夕日と宴会お昼から三時半頃迄浜辺にいた後一度戻り、お互いにシャワーを浴びる事にした。暫くすると姉さん(章子)が泉屋迄来た。少し話しをした後カメラを持ち出して近くの「見晴らし台」に登った。「見晴らし台に登った」といってもそれ程高いものではなく、感じとしては公園などによく見られる小高く盛り上がった、高さ7〜8mの高台の様な所である。それは琉球王朝時代の官船の為に篝火を焚いた . . . 本文を読む
6.14. 「オイルを塗って…」 昨夜の別れの際に約束したとおり長谷川章子と一緒に西桟橋に出て、南へ向かう様に渚(岩場?)を歩き、コンドイ浜で海水浴(日光浴)を楽しんだ。水面が膝ぐらい迄の浅いところ、岩場付近で小さな水色の熱帯魚を見つけた。別にどうという事はない当たり前の事なのではあるが、その当たり前&hell . . . 本文を読む
✼ この章子は(あきこ)と読む。後に同じ章子と書いて(しょうこ)という人が登場するので、今ここで注釈しておきます。
6.13 . 長谷川章子 登場
石垣島から竹富島迄同船して泉屋に連れて来た二人の女の娘二人、大阪の瓦谷次代と福井正子が朝、石垣島のハーリー祭を観に行く為に他の数人と竹富を発った。彼女達はそのまま帰路につくと言っ . . . 本文を読む
6.11.民宿・泉屋(後編) 「ゆっくりしてきなよ」10:15amの「日昇丸」は10:45am、三十分程で竹富島に着いた。石垣島に比べ、不思議なくらいにこの島は晴れていた。石垣↔竹富の間は、わずか6km程である。それでもここでは考えられる事なのであろうか。桟橋から島の中央へ向かう道すがら、「日昇丸」に同船していた二人の女の娘 . . . 本文を読む
9日10日の日記は一応書いてはあるものの、ちょっとここでは載せ難い内容なので割愛致します。色々有ったけど、結局は石垣島へ渡る事になったのです。17:00の船(おとひめ丸)に乗り込んだのは私と毛利と秋田から来ていた須藤の3人。私にとっては民謡の宝庫の様な八重山諸島は、それだけで十分な魅力を備えていた。 6.11.民宿・泉屋、竹富島 &n . . . 本文を読む
過去に於いて私が日記なる物を書いたのは、恐らく2回程だったと思う。最初は学生時代の所謂「恋の日記」の様なもので、今はもう残されてはいない。現存している物は今手元に在る『The Wanderlust=Then How I Was』と名付けた沖縄渡島から始まる、所謂旅日記(日誌)がそれです。この初めての沖縄渡島は6月6日(ノルマンディー上陸作戦の日)に晴海港から出航し、48時間15分後の6月8日に足を . . . 本文を読む