スポーツベスト10②
NO.1になれなかった男 ベスト10
スポーツの世界だけでなく、頂点に立つには実力だけでなく運の強さも必要になってくる。同時代に途轍もないライバルがいたり、怪我で頂点を極める直前に挫折した選手は数多くいる。
そんな選手(団体)達をランキング!
1.西本幸雄(野球監督・日本選手権8連敗)
2.斎藤仁(柔道・五輪連覇も山下崩せず)
3.三洋電機(ラグビー・神鋼連覇許す)
4.瀬古利彦(マラソン・五輪で2回惨敗)
5.同志社大学(ラグビー・釜石に3連敗)
6.西本聖(野球・宿敵江川に一度も勝てず)
7.小川直也(柔道・五輪では金取れず)
8.篠原信一(柔道・実力世界一も誤審に泣く
9.横浜商業(高校野球・池田・PLに及ばず
10.村田英二郎(ボクシング・世界戦引分2回)
プロ野球史上に残る屈指の名監督西本幸雄は3チームで8度のリーグ優勝を果たした。しかもオリオンズ、ブレーブス、バファローズといずれも球団史上初の制覇であり、後者2チームはお荷物球団と言われるほどの弱いチームであった。
そんなチームを再三リーグ優勝に導きながら、三原魔術、ONの強打そして江夏の21球の前に日本一の栄冠を勝ち取る事は遂に出来なかった。
シリーズでの2度のスクイズ失敗は語り草となっている。
柔道では3人をランキングした。
日本柔道史でも3本の指に入る名選手でありながら、斎藤仁は五輪で連覇を果たしたものの、日本選手権では山下の牙城を崩せなかった。山下との最後の対決は微妙な判定であり、斉藤の悔しそうな顔が忘れられない。
世界一の実力を持った小川と篠原はそれぞれ精神面の弱さと“誤審”に泣かされ五輪での金メダルを獲得出来なかった。その後の小川の変身ぶりは驚き。
ラグビーの三洋電機は、トンガ勢を中心とした強力FWで平尾率いる神戸製鋼を後一歩まで追いつめながら超逆転勝利を許し、その後も破れ続け7連覇を許した。
詳細は当ページの名勝負物語を参照。
その平尾が率いた同志社大学は、学生史上最強チームと言われながら松尾雄二率いる新日鉄釜石に3連敗を喫し、こちらも7連覇を許した。
1980年代、柔道の山下と並んで日本で最も有名なアマチュアスポーツ選手であったマラソンの瀬古俊彦は実力でも世界一だった。
しかしモスクワはボイコット、実力ピークのロサンゼルスは体調不良、ソウルではピークを過ぎており、図抜けた実力がありながら五輪では惨敗し、頂点を極める事が出来なかった。
好投手三浦を擁する横浜商業はセンバツで水野率いるやまびこ打線の池田高校に決勝で敗れ、夏は後に史上最強チームと言われるKKコンビのPL学園に決勝で敗れた。
西本聖は同年齢のエリート江川卓に強烈なライバル意識を燃やし、超一流投手になるが引退するまで一度も勝星で上回る事が出来なかった。20勝を挙げたのは江川引退後だった。
ボクシングの村田英二郎は2度の世界戦で微妙なドローを演じ、世界チャンピオン以上の実力と言われたが、結局世界王者にはなれなかった。
NO.1になれなかった男 ベスト10
スポーツの世界だけでなく、頂点に立つには実力だけでなく運の強さも必要になってくる。同時代に途轍もないライバルがいたり、怪我で頂点を極める直前に挫折した選手は数多くいる。
そんな選手(団体)達をランキング!
1.西本幸雄(野球監督・日本選手権8連敗)
2.斎藤仁(柔道・五輪連覇も山下崩せず)
3.三洋電機(ラグビー・神鋼連覇許す)
4.瀬古利彦(マラソン・五輪で2回惨敗)
5.同志社大学(ラグビー・釜石に3連敗)
6.西本聖(野球・宿敵江川に一度も勝てず)
7.小川直也(柔道・五輪では金取れず)
8.篠原信一(柔道・実力世界一も誤審に泣く
9.横浜商業(高校野球・池田・PLに及ばず
10.村田英二郎(ボクシング・世界戦引分2回)
プロ野球史上に残る屈指の名監督西本幸雄は3チームで8度のリーグ優勝を果たした。しかもオリオンズ、ブレーブス、バファローズといずれも球団史上初の制覇であり、後者2チームはお荷物球団と言われるほどの弱いチームであった。
そんなチームを再三リーグ優勝に導きながら、三原魔術、ONの強打そして江夏の21球の前に日本一の栄冠を勝ち取る事は遂に出来なかった。
シリーズでの2度のスクイズ失敗は語り草となっている。
柔道では3人をランキングした。
日本柔道史でも3本の指に入る名選手でありながら、斎藤仁は五輪で連覇を果たしたものの、日本選手権では山下の牙城を崩せなかった。山下との最後の対決は微妙な判定であり、斉藤の悔しそうな顔が忘れられない。
世界一の実力を持った小川と篠原はそれぞれ精神面の弱さと“誤審”に泣かされ五輪での金メダルを獲得出来なかった。その後の小川の変身ぶりは驚き。
ラグビーの三洋電機は、トンガ勢を中心とした強力FWで平尾率いる神戸製鋼を後一歩まで追いつめながら超逆転勝利を許し、その後も破れ続け7連覇を許した。
詳細は当ページの名勝負物語を参照。
その平尾が率いた同志社大学は、学生史上最強チームと言われながら松尾雄二率いる新日鉄釜石に3連敗を喫し、こちらも7連覇を許した。
1980年代、柔道の山下と並んで日本で最も有名なアマチュアスポーツ選手であったマラソンの瀬古俊彦は実力でも世界一だった。
しかしモスクワはボイコット、実力ピークのロサンゼルスは体調不良、ソウルではピークを過ぎており、図抜けた実力がありながら五輪では惨敗し、頂点を極める事が出来なかった。
好投手三浦を擁する横浜商業はセンバツで水野率いるやまびこ打線の池田高校に決勝で敗れ、夏は後に史上最強チームと言われるKKコンビのPL学園に決勝で敗れた。
西本聖は同年齢のエリート江川卓に強烈なライバル意識を燃やし、超一流投手になるが引退するまで一度も勝星で上回る事が出来なかった。20勝を挙げたのは江川引退後だった。
ボクシングの村田英二郎は2度の世界戦で微妙なドローを演じ、世界チャンピオン以上の実力と言われたが、結局世界王者にはなれなかった。