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夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

「神田のお龍さん」見てきました。  映画「眉山」を観る

2007-05-24 21:14:45 | Weblog

  画面いっぱいに眉山が広がる徳島の風景、映画の始まりは母の病気を報せ
  1本の電話
からでした。
  原作は、献体後の慰霊祭でしたが、これはラストシーンとなっていました。

  「神田のお龍さん」こと龍子(たつこ)さん母娘、出生のわだかまりが尾を引き
  相容れなかった二人でしたが、病(余命幾ばくか)を通してお互いの心のうちを
  理解し合える思いが伝わりました。
         

     お龍さんの啖呵は原作よりやや端折っていましたが、啖呵の後の畳の椅子
  に膝まづいての言葉「・・・・病む人はみな同じ、平等にお診たてくださいます
  ように。」
 には涙がこぼれました。でもその後はついと立って頭も下げずに去っ
   ていったお龍さん、お龍さんのせめてもの威厳でしょう。

     娘 咲子が父(戸籍上でない)との対面や、幼い頃思い出の中にある男性(父)
  との出来事など現在とダブらせての演出でした。

     最後の20分間は。壮大で華麗な阿波が繰り広げられました。想像して
   いたより衣装も華やかで舞台も 大掛かり、踊りの種類も多く、特に
踊りの最終
  を飾る総連踊りは
圧巻 
した。
      

 
   阿波踊りの際、お龍さんと30年ぶりの咲子の父との出会いは、お互いが遠く
  から見つめあい、悲しげに満足の笑みさえ残して去るシーンに胸打つ思いが
  しま した。お龍さんは阿波踊りの場でみんなにお別れをしたのでした。
   宮本信子さんのお龍さんは格別でした。

  最終、シーン「夢草会」慰霊祭ではショパンの「別れの曲」の流れる中、登壇し
  て、院長から感謝状を受け取り、献体時に残したメッセージ(どんな言葉でも
  よい)に書かれた「咲子がわたしの命でした。」の一言は、母から娘への愛の
   メッセージでした。

   延命装置を受け入れず、自分の意思で献体もしていったお龍さん、潔い生き
  死の受け入れ方に熱い思いがしました。
  
   原作は細かい描写などされていますが、映画はまた各シーンで映画ならでは
   の一面がうかがえました。

   山  「眉山」 大きくてなだらかでやさしい山でした。(標高290M))
         眉のようなやわらかな曲線から名づけられたと・・・・・