自燈明・法燈明の考察

護憲について考えること

 安倍政権は何とか日本国憲法を改憲したいようです。おかしいのは過去に強固に護憲を掲げていた公明党、そしてその支援団体である創価学会が、この安倍政権を支持しているという事で、何かと公明党や創価学会は理屈を付けていますが、やはり思想の一貫性という処に問題があります。

 創価学会の中でも意識ある人は、以前に安保法制反対を表明し、国会前のデモにも三色旗を持って参加。しかし創価学会はそんな人達を「共産党に騙された人達」という事で組織内に周知、個人が判明した人の中には処分された人もいると聞きました。

 まあ処分の有無は脇に置いても、過去に自分達の主張していた事を、これだけ忘れる組織と言うのも、珍しいと思いますけど、どうなのでしょうか。

 ただ私は、今の日本国憲法を護るだけで、果たして本当に日本の平和を護ることができるのかというと、そこにも大きな疑問を持っています。確かに日本国憲法というのは大きな理想を掲げてはいますが、この人類社会にあって、果たしてそれで国を維持できるのかという処を、もう少し考えてみる必要があると思うのです。特に国家安全保障体制について考えて見るならば、やはり今の日本国憲法は足枷になっている気がしてなりません。

◆戦争という事について
 「平和」の対極にあるのは「戦争」という話もあります。実際には混乱とかいう事だと話もありますが、やはり戦争もしくは戦乱が平和の対極と考えて良いのではないでしょうか。
 この戦争とは何か、平和を語るのであれば、まずはこの事を考える必要があると思います。嫌いなもの、嫌な事から目を背けるのではなく、しっかりと理解した上で対応を考えない限り、そういう事態を避ける事なんて出来ないでしょう。

 戦争とは何か。それは国際紛争を武力で解決しようとする事で起きる事です。国際紛争とは、その要因は様々ありますが、一番根本にあるのは資本(お金)にまつわる国家間の利害に関する争いと言っても良いでしょう。本来ならば外交交渉を通して、お互いの妥協点を見つけて折り合いをつけるのですが、この交渉が決裂した場合など、要は対話で国家間の折り合いが付かなくなった場合に戦争は発生します。そしてその戦争を受け持つ国の組織を「軍」と呼ぶわけです。

 この事から戦争とは国家間の外交の先に起きる事の一つだと理解しなければならないし、それを行う軍隊とは国家間の紛争で動く事から、戦時国際法(狭義には交戦法規)の元で動ける組織でなければならないのです。今の日本国内で、平和を求め語る人達の中で、この基本的な事を理解している人は一体どれだけいるのでしょうか。

 この概要からも解ると思いますが、平和を希求するのであれば、外交力(国民の意識に基づき、外交交渉をする官吏の力量)がとても重要である事を理解しなければなりません。また現代の国際社会に於いても軍事力はそれぞれの国家は大抵保有しており、外交の先に戦争という行為を人類は未だに容認した社会の中で生きているという事も理解しなければならないでしょう。

 以前に「SEALDs(自由と民主主義の為の学生緊急行動)」に参加していた若者が、戦争になったら酒を持って駆けつけ、朝まで相手の兵士と飲み明かして戦争なんて止めてみせますと語っていた事が話題になりましたが、その程度の理解では戦争なんて止める事は不可能なのです。そもそも次代を担う学生がこの程度の認識しか持てないこの日本という国の姿に、私は大きな危惧を覚えました。

 要は今の日本人の平和に対する意識とは、その様なレベルであり、戦後七十年以上経過した結果、人類社会の現実を全く理解すら出来ていないという事に、他ならないのではありませんか?

 少し本筋からずれたので、話を戻します。だから日本が軍備を持ち、軍隊を保有する事は、今の人類社会の中では必要な事であり、問題はその軍隊という組織を理解して「シビリアン・コントロール(文民統制)」を取れる国であるか、またその事を理解できる国民であるのか、という事だと思うのです。あとその戦争以前に国際関係の事をどれだけの国民が理解しているのか、そこも問われるのです。

◆自衛隊について
 あと自衛隊について。今の日本国が保有している軍事組織に近いのは自衛隊です。この自衛隊、装備の面やその人材面において、他国の軍隊には引けを取らないくらいの組織ですが、一番大事な事が抜けています。それは「国際法」の枠組みでは動けない組織なのです。その状態でありながら、自衛隊を他国の軍隊と同じように動かそうと安倍政権はしてますが、この考え方もそもそもおかしいのです。

 例えば自衛官が、外国の地において、戦闘行為にでくわしてしまい相手の兵士を殺害したとします。通常であれは交戦規定(戦時国際法)に基づいて行動していれば兵士は裁かれる事はありませんが、自衛官の場合、国内に戻ると刑法の殺人罪が問われる可能性が大です。各国の軍隊とは国際法の下で動くので国内法とは別の軍法の下で動きます。いわゆる「軍司法」です。取り締まるのは憲兵、裁くのは軍法会議という事になります。しかし日本国憲法はそれを認めていません。あくまでも自衛官とは公務員(行政官)であり、国内法が適用される立場なのです。
 あと軍隊が派遣されるのは戦場という特殊な場所です。その為に軍としての統率を強固なものにする為に、上官の権限とは極めて大きなものになってます。具体的な例を引けば、戦場において敵前逃亡は上官の権限で銃殺すら許されているのです。これが良いとか悪いとかではなく、軍隊とはその様な環境で活動する組織なのです。

 本来、軍というのはそういう組織なので、日本人として、その事を十分に理解した上で、自衛隊を軍にするのか、しないのかを議論しなくてはならないのです。しかし安倍政権はその根本的な議論をすることなく、なし崩し的に憲法解釈論を拡大し、その下で自衛隊を「みなし軍隊」の様に運用しようとしています。これは近代の法治国家の原則からしたら、とても由々しき事なのです。
 この様な「なし崩し的な運用」て動く事は、自衛隊やそこで任務につく自衛官にも良くないですし、やはり日本国にとって、また国民にとっても良くありません。やるならば国民的な議論をもって、本来は進めていく事なのです。

◆日本国民は議論が出来るのか
 さて、少し憲法と自衛隊について、私の思う所を書いてみましたが、果たしてこう言った事も踏まえ、今の日本人に憲法改正の議論が出来るのでしょうか。これを語るためには日本人に国家という概念、また歴史観(過去の歴史について、日本人としての観点)、あとは哲学性も必要になるでしょう。しかし戦後七十年に渡り日本人はその様な事柄を真面目に議論すらしていません。ましてや太平洋戦争に対しても、日本人として評価すらせず、ただ東京裁判で下された内容のみを受け入れているのが現状です。

 そうなると軽々に改憲議論と言うのも、難しいように思いますが、世界の情勢は、それほど余裕を貰える様な状況でも無い様に思えるのです。



クリックをお願いします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「思う事」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事