じゅりあれ日記

アメリカンコッカースパニエルのジュリア&アレックスとの
楽しい毎日・・・・・

12年・・・・・・

2007-01-17 18:55:56 | 生活
阪神淡路大震災から12年経ちました。

我家は当時尼崎の社宅に住んでいました。

1月からアレパパの長期出張がはじまり、ロンロン生後8ヶ月がいたので

実家に戻りたかったのですが社宅の寮長の仕事が当たっていて

長期の留守ができませんでした。

その頃、成人の日が15日だったので、連休の間だけ実家に帰ることに。

14日、夜遅く仕事から帰ってきた父が姫路から尼崎に迎えに来てくれました。

震災のあった17日に尼崎に戻ることにしていた私は実家の2階で寝ていました。

明け方、大きな地震がおきました。

かなり長い揺れが続き、不安になり目が覚めてテレビをつけました。

始めは何がなんだかわからなかったのに

だんだんTVに映し出される信じられない光景・・・・・・

怪獣映画?って思いたくなる程・・・・

アレパパは東京。だいじょうぶかな・・・・?

家はどうなってるんだろう・・・?

不安でしょうがない。

交通手段も麻痺してたので、帰れなかった。

何日かして電車を乗り継ぎ乗り継ぎ自宅に向かうと

宝塚あたりから町の様子が変わって行く・・・・

リュックサックで手にはたくさんの救援物資を持って歩く方が多いこと。

これってまるで戦後のようやん・・・・

自然の力には逆らえないことを思い知らされた。


自宅に到着すると先に到着したアレパパがいた。

部屋の中は目も当てられない状態。

寝室兼居間になってた部屋は本棚が倒れ、テレビも移動し悲惨な状態。

思わずぞ~~っとした。

ここで寝てたらロンロンも私も怪我してただろう。

あの日迎えに来てくれた父に感謝!

忘れられない出来事でした。

ロンロンの年齢と震災は同じ年。

これから先も決して忘れることはないだろう。

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2 コメント

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Unknown (さやちん)
2007-01-18 22:20:39
そっか~、ロンロンくん赤ちゃんだったんですね。
パパさん出張じゃなかったら・・・?って考えると、怖いですね。
そんな偶然?で命拾いした人は多いかも知れません。
私は当時高校生で、校舎が全壊。
3学期はほとんど登校なしでした。
幸い友人や親類に亡くなった人はいませんが、見事に復興した神戸を見てるとついつい忘れそうになってしまいます。
忘れてはいけませんよね。。。
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さやちんさんへ (じゅりあまま)
2007-01-19 17:43:25
ついこの間のような感じがしますが
12年の歳月が過ぎたんですよね。
赤ちゃんだった奴が、いまじゃ声変わりしたおっちゃんやもん
校舎が全壊ってかなり揺れのきついところだったの?
あたりまえのことなんだけど元気で生きてるだけで幸せなんだよね。
新しく復興した街見るとパワーを感じますね。
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