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私は何になりたかったか
ヘルマン・ホイヴェルス
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私は、前回ホイヴェルス神父を偲ぶ会の準備として =「紀尾井会」再開の夢 = について書いた。その最良の準備として、前回の「美しき生家」同様、ホイヴェルス師の書かれた文章を絶版になった著書から短編を拾い出して、紹介しようとおもった。
私は何になりたかったか
ヘルマン・ホイヴェルス
随筆集「人生の秋に」(春秋社)より
私は聖書に語られるよき牧者のたとえ話をきく以前に、よき牧者であった大伯父の羊飼いを見て成人しました。というのは、私の幼いころ、北ドイツのそこかしこには、まだ羊の群れが群がっており、大伯父も百頭くらいの羊の群れをもっていました。彼は、毎朝早く群れをつれて遠い野原へ出かけて行き、夕方には家につれ戻り、小屋の中へ追い込みました。朝、出かけて行くときには、いつも近所からほかの羊が三々五々やってきて、大伯父の群れに合流してしまいます。夕方になると、近所の人たちが出て来て、大伯父の羊の間から自分たちの羊をおびき出します。羊は、主人のなじみの声を聞くと、すぐ喜んでついて行くのでした。
この写真はホイヴェルス神父様の故郷のものではなく、ローマ郊外のものですがヨーロッパならどこでも似たような風景が見られます。特に春には沢山の子羊が生まれどこも生命に溢れています。
春はとくに賑やかで、おもしろおかしいものです。若い子羊たちが現われて、まじめ顔の年とった親羊のまわりをとび跳ねたり、はしゃいで悪ふざけをしたりします。羊はときどき足を折ったりします。すると大伯父はこれをいたわり、二本の棒きれを足に当て、紐でぐるぐる巻いて、癒してやります。夏になると、大伯父は食料品を詰めたリュックをひょいと肩にかけ、愛犬のカローとともに、オランダの国境まで羊を追って一か月半も旅に出かけて行きました。ある夕方、カローの懐かしい声が聞こえると、兄と私は大よろこびで彼らを迎えに飛び出していきました。カローもうれしそうに私たちの方へとんできました。そしていつの間にか、子羊が見違えるほど大きくなっているのを見て、私たちはびっくりしました。晩には大伯父の旅の話も熱心に聞きました。
翌朝、大伯父がまたいつものように羊の群れをつれて出て行こうとしているとき、兄と私は、自分たちも羊飼いになろうと決心し、母に願いました。母はすぐに賛成してくれました。そして新しいハンケチを頭にむすんでくれました。私たちは手に長い棒をもち、大伯父とカローといっしょに一人前の羊飼い気どりで明るい朝のなかへ出かけて行きました。ポケットには母の仕度してくれた、おいしいサンドイッチがつめられています。すこしはなれた羊小屋につくと、大伯父が門を開くのを待ちかねて、羊はわれさきに外に飛び出して行きます。
大伯父は、聖書のよき牧者のように群れの先には行きません、むしろ群れのうしろについて歩きました。それは砂漠ではありませんから、他人の畑が近くにあり、もし一匹でもよその家の草を食べに行くようなら大伯父は牧杖の先についている小さなシャベルで土を掘りおこし、その土の塊を迷える羊になげつけるのです。もしそれが遠すぎるならば、カローをよび、その羊を指さすと。カローはただちに命令をさとって、とんで行きます。しかしカローには羊の足を噛むことは許されていません。このようにして羊は生涯を導かれており、迷う羊はほとんどありませんでした。ただ、子羊はときどきいたずらをします。一時間ぐらいもゆっくり歩いて、広い野原の先にある共同牧場につくと、そうとうに沈黙の人であった大伯父は、草の上に腰をおろしポケットの本をとり出してよみます。それはきっと好きな聖書か信心書であったことでしょう。そのあと大伯父はまた黙って、今度は毛糸の玉をとり出します。こうして私たち孫の靴下は、たいてい大伯父の手によって編まれました。その間、愛犬カローは群れを見守らねばなりません。しかし兄と私には、それはずいぶん退屈なものになってしまいました。翌日には、もう羊飼いに対する熱心は消えてしまいました。もちろん母は、前もってそうなることを知っていたことでしょう。
こうして四歳の羊飼いの夢はあえなく破れてしまったのです。
(つづく)