「創価学会は永遠に人間主義で行くんだ!」
また池田大作氏の取り巻き幹部も良く言ってました。
「池田先生は、山崎正友など反逆者を自ら追い出した事は無い。みな自分で弾けて創価学会から出ていったんだ!」
また共産党についても、以前に創価学会の偉い人は言ってました。
「共産党は今の時代に査問をしている。これは時代錯誤で非人道的な行為であり、だから共産党は叩き潰さなければいけない!」
しかしどうでしょうか。今の創価学会は会員の知らない処で査問を行い、今の執行部にそぐわない会員は処分され、組織から目立たない様に処理されています。今回の著作権侵害という事で、会員や元会員を個別に特定し、呼び出し、行っている姿に、私は創価学会としての自語相違を感じています。
そもそも私が創価学会から距離を置くきっかけになったのも、地元幹部の人間性、また近年になり選挙ばかりの異常な活動などもあっての事で、今更、創価学会に自語相違があったとしても、私には何も驚く事はありません。
さて、この件について話を続けます。
◆著作権電話相談室の対応
さて、私は知人の件もあったので、私が知人の代わりとして、相談をしてみました。まずはその内容について紹介します。
以下、(私)→斉藤、(担)→担当者としてまとめてみます。(注意:要旨をまとめますので、一つひとつの文言が正確ではない事、ご理解下さい)
(私)少し著作権関係の問題で、相談したい事があるのですが。
(担)はじめにお名前と電話番号を教えてください。
(私)斉藤単己と申します、電話番号は〜
(担)ありがとうございます。それではどういったご相談ですか?
(私)実はですね、(Twitterで聖教の画像を掲載した事、プロパイダから発信者情報開示請求の連絡が来たことを説明)
(担)あなたもそうなんですか!?最近、創価学会の関係の相談が多くなっているんですよね〜。
(私)こういう事って、そんなに多いんですか?
(担)多いです!まあ、貴方の行った事は著作権侵害の行為には間違いないので、(その後、引用等例外対象の説明が続く)訴えられたら、しっかりと対応する必要がありますね。
(私)こういったケースの場合、今後どの様な事になるのでしょうか?
(担)まあ新聞の写真を引用した程度ならば、普通は削除要求位なんですが、創価学会が絡んだ案件だと、過去には損害賠償で八万から十二万という例も確かにありましたね。
(私)もし相手方の弁護士から呼び出されたら、行かなければ駄目なんですかね?
(担)行かない方が良いですね。しっかりと著作権侵害に関する事に限定して、そこで話し合うべきです。別に呼び出されたから行かなくてはいけないという事はありません。
(私)でも周辺では呼び出されて、和解の際に念書を取られたというケースも聞いてますが。
(担)それはそうでしょう。貴方の話からすると相手[創価学会]は個人を特定したいと思ってもいるのでしょう。だから訴訟して呼び出しという事もあるのではありませんか?
普通は新聞の記事であれば、掲載物の削除で終わるのが一般的ですから、相手を呼びつけるなんてありません。まあ私の立場上、それ以上の事は言えませんが。
(私)そうなんですね。
(担)貴方が創価学会の信者かどうか、そこは私は分かりませんが、個人的に言わせてもらえば、創価学会なんて◆チ◆イみたいな団体なんですよ、昔から。しかも最近では公明党で政治権力と結託してますから、尚更たち悪いモノになってますよ。
本来、著作権法とは表現の自由を守る為の法律で、今回、創価学会がやっている様な扱い方をしているのは、私は遺憾であり法律の目的とは違うと思いますよ。でも相手は権力側と結託している人達なんだから、貴方もそこをもっと理解しないとダメでしょう。
(私)はぁ、、そうですね。
(担)あと、今年に入って著作権侵害は、非申告罪なので、警察を動かすことも出来るようになりましたし、刑事罰としても動ける様になってますから、くれぐれもご注意下さいね。
と、こんな会話をしました。ここで解ったのは、創価学会がここ最近、この著作権侵害のパターンで、多く発信者情報開示請求を行っている事、そして幾人かはこの窓口に相談しているという事でした。
その昔、私がまだ青年部として創価学会で活動をしていた時に、北海道の元幹部の信平信子が訴訟を乱発し、当時の創価学会はそれを「訴権の濫用」と責め立てていました。しかし現在では、本来損害賠償とは言っても、せいぜい記事の削除程度で足りるものを、著作権違反だといい、多くは法律に疎い元会員や、現場で矛盾に悩み、ネットをはけ口としている会員に対して個別の訴訟行為を乱発しているのも、スラップ訴訟の類であり、訴権の濫用に近しい行為であると、私なんかは思うのです。
先に上げた池田氏の言葉や中央幹部の言葉にある自語相違が、実はここにもある事を改めて実感してしまいます。
◆無関心な創価学会の会員たち
このスラップ訴訟にも見える創価学会の顧問弁護士達による著作権侵害に関する訴訟について、現場の会員たちは、以外と無関心です。幾人かにこの事実を話したのですが、何が問題なのか、理解すら出来ない状況なのです。
これは何も今回の著作権侵害の訴訟に限らず、例えは安保法制の事しかり、野原氏の選挙活動しかり、創価学会元職員三人の事しかり、創価学会が社会の中で行っている行動に、末端組織の活動家幹部たちは、あまりにも無関心です。
今回の事は、創価学会として組織内の言論統制であり、ある意味で言論封殺と言っても良いでしょう。これはつまり創価学会の執行部に対して、異論や意見、不満を言うことは、今後罷りならぬという、創価学会としての意思の表明でもあるのです。
「本当にこのままで良いのですか?」
その様に会員一人ひとりに問い掛けたい所ですが、今の時期、創価学会の中では地区討議だ財務だ何だと多忙を極め、尚かつそんな組織でも、池田先生や御本尊様がいる限り、間違いは絶対にしないという、ある意味で、心の奥底まで植え付けられた妄想とも言える思想があるので、もうどうにもならないものなのでしょう。
こうなれば創価学会以外の人達に、政権与党の中枢に、この様に自分達の組織の中に言論統制を引き、人権を軽視する団体が支援者として入り込んでいる事を、少しでも理解してもらう他、打つ手はないのでしょう。
確かに過去、草創期の創価学会は、様々な人達からイジメられても来ました。しかしそんなイジメを防ぎたいとして取った行動が、政権与党に入ることであり、マスコミにCMを提供し、聖教新聞の印刷という仕事を発注し、様々な業界に巨額の資本で入り込んだり、司法界や官僚にも人を送り込む。
長年にわたり行動し、そんな結果が今の創価学会であり、その変質した姿であるとも言えるでしょう。しかし本当にこのままで良いんですか?
これは私の個人的な見解ですけどね。