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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

人生の目的と親鸞聖人

2021年01月17日 | 仏教・親鸞聖人

 人生の目的と親鸞聖人

問 【私は時々、自分はこんなに苦しみながら生きて行かねばならないのか、なんのために働いているのだろうと考えます。人生の目的は何だと親鸞聖人は教えられて居るのでしょうか。】

答 【自分は何のために生きているのか。今、苦しみに耐えながら、なぜ働かねばならないのか。真面目に生きている人なら必ずあなたの様な疑問が起きて来るはずです。もし何のために働いているのかと質問すれば、殆どの人は食わんが為と答えるでしょう。では何のために食うのかと反問すればくわにゃ死んでしまうじゃないかと答えましょう。それでは食ってさえいればいつまでもいきられるのかと聞けば、だれしも返事に窮してしまうでしょう。人間は生きる為に食べ、食べるために忙しそうに働いているのですが一日生きたという事は、一日死に近づいたという事です、これが否定できない厳粛な真実です。にも拘らず、殆どの人は此の確実な死を無視して生きる事ばかり考えて、捕らぬ狸の皮算用をしています。『この会社何年務めて係長になり課長になり部長になりなったとしても65才で定年か。退職金はこれくらいだから小商売でも初めて、年取ってから、また一年生になるかあァ~いやんなちゃうな~』とちょっぴり人生に絶望し掛けます。ここで『どうせ何十年かたったら死んでしまうのだ生きているうちに、したい放題やった方がましだ』と考えて、酒やマージャンで、せめて桃色ぐらいの人生にしようと致します、しかしそれは一時のごまかしであって、こころからの安心も満足もなく、人生の解決にはなりませんから、こんな人は最後まで苦しみ続けねばなりません。

この時に仏縁深き人は、『これはウカウカして居れないぞ。このままでは、死ぬために生きている事になるではないか、人生の目的を突き止めるまでは、死んでも死にきれない』と真剣に仏教を聞くようになるのです。人生究極の目的は、仏法しか解き明かされていないからです。

仏教を説かれた釈尊の求道の動機も、この人生の目的の探求一つでありました。そして苦しい修行を六年なされて、『全ての人を、必ず絶対の幸福に救いとる』という、無常の大誓願を建てられている。、本師本仏の阿弥陀仏を発見されました。事実どんな人も、この弥陀の本願に信順すれば、必ず、絶対不壊の幸福になれる事を突き止め、弥陀の本願こそが、全ての人の究極の目的であると、生涯、弥陀の救い一つを説き続けて行かれたのが、釈尊であり、親鸞聖人で在りました。

あなたも親鸞聖人から真実の仏法を聞き求め、素晴らしい人生を味わって頂きたいと念じ上げます。

(親鸞聖人の花びら)より                    合掌

 

 



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