:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ロサト教授は誤りを教えたか?-(その1)

2008-01-28 07:23:49 | ★ ロサト教授は誤りを教えたか?

2008-01-28 07:23:49

     


       ロサト教授は誤りを教えたか?-(その1)


ステキな国際結婚式

 (クイズ第1問) 日本から結婚式を挙げるためにグアムに行くカップルは、年間どれぐらい?・・5000組?・・その倍?・・・3倍?
 (第2問) では、グアムから結婚式のためにわざわざ日本に来るカップルは、年間何組ぐらい?
 私は、2007年には少なくとも一組いたことを知っている。何故知っている?それは、司式司祭が他ならぬ私だったからだ。
 妙高高原の洒落たログハウス風チャペルで、グアムからやってきたカップルに、花嫁の洗礼式と堅信式、二人の結婚式、花嫁の初聖体、それらを一つのミサの中で一気に挙行。神父稼業の私にとっても、恐らく最初で最後の経験になりはしまいか?花嫁はグアムに渡った日本女性、花婿はアメリカ国籍のグアムの男性(チャモロ族)。彼の姉妹や親戚と、彼女のご両親や友人などが一堂に会して、家庭的な披露宴は楽しく盛り上がった。丘の上のレストランの周りには、信州林檎がたわわに実って、遠来の客を歓迎した。

 上越の豪雪地帯に連なる長野県北、野尻湖畔で凍えていた私を、グアムのチャモロの一族が、司式のお礼にと避寒に招いてくれた。お陰様で、常夏の浜辺で心行くまで魂の洗濯をすることが出来た。
                   
グアムのご夫人

 今回、3度目の訪問で、30年近く前に日本からグアムに渡った中年のご夫人に再会した。彼女は、有名なミッションスクールの寄宿舎でシスターたちから、カトリックの信仰教育を受けて入信した。古いスタイルの信仰を固く守ってきた彼女は、日本に里帰りする度に、日曜は必ず、実家に近い教会へミサに与りに行ったものだそうだ。
 それが、いつの頃からか、教会に行く度に司式の神父さんの顔が毎週違うようになった。告白(懺悔)や霊的な相談に行こうと思っても、普段の日の司祭館は無人の館だった。ああ、日本の教会はすっかり変わってしまったな・・・・、という失望が彼女を襲った。
 以前は、教会には必ず主任司祭が住んでいた。信者にとって、司祭は信徒の群れを見守っていてくれる羊飼い、頼れる霊的お父さんだった。神父も信者の顔と名前を全部知っていて、子供たちには慕われ、各家庭の事情にまで詳しく通じていた。「そういう神父様の居なくなった教会なんて、もう教会じゃない!」
 彼女は率直に言った。「このままでは、日本の教会はいずれ廃れてしまうにちかいない」、と。
 
グレゴリアーナ大学

 私は、司祭になるために、東京の大神学校に送られるはずだった。しかし、意外にも私は入学を許されなかった。50歳と言う年齢だけが理由だったかどうか、詳しい説明は受けなかった。
 お陰様でと言うべきか、私はローマの「レデンプトーリス・マーテル国際宣教神学院」という学寮に入れることになった。正直なところ、私は送られた先がどんなところか、日本を発つときには何の予備知識も持ち合わせていなかった。
 着いてみて分かったが、これは、前教皇ヨハネ・パウロ二世が、第二バチカン公会議の司祭養成に関する指針を実践するために、ローマ教区立として設立した新しい神学院で、120人余りの神学生が世界40数カ国余りから集まって、活気に満ちていた。
 神学の勉強は、ローマ市内のトレビの泉のすぐ近くにある教皇庁立グレゴリアーナ大学ですることになった。全世界100数十カ国からエリート学生が集まってくる。郊外の学寮からは、専用バスで30分ほどの距離であった。
 グレゴリアーナ大学は教皇庁立だが、運営はイエズス会という修道会に委託されていて、カトリック神学に関しては、世界の最高学府として認められていた。そして、この高いレベルを維持して来たのが教授陣であるが、彼らには3つの資質が求められていた。
 ① 当然のことながら、世界中のカトリック大学から選りすぐられた、当代一流の学者であること。
 ② 各専門の分野で、単に超一流であるだけでなく、その学説において、左にも右にも偏しない中庸を得たものであること。何世紀にも亘って、同大学が世界のトップの座を維持してきた秘訣はそこにあった。ローマ教皇が交代しても、常に新教皇の信頼を繋ぎとめるための知恵なのである。だから、学者としては如何に抜きん出ていても、その姿勢に偏りのある人は教授にはなれないと言われている。著名な古生物学者テイヤール・ド・シャルダンが教授になれないどころか、学説の出版を禁じられたのが、いい例であった。
 ③ その上に求められるのが語学力である。同大学の公用語が、英、独、仏、西、伊の5カ国語であると言うことは、そこで教壇に立つためには、少なくともこの5カ国語を母国語並に完全にマスターしていなければならないという意味である。(天下の東大の教授方は、ここではほぼ全員失格かもしれないし、東京の大神学校の教授方も先ず駄目だろう。)しかし、現実には、この公用語5カ国語しかできないと言うのは恥ずかしい話で、教授によっては8ヶ国語でも、10ヶ国語でも、時には20カ国以上も自由に操ると言う、お化けのようなポリグロット(語学の天才)集団であるから驚かされる。

ロサト教授の教会論

 そんなスーパー教授たちから、最先端・最高レベルのカトリック神学を直接学ぶ機会に恵まれたのだから、私はよほどの果報者で、よくぞ私の入学を拒んでくれたと、東京大神学校には大感謝である。
 グレゴリアーナ大学の2年目だったか、私が学んだ「教会論」という必須科目の教授に、ロサト先生と言うアメリカ人(と記憶する)のイエズス会士がいた。年のころは、私より少し下だったと思う。明るく、抱擁力のある教授で、学期が始まってすぐ、クラスでただ一人の日本人である年寄りの私に目をとめ、非常に可愛がってくださった。
 彼は、その広範な講義のある部分で、信徒の信仰生活の場である個々の教会を、人間の細胞に喩えられた。

○ 細胞の中と外を分ける境界が細胞膜である。細胞膜の内側には細胞質があり、細胞質はその膜を通して、外界と栄養や老廃物のやり取りをする。
○ 細胞質の中に核がある。核には染色体があり、生命を維持し伝えて行くために必要な情報をDNAとして守っている。
○ 細胞から人工的に核を抜き取ると、やがて細胞質は死滅する。抜き取られた核も、細胞質に守られ栄養を受けることが出来ないから死んでしまう。
○ 細胞膜の中の細胞質と核は、相互に依存し合いながら、一つの生きる単位を構成し、その有機的結合を破壊すると、いずれ必ず死に至る。

 信仰生活の基本的な場である個々の教会(カトリックでは「小教区」と呼ぶ)の信徒と司祭の生命的結びつきをうまく説明した分かりやすい喩えとして、感心して聴いた。
 カトリック教会では、複数の小教区を統括する司教区とその長である司教との関係を、結婚に喩える習慣がある。司教の指にはめられた指輪はその結婚の徴である。小教区と主任司祭の関係も、その任期中は同じように結婚に喩えてもいいだろう。キリストは、その関係を羊の群れとその牧者に喩えている。
 ロサト教授の教説は、前述の「有名なミッションスクールの寄宿舎でシスターたちから、トリックの信仰教育を受けて入信し、古いスタイルの信仰を固く守ってきたグアム在住の夫人」の教会観にピタリと一致する。それはまた、私の心情、信念とも符合する。そればかりではない。日本中の教会の、非常に多くの信徒の声なき声も、直感的にそれを支持しているに違いないと私は思っている。
 ところが、久々に故国に帰ったその夫人が目の当たりにし、嘆息をもって直面した日本の教会の現状は、そのロサト教授の説とは真っ向から対立するもの、すなわち、いわゆる「共同司牧」だったのである。
 では、ロサト教授は間違っているのだろうか?(つづく)


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