さて、創価学会の過去の教学的な経緯について、前の記事まで書いてきましたが、私が男子部で活動を始めたときには、創価学会とは日蓮正宗の信徒団体であり、その教えと日蓮正宗が日蓮大聖人から連綿と「富士の清流七百年」と言う様に伝承された、正しい仏法なのだと教えられてきました。要はそんじょそこらの新興宗教ではないと。
しかし既に牧口会長の時代に、創価学会の教えとはその日蓮正宗の教えについて、牧口氏の「価値論」に基づく指導性がないと、その価値は認識できないし、幸福生活を送れないと言う様な、いわば日蓮正宗の亜流であったという事がわかりました。
そして恐らく戦後に第二代戸田会長は、牧口会長の「価値論」を脇に起き、功徳と呼んでますが「御利益論」をもって日蓮正宗の教えを広め、戦後復興の世の中の波に乗りながら、今の様な巨大教団の礎を築いたのでしょう。
私は男子部に居た時、世間で言われる「創価学会は現世利益を求める団体だ」という批判を否定していました。
何故なら信仰すれば信仰体験は得られるのは力ある宗教の証であり、当たり前の事。この信仰体験というのも、実は信心の目的ではなく、自身の中にある「仏性」を確信するための方便に過ぎない。だから創価学会は現世利益をもとめる信仰団体なんかではないのだ。
その様に常に考えていたのです。
しかし壮年部に移り、新聞啓蒙と言われる聖教新聞の拡販や、選挙戦と言われる「捨て票集め」の原動力は、「現世利益」である事をまざまざと見せつけられました。
ある婦人部は言いました。「私たちは選挙屋などではありません。だからしっかりと祈りを明確にして、この選挙戦によりその祈りを叶えて行こうではありませんか」。またある壮年部幹部は言いました。「斉藤さんはそう言うけど、今の創価学会の壮年部や婦人部は功徳論を無くしたら組織に付いてきませんよ」と。
要は創価学会の原動力とは、まぎれもなく「功徳(御利益)論」であって、私が男子部時代に考えていた「広宣流布」「世界平和」というのは、逆に「功徳(御利益)論のオカラ」の様なものだったと言う事なのです。そして会員はこの功徳論があり、またそれに対する罰論もある事から、信濃町の指導も鵜呑みにし、長い時間をかけて「思考停止」をさせられてしまったのではないだろうか。また思考停止しない人達は、そんな活動家幹部の姿を見ていく中で、必然的に組織から距離を取る様にもなってしまうのだろう。
これが私の結論でした。
原田会長は2014年11月の会則改正に伴う教義改正の際、以下の説明をしていました。
「各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。
まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。
創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。
創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
これは信仰の根本である「本尊」について語った部分ですが、端的に言えば従来の「弘安二年の大本尊」を受持の対象とはしない理由を「絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきた」と言い、現証重視の理論で述べています。
しかに日蓮は本ブログで何度も書きましたが「但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず」(唱法華題目抄)とある様に、正しいのか間違えているのかは、法門を以って正すべきであり、利根とか通力という現証のみとらえて行うべきではないと述べています。
日蓮直系の教団というのであれば、日蓮の文字曼荼羅についても、その根拠は現証論で述べるべきではなく、法義としてしっかりと説明すべきなのです。
しかし今の創価学会では、法義で説明しようとしまいと、そんな事では会員が理解出来ない。(そもそも今の創価学会が日蓮の十界曼荼羅を法義的に説明できるか、は今回は置いておきます)だから原田会長もこんな説明に終始せざるを得なかったのかもしれません。
要は創価学会とは、やはり功徳(御利益)論でしか動けない組織であるという事を、奇しくも原田会長の教義改正に関する説明が露呈させていると言ってもよいでしょう。
この創価学会の会員が、何故こうも「功徳論」という事のみに囚われるのか。一義的にはやはり組織の淵源である牧口会長が自身の考案した「価値論」を、日蓮の仏教を説明するばかりではなく、信仰の指導原理としてしまった事が、その始まりがあると私は考えました。そもそも仏教の目的は「価値の創造」ではなかったはずです。では何故、牧口会長はこの様な「ミスリード」をしてしまったのか。
そこに私は賢樹院日寛師の教学というのが、関係していると考えたのです。