:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 肉体の復活は本当にあるか イスラエル巡礼=ラザロの墓で体験したこと

2014-07-19 20:21:34 | ★ ガリラヤの風薫る丘で

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肉体の復活は本当にあるか

イスラエル巡礼=ラザロの墓で体験したこと

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私が40日以上もブログの更新を怠ったことは珍しい。

その間に10日余りイスラエルに行っていたが、帰ってからも心配なことがあったり国内の移動などで、なかなか他の事が手に着かなかったのです。

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私が初めて聖地を訪れたのは、1972年5月30日に岡本公三ら3人の日本赤軍兵士らが、テル・アビブのロッド空港で26人を殺害し73人に重軽傷を負わせた 乱射事件 のすぐ後で、対日感情が極端に悪い頃だった。当時、私はドイツのデュッセルドルフに住むコメルツバンクの社員だったが、テルアビブ空港に着くと、若い日本人の単独旅行と言うだけで、直ちに隔離され、尋問される羽目になった。アルメニア教会の安い巡礼宿を当てにしていて、日本人が泊まりそうなそこそこのホテルのどこにも予約を入れていなかったことも疑惑を持たれる要因になったのだろう。忘れ難い第一印象となった。まだ30代初めのことだった。

以来、私は聖地イスラエルを度々訪れている。55才で神父になってからも、いろいろな機会に恵まれたが、自分自身のために一人で真剣に歩いたこともがあった。(その間の消息は私の本 「バンカー、そして神父」http://t.co/pALhrPLにも詳しく書いた。)

だが、そんな私にとっても、今回の巡礼は特別だった。それは、新求道共同体の一連の段階の歩みを締めくくる卒業旅行に相当するものだったからだ。11日間の旅の前半はガリレア湖のほとりの 「ドームス・ガリレア」 を拠点に、後半はエルサレムの4つ星のホテルに泊まり、ナザレのイエス誕生から洗礼、受難、復活、昇天 までの足跡を忠実に辿ることになる。

ある日は、エルサレムのすぐ近くのベタニアと言う町に行った。そこはエルサレムの街に隣接していながら、パレスチナ人の支配する区域の中にあるため、遠くを迂回して兵士達に固められた検問所から観光バスで入らなければならなかった。そこには、高さ4メートル余りのコンクリートの塀があって、パレスチナ人が自由にユダヤ人地区と行き来させないように分断している。冷戦時代、共産主義陣営に属する東ドイツの中にポツンと島のようにあった西ベルリンを、東ベルリンから分かった悪名高き 《ベルリンの壁》 のように。


   


ベタニアにはイエスの友人 ラザロ とその姉妹たち マルタ マリア の家があった。マリアはイエスがこの地上でもっとも深く愛した女、イエスをどの男性の弟子たちよりも深く理解した女性ではなかったかと思う。最後の晩餐の席では、イエスの足に高価なナルドの香油を注ぎ、自分の黒髪でそれをぬぐって弟子たちのこころを波立たせた。また、復活したイエスに最初に出会ったのも他ならぬこのマリアだった。

ある日、マリアの兄のラザロが病気だという知らせがイエスに届いた。しかし、何故かエスはすぐには動かなかった。

ラザロが死ぬのを待ってイエスはベタニアに入った。マルタはイエスが兄の死に目に間に合わなかったことをなじった。

その前後のことは、不思議なことに ヨハネの福音書11章以下 だけが語っていて、他の3つの福音書は沈黙している。興味のある方は、このブログの末尾に全文引用したから味わって読んでいただきたい。

さて、イエスがベタニアにラザロの家を訪れたとき、ラザロは死んですでに4日経っていた。あの地方の気候では、墓に葬られた骸は、4日目にはすでに腐敗が進み、墓の中の空洞は死臭に満ちているはずだった。

「もう臭いますから」と言う姉のマルタの制止を振り切って、イエスは命じて墓の入り口を塞いでいる石を取り除かせた。そして、中の部屋に入り、地下の墓室の闇に横たえられたラザロの腐乱死体に向って、

「ラザロ、出て来なさい」 と大声で叫んだ。

すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた、とヨハネの福音書は記している。

わたし達一行は、そのラザロの墓と言い伝えられている穴に実際に入った。その墓は現在アラブ人の所有に属するが、キリスト教徒の巡礼者は金を払えば中に入ることが許されるのだ。


   

現在の墓の入り口はイエスの時代のものではない。この入口の前の道は左方向に急な坂になっていて、隣りは旧式なスピーカーを四方に向けた塔とモスクに連なる。このモスクの建設に伴ってラザロの墓の本来の入り口は塞がれてしまったが、イエスの時代にはその入り口は写真では左下の位置にあったと考えられる。


   

現在の墓の入り口にモザイクで描かれた稚拙な図がある。3次元の立体構造を平面に映そうとした実に解りにくいものだが、添えられた説明と照らし合わせると現在の入り口 ① は今の地面の高さで、そこから下に延びる茶色に蛇行する部分は4メートルほど地下へ新しく掘られた人一人が体をすぼめてやっと下りていけるような階段のトンネルだ。そのトンネルは折れ曲がって下の6畳ほどの狭い石室  ② へと通じる。そして石室②のほぼ真ん中に、さらに狭いトンネルの階段が今降りてきたのとは反対方向に下りる穴を通ってもう一段深いところにある墓室 ③ へと通じてそこで行き止まりになる。

説明によれば、イエスの時代には、現在の入り口の左、急な坂の下に建てられたモスクのあたりにあった本来の入り口から水平に、今は塞がれている ④ の通路を経て ② の前室に入り、その部屋の床の真ん中から右下にある地下の墓室 ③ へ降りていくようになっていたと考えられる。

ラザロの骸は、この地下の3畳ほどの狭い墓室に布に巻かれ横たえられ、4日目にはマルタが言うように腐臭が部屋に満ちていたのだろう。

イエスは親友の死の悲しみに心打ち震え、涙を流し、マルタの制止を振り切って、命じて墓の入り口の石を取り除かせ、中の前室 ② に入り、そこから地下の墓室に置かれた腐乱死体にむかって、

「ラザロ、出て来なさい」

と大声で叫んだのだった。すると、ラザロは甦り、布に巻かれたまま、墓から出てきたという。

私たちは、キリストのように ④ の本来の入り口からではなく(それはモスクが建てられた時塞がれた)、


1890年代にはすでに存在していた新しい入り口から入り、長いトンネルを下に降って、② の部屋にたどり着いた。

中は非常に狭いので2-3人ずつ入った。


写真は ② の部屋からさらに下の ③ の墓室に通じる石段の通路を行く仲間。後ろ向きでないと降りられないほど狭い。

私も後から墓室に降りた。3畳ほどの穴倉だった。そこに横たわっていたラザロを思ってしばらく黙想していると、

「ジョン、出てきなさい!」

と言う重々しい声が、穴を通して上の石室から響いてきた。ちょっとショックだった。仲間内では 「ジョン」 と呼ばれている私は、思いがけずイエスに出てきなさい」命じられたラザロの屍が受けたのとおなじ衝撃に打たれたのだった。

ラザロの墓に居たわたしは、その時、自分のプライド、情念、金銭への執着、怠惰や虚飾などの罪で腐乱し、死臭を放っていたに違いない。声の主は現実にはこの巡礼団のリーダーであったのだが、その声を聴いた私は、2000年前この同じ場所で、イエスから 「出てきなさい!」 と命じられたラザロの死体と同じ心境だった。私はそれらの罪にまみれて、霊的には死んだも同然の状態にあった。キリストは、私が自分の死の原因であるこれらの罪を、その腐臭と共に、この穴倉の中に残し、回心した新しい人間となって、外の新鮮な空気と眩しい光の中に甦らなければならないのだと悟った。ああ、そんな奇蹟が簡単に起きたらどんなに幸いな事だろう。

イエスが死んだラザロの体を甦らせ、再びこの世の生に呼び戻したことは、それ自体、偉大な奇蹟ではある。しかし、この世の生を生きる者はいずれ死なねばならない宿命のもとにある。聖書は沈黙しているが、キリストによって甦らされたラザロといえども、またいずれ老いて病を得てこの世の生に別れを告げて死の眠りについたはずだ。

しかし、イエスの復活はラザロのとは全く違う。キリスト教の真髄はイエスの死に対する勝利と、復活と、永遠の生命への信仰だ。人祖アダムとエヴァは 原罪 を犯して人類の上に宿命的な を招き寄せた。イエス・キリストは、十字架の上の苦しみに満ちた死を通して死に勝利し、自ら永遠の生命に復活した。それはこの世の次元を超えた彼岸の生命への復活だ。そして、全ての人類に、つまり、アダムとエヴァに始まって、その後に地上に生きて死んでいったすべての人間と、今この世に生きていてやがて死に呑み込まれる全ての人間と、そして、これから生まれ、生き、命を次の世代に渡して死んでいくであろう全ての人間に、同じ復活の可能性を開いた。

この事を心から納得し、自分も永遠の生命に復活すると確信し、人にそれを良い知らせとして告げる事が出来なければ、また、その信仰を命に賭けて守れなければ、洗礼を形通り受けていたとしても、まだ本当のキリスト者とは言えない。

その夜、エルサレムの街中で、ユダヤ人の青年たちと、アラブ人の青年たちとの間で投石合戦があった。ただの憂さ晴らしではない。一発頭に受ければ死ぬかもしれないほどの激しい応酬だ。夕食後、街に散歩に出た巡礼の仲間たちは、その騒ぎに巻き込まれそうになって、遠く迂回して深夜遅くホテルに帰ってきた。同じ唯一の神を信じるユダヤ人とアラブ人のこの根深い対立と憎悪は、世の終わりまで続くのだろうか。ユダヤ教徒とキリスト教徒が対話と和解に向けて歩み出しているというのに。

私は、帰国後有楽町で 「ノア」 と言う映画を見た。旧約聖書になじみのない日本人には分かりにくいだろうと思った。一触即発のガザ地区の応酬の根は 「ノア」 の世界にまで遡る。

(つづく)

ラザロの死(ヨハネ11章1-57節)

ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。
このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。
姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。
それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」
弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」
イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。
しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」
こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」
弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。
そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」
すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。
イエスは復活と命
さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。
ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。
マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。
マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。
マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」
イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
イエス、涙を流す
マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。
マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。
イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。
家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。
マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、
言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。
イエスは涙を流された。
ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
イエス、ラザロを生き返らせる
イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。
イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。
イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。
わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」
こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
イエスを殺す計画
マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。
しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。
そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。
このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」
彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。
一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」
これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。
国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。
この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。
さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。
彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか。」
祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。

 

ベタニアで香油を注がれる(ヨハネ12章1-10節)

過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」


ラザロに対する陰謀

イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。
祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。

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2 コメント

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Unknown さまへ (谷口 幸紀)
2014-07-21 06:13:39
40日あまりブログの更新を怠っていた間、頂いていたコメントのチェックも忘れていました。ふと気になって覘いたら、未承認のコメントがありました。
2012年12月15日の「世の終わりは近いのか」(そのー3)に対するコメントでした。慌てて承認し、同じブログのコメント欄に、私のお返事を記しました。念のため。
よかったです (MG)
2014-07-21 07:29:03
神父様、長いこと更新がなかったので何かあったのかと思っていました。
今回のも考えさせられるお話でした。続編を期待しています。

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