画面いっぱいに眉山が広がる徳島の風景、映画の始まりは母の病気を報せ
る1本の電話からでした。
原作は、献体後の慰霊祭でしたが、これはラストシーンとなっていました。
「神田のお龍さん」こと龍子(たつこ)さん母娘、出生のわだかまりが尾を引き
相容れなかった二人でしたが、病(余命幾ばくか)を通してお互いの心のうちを
理解し合える思いが伝わりました。
お龍さんの啖呵は原作よりやや端折っていましたが、啖呵の後の畳の椅子
に膝まづいての言葉「・・・・病む人はみな同じ、平等にお診たてくださいます
ように。」 には涙がこぼれました。でもその後はついと立って頭も下げずに去っ
ていったお龍さん、お龍さんのせめてもの威厳でしょう。
娘 咲子が父(戸籍上でない)との対面や、幼い頃思い出の中にある男性(父)
との出来事など現在とダブらせての演出でした。
最後の20分間は。壮大で華麗な阿波踊りが繰り広げられました。想像して
いたより衣装も華やかで舞台も 大掛かり、踊りの種類も多く、特に踊りの最終
を飾る総連踊りは、圧巻で した。
阿波踊りの際、お龍さんと30年ぶりの咲子の父との出会いは、お互いが遠く
から見つめあい、悲しげに満足の笑みさえ残して去るシーンに胸打つ思いが
しま した。お龍さんは阿波踊りの場でみんなにお別れをしたのでした。
宮本信子さんのお龍さんは格別でした。
最終、シーン「夢草会」慰霊祭ではショパンの「別れの曲」の流れる中、登壇し
て、院長から感謝状を受け取り、献体時に残したメッセージ(どんな言葉でも
よい)に書かれた「咲子がわたしの命でした。」の一言は、母から娘への愛の
メッセージでした。
延命装置を受け入れず、自分の意思で献体もしていったお龍さん、潔い生き
方、死の受け入れ方に熱い思いがしました。
原作は細かい描写などされていますが、映画はまた各シーンで映画ならでは
の一面がうかがえました。
山 「眉山」 大きくてなだらかでやさしい山でした。(標高290M))
眉のようなやわらかな曲線から名づけられたと・・・・・
あちこちですすり泣きが聞こえましたが、貴女が見に行ったときはいかがでしたか?宮本信子さんの演技が光っていましたね。阿波踊りも素晴らしかったし、ほんまもんの阿波踊りが観たくなりました。
良い宣伝にもなりましたよね。
さすが宮本信子さんね。幾つかのシーンで泣かされましたよ。
良い映画はまた観たいね。原作 もどうぞね。
さんの演技が良かったみたいね。
生きるということを改めて考えさせられましたね。
潔い生き方できるかなあ・・・・