じざいや的日常~きものがたり~着物が織りなす素敵な物語  

元町の着物屋・じざいやの紹介と着物で過ごす日々のこと。
犬猫や食べもののことなぞも織り交ぜて。

西陣織のお話。西陣織ってなに?

2019-03-15 17:30:07 | 織のお話
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 最終日ギリギリに確定申告を終え
ほんのちょっと、数千円の還付になりました。
今年は旦那の医療費が嵩みそうですが
鍼灸、保険効かない病院なんですよね・・・

4/29,30日は 京都から帯屋捨松さんが来てくださいます。
八寸、九寸を中心に沢山の捨松さんの帯が揃いますので
ぜひお越しください。
「こんな帯が欲しい!」の声も届けたいので
貴女の帯に対する希望や想いも捨松さんにお話ください。

捨松さんは西陣の老舗の帯専門メーカーです。
西陣織、とは言いますが
西陣織り、という織物がある訳ではありません。
京都の長い歴史と共に歩んできた織物の総称なようなもので
実は帯以外にもいろいろとあるのです。

京都での織物の歴史は古く
平安京が築かれるよりも前の5世紀頃に遡ります。
平安の遷都と共に宮廷の織物を管理する「織部司(おりべつかさ)」という
役所が設置され 高級な織物の生産が発展しました。
平安も半ばを過ぎると 官営の織物工房も衰退を見せますが
宮廷の管理を離れ 神社や寺院の装飾用として
重厚な織物が開発されていきます。
 
やがて応仁の乱が起こり 織物工房も離散しますが
戦が終わると京都へ戻り 
戦乱の時に西陣の陣地があった辺りで 工房を再開したので
西陣の織物・・・西陣織り、と呼ばれるようになりました。

江戸になると幕府の保護もあり、西陣黄金時代を迎えます。
ところが 享保15年(1730)6月
一軒の織物工房からの出火が広がり
西陣の半数近い機が消失してしまいました。
この頃から西陣以外の地域でも絹織物が行われるようになっていたので
技術や職工も地方へ分散していきました。

明治に東京遷都になると 西陣織物はますます衰退します。
そこで京都府が保護生育を目指して
数名の職工をフランスのリヨンへ織技術の留学をさせました。
当地でジャガード(紋紙による紋織)や
飛び杼などの操作の学習と共に機械を輸入しました。
洋式技術の導入・定着により
西陣織は再び 絹織物の産地として名を挙げることになったのです。

現在の西陣は 高度の機械化により
細かく分業され それぞれの一工程を 別々の中小企業で担っているものがほとんとです。

昭和51年には 西陣織は国の伝統的工芸品として
  1.綴織 
  2.経錦織
  3.緯錦織
  4.緞子(どんす)
  5.朱珍(しゅちん)
  6.紹巴(しょうは)
  7.風通(ふうつう)
  8.捩り織(もじりおり)
  9.本しぼ織(お召)
 10.天鵞絨(ビロード)
 11.絣
 12.紬
の12種類が指定されています。
柔らかもの至上、という感じのある西陣織ですが
ちゃんと絣や紬も入ってるんですね。

今日のコーディネイト。

山崎世紀さんの 泡立草と茜の着物に
橋本文子さんのチャンチン帯。



郡上の逸品は 17日、日曜日までご覧頂けます。
本物の持つオーラを感じにいらしてください。

 

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