。ですから、無明の闇が破れれば、煩悩あるがままで、永遠の生命の迷いが解決されます。そうなると、肉体はまったく問題になりませんから、未来永遠の幸福となります。
生まれつきの障害があろうが、老いと病で肉体が衰えようが、死が来ても崩れない絶対の幸福になります。ですから、この無明の闇を断ち切られ、永遠の迷いの解決をするのが、人間に生まれた目的だと仏教で説かれています。
そして仏教は、人間に生まれたときしか聞けませんので、
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人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、さらに
いずれの生に向ってか、この身を度せん。(お釈迦さま)
------------------------------------------------------------ と言われます。生まれ難い人間に生まれ、聞きがたい仏法が聞けた今生は千載一遇のチャンスです。ぜひ無明の闇が破れるところまで仏教をお聞き頂きたいと思います。全ステップ終了まで、あと11回です。1日5分、「人類の到達した最深の思想」にふれることを習慣化してください。次回は、相手の立場に立つということも含めて、今回に引き続き、お釈迦様の教えられた何が善いたねまきなのかということについてお話し致します。
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他にも学べるところが色々あると思います。それではまたメールします。
お体くれぐれも大切になさって下さいませ。
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生きる意味をすべての人へ
発行:長南瑞生
日本仏教アソシエーション株式会社
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