夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

北陸は雪でも 志摩は暖かい 仲間でのゴルフ

2013-11-30 20:03:29 | Weblog

  天気予報では、岐阜や北陸では雪とのことでしたが、志摩地方では朝霜は
 降りたものの陽が射せば暖かく上着も要らないほどです。

  昨日は同級生仲間のゴルフ子犬会でした。いつものメンバーのYさんは
11月半ばから娘さんの居るドイツへと2週間あまり滞在してくるとのことで、
3人でのゴルフでした。金曜日伊勢志摩ロイヤルカントリーはフロントやレスト
ハウスは開かずマスター室での受け付けによるスルーでのゴルフです。
  廻りながら食事と言うことでおにぎりかパンなどそれぞれが持参です。今回
は2回目でスルーにも少し慣れました。料金も安いことで、かなり練習を兼ねて
廻る人も多いです。

  午前中は一点の雲もなく、ヤッケやベストも要らないほどでした。午後からは
少し雲が広がりましたが、良いゴルフ日和でした。これからの季節雪でクローズ
もあるところもあり、その点志摩地方はゴルフの利点に恵まれた土地と言えます。
   スコア 95  (49   46)

  今日は朝から畑仕事、草抜きや里芋を掘ったからとたくさん頂きしばらく土
 に埋めて置くようにとのことで食べる分だけ洗い、あとは埋めました。バケツ
 いっぱい程でした

 


 「月下上海」 食堂のおばちゃんが書いた本   ー上海ー

2013-11-28 15:29:43 | Weblog

    山口 恵以子著作 「月下上海」 は第20回松本清張賞の受賞作です。

   スキャンダルを逆手にとり人気画家にのしあがった財閥令嬢・八島多江子
が主人公
、戦時下に日本を離れ、上海に渡り、上海で多江子が出会う四人の
男たちとをめぐってのの謀略と、恋愛の物語です
                         

  奥宮瑠偉 元夫  愛人と組んで妻(多江子)殺害の計画・・・しかしこれは
                多江子の仕組んだもの・・・・スキャンダルの素

  槇庸平    招聘元である中日文化協会に潜入していた憲兵大尉
          重慶に逃れた蒋介石政権と通じている証拠を探すように強要
          される

  夏方震   槇に近づくことを強要された民族資本家、しかし多江子は、
                 その人間的な大きさに惹かれて行く

    黄士海  医学生ながら抗日運動に身を投じる

   昭和17年の上海を舞台に、これら4人の男性をめぐってスパイ活動に手を
 染めたヒロイン、ロマンスが交錯するストーリーでした。

   著者   山口恵以子さんは早稲田大学文学部出身、小説家でありな
                がら社員食堂で働くおばちゃんです。   

    上海と言えば昔から歌にも歌われたように華やかな都会です。自由
   貿易都市でもあり、戦時下でもその様子は伺えます。中国 ロシア、日本
     フランス、イギリスなど多くの人種の街でした。・・・上海には南京条約による
   外国人居留地(租界) が多くありました。
     虹口(ホンキュウ)四馬路(スマロ)フランス租界、上海の街は戦中か
     ら戦後にかけて当時ダンスホールで働いていたダンサーたちは大連、ハル
      ビンへ
と海外へ働き場所を求めたものです。
       これらの都市の名前も本には多く見られました。

    わたしは中国旅行(10年前)の際、上海も訪れましたが今や国際都市
    で世界の企業も進出、ビルの高さは世界に誇る高層に目を見張ったもの
    です。空港の大きさも成田の比ではないでした。
     
         上海空港
     
     


      


葬儀に関与  通夜 明日は葬儀 

2013-11-26 14:42:06 | Weblog

  寒くなりこのところ我が地区もいくつかの葬儀があり、葬儀施設は毎日の
ように名前の書かれた案内がされています。

 わたしも昨日から荼毘、今夜の通夜、明日葬儀と関わっての日々です。
しかし最近は高齢家族が多く子どもは居てもそれぞれ遠くに居住で、今日の
場合も1人の子が県外に嫁いでいて、亡きあと田舎の付き合いが出来なくなる
とあって、親戚などは別として、地区の家々(200戸近く)からの香典などは辞
退すると言うことです。

  こうした家はこれからは多くなり、家の跡継ぎがどんどんと居なくなっていき
ます。子供達には子供達の生活があり田舎の義理付き合いには到底無理
言うことです。冠婚葬祭についてはどこかで改革していかなければならない時
が来たのでしょう。

 昔は葬儀と言えばかなりの飲食が付いていて、何回もの食事の用意を
親族
でしたものです。葬儀そのものも役割を決め準備なども組の者たち
で行い地区
全員で長い葬列の
野辺送りでした。

  今やプロの葬儀屋さんで全てしてくれるからおまかせです。家族や親族、周り
は参列すればよいだけで簡素化です。その分費用はかかるでしょうが・・・・
葬にしても20年ほど前までは殆ど土葬でしたが、今は全くの火葬です。
お墓も場所をとらずに済みます。これからはこれらさえ海、山への散骨や
樹木の下など様々な方法での葬りかたがされるでしょう。
  わたしなど散骨を願うほうですが・・・・・

 今日の通夜でのお坊さんの話
   式の始まる前に、焼香、拝礼の仕方も話されました。
      焼香   1度目は額の上まで挙げる、2度目はごく普通に少しだけ摘ま
          んで灰の上に落とす。初めと終わりは合掌。
              
      家での線香は1本~3本
  式後の話  お釈迦様により仏教が広められ、人間の「生・老・病・死」
        四苦(八苦)を伴う、それらを少しでも和らげる為に仏教があり
            死は誰しも免れないものとして、安らかに浄土を願い、心を静
         めるために、葬儀はあると・・・・・
                 


「一期一会」のおもてなし  

2013-11-24 19:41:26 | Weblog

  今日は二つの展覧会を見るために家を出ました。阿児町の友と阿児アリーナ
で待ち合わせがしてあり、先ずは、退職教員教員鳥羽志摩地区による展覧会
を見ました。絵画、書、陶芸、カメラ生け花、手芸品など力作を見せていただき
ました。現職時代からされていた人はもちろん、退職後に作品制作に取り組ま
れた方もあり、行く度にいつも感心させられます。

  ロビーの一角で、茶道裏千家淡交会青年部(50歳以上)の地域研修活動
の一環として南勢地区の会員の方々による市民呈茶会が行なわれていて、
「お茶をどうぞ」と言うことでした。また別室では自分で茶を立てたり、茶花の生
け方なども指導するコーナーも設けられていて参加しました。

 お茶は全くの「おもてなし」です。茶菓子は松坂の銘菓を使用され目の前で
野点のお点前をされていました、全員和装で男性は袴の着用でした。
 会場には野点傘も置かれその下には「一期一会」の書が見られました。
          
            

  「一期一会」はとは茶道におけるお茶会の心得です。
茶道で、客との出会いは一度限りのものであると考え、心をこめてもてなす
ようにと教える心得と言うことです。
         

 お茶、お菓子を頂いた後、茶花や お茶立ての用意をされた部屋に入り、盆立
てをしたり茶花を生けたりしました。秋の生花が用意されていて、わたしは紅葉
樹の一枝と椿一輪を備前焼きの花器に活けました。

  帰りにはわが町の「清崎アトリエ」で行なわれている「アトリエ展」ー清崎先生
の門下10人ほどによる作品展ーへと、ここも絵を描いて何年も経たれた方達
ですから、力作揃いでした。
    

  今日は茶道、美術の文化に触れた良い一日でした


志摩市大江戸温泉施設へ

2013-11-23 20:24:43 | Weblog

  昨年志摩市浜島町にあるホテル「紫光」が温泉施設「大江戸温泉物語」とし
てオープンし、お安い値段で宿泊やお昼のバイキングとお風呂のセットで集客
です。
       

  こうした施設は最近大きなチェーンで運営されている所があり今年も春に
は、賢島には「湯快温泉」の施設
オープンされています。何処も低廉化です
から女性客をターゲットのようです。

  今日は予約してあった大江戸へわたしの友達Sさんと親戚のTさん、その友
だちのUさんの4人で行きました。バイキングの昼食です。和、洋、中華の献立
が並べられわたしは自分が食べられるものだけ選びました。
     

  12時から3時までとなっていますがわたし達は1時過ぎには終わり、ロビー
に座りしばし休んで温泉へと入りに行きました。何年か前濱島では温泉を掘り
あげたところがあり、その温泉の使用だそうです。


町内に大型スーパーオープン

2013-11-22 22:34:38 | Weblog

  我が町に大きなスーパーが昨日オープンしました。福井県のスーパーが展開
するスーパープラント志摩店です。昨日、今日は内覧会でした。
  県道沿いにあり出入りがしやすい所で。駐車場も広く志摩市は防災での避難
場所として協力するとのことです。
        

  食料品はもとより、衣料品、生活用品、園芸、スポーツ用品、医薬品、玩
など売り場があり、一箇所ですべて買い物が出来るほどです。

   しかし大型スーパーの進出で早くからの小さなスーパーはしばらくは打撃かと
も思います。われわれ消費者にとっては店がたくさんあることはありがたいです
がお互い牽制しあってのスーパー業界も大変でしょう。

 昨日今日は目玉商品など超安売りで驚くほどでした。薄利多売か目玉か、とに
かくみなさん4つもの籠いっぱいを買っていました。わたしは1個の籠でしたが・・・

  プラントカードも作りました。家から10分ほど車を走らせたら行けるところです。
田舎は少しでも家から近いところにスーパーがあると言うだけでもうれしいもの
です。今日は食料品ばかりの買い物でした。


80歳を迎えた友達  ー市の行政サービス

2013-11-20 18:58:34 | Weblog

  我が地域の友達S・Kさんはわたしより1歳上で先月80歳となり、市の福祉
行政の対象者としての扱いを受けられることになったそうです。
   S・Kさんは今は独り暮らしです。息子達は同じ地区の少し離れた所に居住
してはいますが、全て1人で隣組の付き合いから税金その他も息子達とは別
の暮しです。若い頃は勤めもあり、亡くなったご主人の年金などでひとりで生活
してます。
 
   しかし、糖尿病の病気もあり1ヵ月1度は町内の医院で薬はもらっています。
普段は野菜作りなどしっかりとしていてわたしなどよく野菜苗をいただきます。
独り暮らしと言うことで市の方から、月2回の給食サービスをと民生委員の方
から言われ一旦は遠慮したそうですが、受けることになり昨日第一回目の給食
を配達してもらったと言っていました。

  市に合併する前、5年ほどわたしは町の給食作りに関与したことがあり
ます。その前には1週間ほど保険所で食事つくりの講習を受け
月2回作り、
後の洗いもしました。(40人~50人ほどの弁当作り)
  今は返さなくてもよいお弁当となっているそうです。

  また町では80歳になると神宮のほうから金剛杖を与えられ、頂いたことも
話していました。杖はつかずにすめばですが、どんな時に必要かは分からな
いです。

  なお町では75歳以上の独居老人の家には民生委員と消防署の方から
火災の安全点検に来てくれました。警報装置が設置してあるかなども確か
めていきました。灯油入れのポリ容器などはあまりたくさん置かないように
とのことでした。(5個以上は届ける)防災用のホイッスルを頂きました。 

 市では福祉サービスとしていろいろとあり、費用なども寄付金、共同募金
などのお金が割り当てられるようです。 

 わたしももう直ぐ80歳となりますが、まだ自分で身の回りのことが可能
な限りは福祉の恩恵は後回しにと思っています。明日の事は??ですが・


午前中地区グランドゴルフ  午後健康体操

2013-11-19 19:37:30 | Weblog

  わたしのような高齢者にとって健康を保つことは第一で、健康であれば
他人
に迷惑をかけない生き方が出来、社会的にも保障費用をいくらか
でも軽減です
健康保険税、介護保険料等支払っていますが、医療保険も
今は支払った額より費用は少ない額です。介護保険の方は出来れば受けら
れるずに済めば幸いですが、・・・・いつ介護のお世話になるかは分かりませ
ん。

  少しでも健康生活を送りたいと、常に身体を動かしての生活の心がけてはい
ます。今日は午前中は我が地区のグランドゴルフが、町のふれあい公園(芝生)
で、24,5名の参加で行なわれました。スコアより仲間との交流を大事になるべ
く参加死ています。仲間での忘年会の話も出ていました。
               

 5人組でわたしの組は3人がホールインワンをしていました。5人ともホール
インワンと言う組もあったそうです。わたしはこのところホールインワンからは
見放されています。今日も4ラウンドして95とパープレーがやっとでした

    健康体操

 午後からは1時から南勢地区長寿社会大の健康体操で、志摩町から
いきいきはつらつ健脚運動の方(三重大学の指導の下に結成)が来られ、
参加の会員20名あまりで磯部町の体育館で行なわれました。

 15cm巾で長さ160cmのセラバンドを使用しての足腰のストレッチ運動
で、童謡や唱歌、民謡に合わせて1時間半程しました。

        
       
 
最近はわたしの町内でも各自治体で健康保持、体力つくりのために何かと
企画されているようです。 バンドは頂きました。 毎日少しずつでも出来そう
です。


「永遠の0(ゼロ) 」 百田 直樹作   孤高の天才0戦パイロット

2013-11-18 18:56:32 | Weblog

  2006年に初版、そして今また再販され、12月には映画の封切もされる
と言う百田直樹さんの「永遠の0」(事実に基づいた物語)です。
          
     
   わたしは軍国少年少女であっても兵士の出征を送っただけで軍隊(陸海軍)
の戦いは本や映画で見るだけで殆ど知らないです。

   この本では「生きて妻や子どもの下へ帰りたい。」と生への執着の強か
った
零戦のパイロットで周りから臆病とさえ言われていたのに何故自分
から戦闘機
に乗り散っていったのか・・・・・・

   そのルーツをたどって孫姉弟が生き残った人たちを訪ねて話を聞き出し、
当時の祖父の本当の姿を浮き彫りに、していく物語です。・・・彼ほど零戦
操縦士として天才だったことなども・・・・

  零戦について知ったこと

  ー零戦ー何故この名が付いたのか、皇紀(今は西暦ですが)2600年
に作られ末尾の0をとったそうです。正式名は「三菱0式艦上戦闘機」
ちなみに200年はわたしは6歳で ー紀元は2600年嗚呼一億の・・・と提灯
行列を覚えています。
     
          
   鹿児島県知覧特攻記念館には使用されたゼロ戦闘機が置かれていました。

  戦闘機としてのゼロ戦はすばらしく撃墜成果などアメリカ、イギリスなど
らも怖れられ、空中戦の場合ゼロ戦を見たら逃げよと命令されていた
ほど
であったと、アメリカでは「カミカゼアタック」と言われ沈められた艦艇
も多く、
何千人もの人が1人の日本人によって死に至る悪魔とさえも言
われていま
した。

  真珠湾に始まりラバウル、ガダルカナル,としかし、ミッドウェー、サイ
パン
沖縄戦と神風の護衛戦はなくアメリカの高角砲を持つ最新式戦闘機に
よりゼロ戦も最後を・・・・・しかしゼロ戦のパイロットの超人的なテクニックと
集中力、勇気は「日本にサムライがいたとすれば彼らがそうだ。」と戦った
後のアメリカの艦長の言葉でした。

  現在の若い人たちの見方として、特攻=テロリスト(9,11貿易ビルに
突っ込んだ人たち)と同じだ・・・熱狂的な愛国者と殉教者と言う共通点
しかし当時の日本は死を怖れない、国のために命を捧げることが出来ると、
一億国民洗脳されてもいました。神風特攻隊=死だったかも・・・・・

   多くの人の犠牲の上での平和な世の中はありがたいです。


友との食事会 -老人ホームへ

2013-11-16 20:31:13 | Weblog

  30数年前勤めていた鳥羽小学校時代の子どもの母親のHさんKさんの
2人
長く年賀状のお付き合いはしていて数年前から1年に2度ほど昼食を共
にする機会をもっています。

  わたしの同僚が老人施設に入所となり、Hさんはやはり、入所している方の
後見人をしていて、わたしも連れられて時々訪問することになりました。
10時に鳥羽市に住んでいられる2人(年令は夫々70歳を過ぎている)を迎え
に行き3人で先ずはグループホーム「あらしま」へと、1時間ほど同僚だった
Nさん(79歳 3年前から入所)の部屋で話をしました。
  わたしの名前もフルネームでは思い出せないようでした。食事、洗濯、
掃除など全て施設でしてくれるから、本人は全く何もすることがないのです。
    

  施設で生活することはこう言うものかと改めて思いました。五体満足では
とても耐えられないほどですが、本人はそれが普通で何とも感じないようでした。
新聞もあまり見ない、テレビも部屋にはない、俗世界からは遮断と言うのが
施設です。

  ホームを出て3人で昼食に安楽島(鳥羽市内)にある海鮮料理の美味しい
「むつみ」へと、海鮮定食(ランチ)を食べました。美味しいのが定評か次から
次へと客がひっきりなしでした。1時間ほど居て、近くに「コメダ珈琲」があり、
ここでも1時間と話題は尽きないぐらいでした
    


  特に鳥羽城跡にあった小学校が老朽と危険で地区移転され、現在は廃校
となり中は荒れ果てて見るに忍びないとのことでした。  昭和4年に珍しく
鉄筋の校舎と言うことで、残すかどうか問題化していると・・・・残すにすれば
そのままでは危険で修理の費用は何億円か、また取り壊すにしても莫大な
金額とのこと今や鳥羽市では困った問題として旧鳥羽小校舎と言うことです
     

 あとは夫々の子供達のことなどで教え子はすでに45,6歳、その子どもも大
学生とあっては隔年の感です。教え子の中には脳血管が切れ、すでに施設でと
 
何とも悲しい事情も聞きました。 

  今日は寒さも和らぎ楽しい一日を過ごせました。帰ったら電話が入って
 いて、やはり鳥羽小で一緒だったO先生で「わたし要支援2級に認定で、
 買い物など助けてもらっています。」と 88歳と言う年令ですからあり得る
 のでしょう。わたしもいつどうなるかです。今はしっかり動いてもうしばらくは
 自分の事は自分でやっていきたいと思います。