1977年にイギリスのBBCで放送された「第三の選択」という番組では、確か1950年代にアメリカのハンツビルに科学者が集まり会議が行われ、そこでは地球がこの先、温暖化が進行してしまい人類が住めない状況になる事を想定しました。そこで種としての人類を残すための方策を検討したと言うのです。この番組は日本でも1980年代に深夜番組で放送され、当時中学生だった私も見たのですが、とても驚きの内容であった事を記憶しています。
その後、この番組はサイエンスフィクションであり、イギリスのBBCがジョークで制作したと言われましたが、当時は様々な波紋を呼んだのです。
しかし近年、地球温暖化による気候変動は、何かと目に見える形で、この人類社会に様々な影響を与えています。日本でも近年になり、過去には考えられない強力な台風が上陸したり、「〇〇年に一度の豪雨」というのも、すでにウェザーニュースの定番のセリフになりました。
今年のこの気候も、そんな気候変動の一部かと思うと、この過去にあった「第三の選択」という番組の内容も、果たして単なるやらせ番組であったのか、かなり気がかりになってきたりします。
さて話は変わり、ここから本題です。
いま横浜市長選挙が行われていますが、私が関係者から耳にした所によると、横浜の創価学会では、小此木氏の支持決定をして、組織立って不在者投票を進めているようですね。
私がまだ創価学会で青年部幹部をしていた頃、県知事や市長、また町長といった、所謂「首長選挙」には、創価学会としては自主投票というスタンスでした。
これには理由があって、当時の創価学会は選挙に対するスタンスとして、自分達の仲間である学会員を政治の場に送り込むための活動であり、公明党とは基本、創価学会の会員の政治集団でもあることから、公明党の支援活動を行うという理屈でした。そして創価学会の会員である議員、もしくは学会員以外でもしっかりとした理解者だから、彼ら公明党を国政に送り込む事も「広宣流布」の活動の一端であると言っていたのです。
一方で首長選挙というのは、その趣旨にも合わないし、様々な利権も絡むことから、創価学会としては自主投票として肩入れしない。あくまでも自治体の人達の行動だとして支援活動は一切していませんでした。
しかし近年になり、例えば東京都知事選では、当時、小池女史が気に入らないと、都内の学会幹部がいきり通っていて、小池女史への対抗運動をしていたのは周知の事実であり、恐らくそこには都議会の勢力争いに関係して、創価学会本部の思惑が絡んでもいたのでしょう。そして今回の横浜市長選挙についても、自公連立政権の利権もからみ、横浜市の創価学会として小此木支持の動きをしているものと、私は理解しています。
詰まるところ、創価学会として選挙に対するスタンスは、ここ十数年の間に大きく変更をしたという事ですね。しかしこの変更については、相変わらず末端の会員に対して一切説明をしていませんし、その末端会員もその事には一切疑念を持つ事も無いようです。
これだから創価学会は度し難いと、私は常々思うんですよね。
宗教組織として選挙の支持、不支持のスタンスを示すのは良いでしょう。またそれを組織内に通達する事も、これはこれで問題ありと思いますが、法的に禁止は出来ないかもしれません。
しかし創価学会の一番の問題とは、投票行為を信仰活動の根幹に据えて、その投票活動に御利益があると指導部が指導し、組織立って行動。もしその行動を乱す人がいたら、組織的に除外するばかりか、それこそ異端審問よろしくそんな人を組織立って責立てる行為を行うという事です。
この投票行為を信仰活動にする事で、末端の会員達は政治談義をする事もできず、それこそ指導部の支持通りに票集めを行う事にのみ専念するという文化も定着していますので、結果として日本の民主主義制度の根幹をも破壊をしています。
そう言えば以前に、いまは亡くなりましたが友岡雅弥氏とお会いしたとき、年始になると創価学会の関西本部には、周辺の地方自治体の首長達が、黒塗りの公用車でのりつけて、それは凄い景観だったという話を聞いた事がありましたが、創価学会としては会員には「正しき信仰活動としての選挙」を示しながら、その会員達の行動を利用して、裏ではしっかりと「利権活動」に力を注いでいたんですね。そして今ではそれが状態化したという事なんでしょう。
会員達には綺麗事の「広宣流布」というのし紙つけた支援活動ですが、その箱の中身は信濃町周辺にあるドロドロとした中身という事ですね。
まあそもそもの話をすれば、創価学会が政治に絡み始めたのも、戸田会長が「国立戒壇建立」を目指した事からであり、戸田会長は政党化と衆議院進出は否定していました。しかし池田会長がその戸田会長の方針を撤回し、公明党という政党を作り、衆議院にも進出、そもそもの目的であった国立戒壇建立をキレイな民衆政治に貼り替えたという、過去の経緯を理解したら、今のこの創価学会や公明党の行動についても、さもありなんという事なんでしょう。
まあ一番の「面の皮」として利用されてるのは、末端組織の会員活動家なのですが、彼らにしても、創価学会組織の人間関係や、御利益欲しさで取り組んでいるんですから、ある意味で不憫なモノだと思います。