柔道は明治時代に嘉納治五郎先生によって創始された武道です。嘉納先生は1860年(安政6年桜田門外の変があった年)生まれ。幼少時は体が弱く、それを自覚していたため体力をつける目的で柔術(天神真揚流と起倒流)を師匠から学んだ。貿易商の父を持ち、大学入学前は授業が英語で行われるような(外国人教師も多かった)学校に通い、東京大学で政治学、経済学(理財学)、哲学を収める。卒業後、学習院大学に就職、政治学と理財学の教師に。初任給で東京のお寺を借り、寺の本堂に畳の道場を作りました。ここを柔道を講じる教育所ということで講道館と呼びました。これが1887年、講道館の立ち上げが柔道創始の時と考えられています。
古来から伝来する日本柔術にはいくつかの問題があると嘉納先生は考えました。「技の原理がなく技の説明が不十分」、これは日本的であるのですが見て学べ、技は師匠から盗めという感じで教授の方法論がないため、師から弟子への伝承が円滑でなかったようです。嘉納先生自体、柔術の先生から技を習ったという感じはなかったようです(見て覚えろの世界)。
「当身(急所を殴ること)や関節技など危険な技が多く怪我が絶えない」そのため、試合や戦いができず型や約束稽古に終始しないといけないところがあったようです。そもそも戦(いくさ)の戦闘術として発生した柔術は極める(殺す)ことを目的にしているため、骨折させたり脱臼させ相手の動きを止める要素があります。嘉納先生はこのような柔術の欠点を改良して講道館柔道を創始されたと考えています。
精力善用 灘高校訓