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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

 人は皆悪人である訳を考える

2023年07月09日 | 仏教・親鸞聖人

 人は皆悪人である訳を考える

嘆異抄 第三章 【善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人おや】仏教は法鏡なりとお釈迦様が言われるように、法律や倫理、道徳と大きく違うのは、心を問題にしているからである、法律・倫理・道徳は口と体で行う事を問題にしているのに対して仏教は心を問題にしているから全く違った物であり、心の命令で口や体が動くのであり人間の心を仏教では一番問題にしているのである。

法鏡は真実の私の姿を映して見せる鏡=仏教を聞けば聞くほど自分の姿が見えてくる。お釈迦様は【心常念悪・口常言悪・身常業悪・曾無一善】口も体も心も悪ばかりで一善もないのが人間であると教えられています。親鸞聖人は『いづれの行も及び難き身なればとても地獄は一定、住みかぞかし』歎異抄 仏教=法鏡で自己の姿を照らしぬかれたお言葉です。

五逆罪 1、母を殺す 2、父を殺す 3、阿羅漢(仏の悟りを開いた聖者)を殺す 4、僧の和合を破る事 5、仏身に傷つける

十悪業 1、殺生 2、偸盗 3、邪淫 4、妄語 5、両舌 6、悪口 7、綺語 8、貪欲 9、瞋恚 10、愚痴(邪見)

五欲  1、財欲 2、色欲 3、飲食欲 4、名誉欲 5、睡眠欲

これらの沢山の悪業を心で思うだけで罪を犯したことに法鏡=仏教ではなる、全ての人間の行動は【曾無一善】一善もできない悪人であると教えられています。煩悩の塊が人間でありこの人間の実相を知り、こんな私達を阿弥陀仏ただ一人が【絶対の幸福に救いとるぞ】という本願を立てられ実行されておるのが仏教です。 仏教は聞く一つで救われる教えです人間に生まれた今、仏教を聞き明かしましょう。私達の生まれてきた目的は【佛教を聞いて絶対の幸福者になるためであります】           合掌  

 

 


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