昨日15日沖縄の本土復帰40年を迎え沖縄では式典が催されました。
沖縄民にとっては復帰されたとは言え、嘉手納基地やその周辺にはキャンプ
地などまだまだ返還されぬままの土地が存在です。
米軍のベトナム戦争のための基地強化などとしての基地でした。今もまた
普天間への移転問題など難攻しています。基地が生活の糧としている住民
もいるでしょうが殆どは脅かされる生活に苦悩し、普天間の県外への移転を
願っています。
わたしはが沖縄を訪れたのは返還後3年で、海洋博覧会直後でまだ
パビリオンもありました。嘉手納基地の廻りをバスで通りましたが、弾薬庫や
軍用機が広い基地に見られるのは異様な感でした。
周辺は夕方ともなると、戦後の日本の「基地の女」さながらで、戦後30年
の時を経ている風景が残っていることに驚きました。
4泊の旅(学校互助会の旅)でしたが、30数年も前ですから、今は発展し
た沖縄でしょうが、当時はまだ素朴でした。守礼の門、万座ビーチ(船内で
珊瑚礁を覗いた)、ひめゆりの塔、摩文の丘(三重の塔を参拝)など。
途中ではサトウキビ畑、パイナップル畑へと、(その場で切ったパイナッ
プルをいただく)全くと言ってよいほど大きな施設などなかったですから、
その後訪れた人から見れば全く異なった風景でした。
基地問題が解決しない限り沖縄民にとっては、いつまでも基地のある
風景が目の前からなくならないでしょう。一日も早く基地のない街になること
を願って・・・・・・
おられますが、基地があることによって
恩恵も多々あったのですね。
恩恵があったからこそ、沖縄があまり
進んでいなかったのかも、
なかなか難しい基地返還?
共通の問題がありますね。原発で恩恵
を受けた街や仕事もあり、今また再稼動
で揺れているところもありますね。
でも街の中に基地がと言うのはやっぱり
いやですよ。