つれずれ散歩toフォト

気の向くままに旅と散歩のフォト日記

旅日記 伊勢神宮と斎宮

2009-03-29 15:42:38 | Weblog
 友人から伊勢神宮参拝を誘われました。
最初に訪れた場所は三重県の斎宮歴史資料館です。

斎宮は、寂しい斎王物語・・・ 
私は斎宮(さいぐう)歴史資料館へ行くまでのその存在を知りませんでした。

天皇家に生まれた内親王が伊勢神宮の神に嫁ぎ「斎王」として天皇家と伊勢神宮をつなぐ役割を果たしていたそうです。
斎王となった内親王はひっそりと斎宮に住まわれ、年にたった3回の天皇家と伊勢の神様を結ぶ儀式の為だけに
生きる運命となる、それは汚れなき処女が条件だったそうです。{

天皇が変わる度に皇室の姫君を伊勢神宮へ嫁がせる制度が、飛鳥時代に始まり650年以上も繰り返し行われた事は、まるで神への貢物にされた悲しい女性の物語だと思いました

伊勢神宮の参拝には橋の手前の川で手を清めた後、ようやく神宮への橋を渡ります。
内宮を参拝し雅楽と舞の奉納を拝観出来ると云う事で興味津津で出かけました。
広い境内に進むとひんやりとした空気に包まれ自然と神聖な気分になって来ました。
雅楽のリズムは余りにもゆったりした調べで、現代の音楽とはかなり違う曲の流に、一応神妙な面持ちで舞を見ながら必死に眠気を堪えました。

まるで安眠音楽のようで、布団の中で聞いたらすぐに夢の世界へいざなう事でしょう。
神様・・・不謹慎な事を云ってごめんなさい。



思い出の旅日記パート20 奈良、法隆寺

2009-03-26 15:34:33 | Weblog
旅日記、奈良編は世界遺産「法隆寺」を書いて終りにしたいと思いつつサボっていました。

法隆寺は余りにも有名で、改めて日記に残さなくていいかな~なんて思いましたが、ここを書かないと奈良編が終わらない様で、気分的に別の旅日記へ移行出来ない気がして、やはり書く事にしました。

法隆寺付近を斑鳩の里(いかるがの里)と言います、昔は斑模様の鳩が沢山飛んでいたようです。

法隆寺の回廊の柱はギリシャ神殿のように・・・
五重の塔や金堂を囲む回廊は屋根の梁が「人」字型で支えられ、回廊には何本も太い柱が並び、ギリシャ神殿の柱のように中間が僅かにふっくらと膨らんでいます。
歴史も文化も違う場所で建てられた柱の作りが、良く似ているのが印象的でした。

八角円堂「夢殿」に納められている国宝「救世観音像」は聖徳太子の等身像と伝えられ秘仏中の秘仏とされていました、明治までは誰も拝顔した事がなかったそうです。
しかし、明治になって法隆寺住職の意思に反して包んでいた布が無理やり解かれ、中から今作られたばかりの如く黄金に輝く仏像が現れたそうです。

現在 救世観音像は春と秋の年2回だけ開扉され拝観できます。

国宝「百済観音」は朝鮮半島から迎えた仏師が作ったのか、又は百済から贈られたのか定かではないらしいが、他所では見た事のない面長でスラリとした8頭身の仏様でした。
 
法隆寺に有る沢山の国宝や文化財やその歴史を辿りながら、古代史の旅 奈良へ又行きたくなりますが、この辺で法隆寺と奈良の旅日記を終りにします。

文化財がお土産として国外流出・・・
明治の開国以後 外国との交流が盛んになると役人は外国からの客人に日本の古い文化財を惜しげもなくお土産として渡した為、法隆寺や、他の寺も国宝級の仏像や美術品文化財を数多く失った事はとても残念です。

役人に案内された外国の客人は、より取り見取りに選んで母国に持ち帰ったそうです。
明治維新の、にわか役人は歴史遺産の大切さが判ってなかったのでしょう。    

同時に政府の廃仏毀釈令によって捨てられた仏像は数限りなく、後にこの条例が破棄された時はすでに遅く沢山の仏像(美術品)が壊された後だったそうです。

思い出の旅日記パート19 奈良、吉野の桜

2009-03-08 13:01:36 | Weblog
 もうすぐ桜の季節です。
桜風景で忘れられない場所が豪華絢爛たる吉野の桜です。
初めて行った吉野は中千本~奥千本まで峰みねが桜、桜一色で圧倒され綺麗、々の連発でした。

しかし、歩くにつれ吉野の歴史は古く、山桜をご神木として枝を切らず代々大切に守った事が現在の桜山を造り、
更にこの場所が数々のドラマやロマンを秘めた歴史の舞台である事を知りました。

勝手神社は、源義経と泣く泣く別れた静御前が追っ手に捕らえられ、舞を舞わされた場所であり、
山裾にある如意輪寺には、この地で悲憤の死をとげた後醍醐天皇の陵墓があり、他の天皇陵とは比較にならない程
小さく粗末なものでした。戦い破れた天皇の末路は寂しいものだったようです。

蔵王堂は桧皮葺の重々しい建物で、吉水神社は豊臣秀吉が花見の際の本陣となった場所で、
見晴らしの良い場所にありました。

桜の季節は毎年気まぐれです、
2度目に前回行けなかった場所を歩きたいと訪れた時は花が散った後でした。

吉野の帰りに、壷坂寺へ寄りました。
小学生頃の浪曲で“目を患った夫を妻が労わり、共に歩いた夫婦の物語”を、父がラジオで聞いていました。
最初の一節を覚えています
「妻は夫を労わりつ、夫は妻を慕いつつ~~~」の浪曲の舞台となった縁のお寺です。

この様な浪曲を知ってる私は・・・古い人ですネ~

思い出の旅日記 パート18 奈良~若狭へ

2009-03-06 09:13:04 | Weblog
 今年も東大寺のお水取りが始まりました。
以前書きましたが、お水取りは夜中の行が本番です。

二月堂前の小さな建物の中に若狭井が有り、お水取りの時以外は硬く閉ざされ周囲はヒイラギの枝に
守られています。
若狭湾に面した福井県小浜の神宮寺に、お水送りの井戸を見に行きました。
神宮寺はお寺と神社が寄り添ったような珍しいお寺で、井戸からは滾々と水が湧き出ていました。

伝説では、全国の神様が奈良に集まる席に遅刻した若狭の神様が、お詫びに「若狭の水を送る」と約束したそうです。
その後、1250年以上も毎年 戦争中も一度も途絶える事なく、3月二日に“鵜の瀬”から二月堂へのお水送りが行われます。

若狭湾に面した小浜は古代から大陸との交易が盛んで、奈良時代からの寺、明通寺など国宝の寺が点在し
想像していた以上に興味を満たしてくれました。

港で水揚げされた鯖は、夜を徹して走り京都方面に運ばれ鯖寿司に加工し珍重されたそうです。
冷蔵設備の無かった昔、「鯖の生き腐れ」と云われる鯖の輸送は時間が勝負だったのでしょう。
最近この道も観光化されて「鯖街道」と呼ばれています。

商店街を歩くと、店先で焼く香ばしい鯖のかほりが食欲をそそりました。
ここは、小鯛と焼き鯖が名物です。